継承

坂巻

継承


「あれーもしかして、鈴木せんぱいじゃないっすか?」


 仕事を終えての帰り道、思いがけない人物に声をかけられた。

「…古谷か?」

「はい! お久しぶりです!」


 ぴょんぴょんと跳ねるように傍へやってきたのは、大学時代の2つ下の後輩古谷だった。

 短めの柔らかそうな茶髪と猫のような生意気な瞳、グレーのストライプの入ったパンツスーツはぴたりと身体に沿っていて大きな胸や太ももが強調されていた。学生の頃はだいたいTシャツとショートパンツで構内を歩き回っているのが平常だったので、見慣れないスーツ姿には驚いてしまう。

 卒業してから会っていなかったが、数年経っても彼女の雰囲気は微塵も変わっていないようだ。相変わらず元気な後輩女子という印象である。


「久しぶり、元気にしてたか?」

「そこそこですね、せんぱいこそ元気っすか? お疲れみたいですけど?」

 1日の業務を終えて、くたびれたスーツと顔を見ての感想だろう。とても元気と返す状態ではなかったので、彼女と同じくそこそこと返答しておく。


 思わぬ再会に話も弾み、そのまま流れで飲みに行くことになった。

 ちょうど駅近くにいたこともあり、飲み屋なら選びたい放題である。同僚や友人と酒盛りをするわけでもないし、女性の好みそうなお洒落な店をいくつか勧めてみたが古谷の「あたし、ハイボール飲みたいんすよね」の一言で、普通の居酒屋に決まった。

「なんでハイボール?」

 店に入るとテーブル席はいっぱいらしく、空いているカウンター席に2人並んで腰かける。

「いやー最近女の子たちとの食事多くて、肉バル行ったりピッツァ食べたりでずっとワインばっかり飲んでたんですよ」

「たしかに別のも飲みたくなるな」

「でしょー? まあワインは美味しかったんで全然不満とかはないんですけど、あ、店員さん、生中ください! せんぱいは?」

 最初の注文を取りに来た店員に、まさかの酒を頼みだす後輩。

「え、お前ハイボールは?」

「それは、後で飲みます! 仕事終わりはやっぱり一口目にビール飲みたいじゃないっすか」

「……おお、そうだな。俺も生中ください、あとだし巻き玉子」

「いいなー! えーと、タコからと鶏のから揚げと、あポテトもお願いします!」

 油物を3皿も頼み、満足げな表情で古谷は店員を見送っていた。雰囲気だけではなく、食の好みも大学時代のままのようだ。

 そんなに年齢差もないのに若いっていいな、と内心自嘲気味に笑う。揚げた料理より煮たり蒸したりの料理をよく頼むようになったのはいつからだろうか。


 すぐに生中2つとお通しの枝豆がやってきて、軽く乾杯したあとビールジョッキを口へ向けてぐいっと傾けた。苦みとしゅわしゅわとした炭酸が口の中を一気に駆け抜ける。1日の終わりに飲むビールがうまいのは酒を飲み始めてからずっと変わらない。今日は営業で歩き回ることも多かったから、余計に身体が喜んでいる気がした。

「ぷはー!」

 隣の古谷はグラスの三分の一ほどを飲み、枝豆に手を伸ばしてもぐもぐしている。2人分の量を1皿に盛ってくれてはいるが、こいつのことだ、遠慮していると全部食べられかねない。ビールと枝豆の組み合わせを楽しむために、俺も慌てて枝豆を食べだした。


 その後、やってきた鶏のから揚げやだし巻き玉子をつまみながら、自然とお互いの仕事の話になった。

「せんぱいは営業ってさっき言ってましたよね?」

「そうそう。社内インフラの整備とかやってるけど、契約企業回ってるから、そんなしんどくはないな」

「なるほど、既存のお客様が多いんすね」

「ああ、新店舗増やすとか支店増やすとかで割と仕事は途切れないな」

「わあ、ありがたいやつだ!」

「そうなんだよ。古谷は? デザイナーやってるんだろ?」

「半分ぐらいはそうっすね。まあでもフリーじゃなくて正社員で事務もやってるので、デザイナーって名乗っていいのか微妙な感じっすけど」


 デザインができるというだけですごいのだから、そんなの気にせず名乗ればいいのに、古谷的には微妙らしい。拗ねたように、フライドポテトをつまんでいる。

「事務仕事もあるからスーツなのか?」

 ふと、気になって尋ねた。知り合いの会社所属のデザイナーさんはおしゃれな私服の人が多かった気がする。もしかすると、古谷の会社が結構厳しいのかもしれない。

「あー、違います違います。今日社外でコンプラの研修があったんすよ。いつもは私服なんですけど、それで仕方なく」

「そういうことか。じゃあ今日俺は珍しい姿の古谷に会ったんだな」

「そーですよ! レアですから感謝して拝んでくださいね!」


 胸を張って見せながら、古谷が身体をこちらに寄せてきた。顔もだいぶ赤くなっているし、酔っての勢いだろう。ぴったりとしたスーツを押し上げる胸に思わず目が行ってしまい、慌てて顔を逸らす。

「せんぱぁーいもしかして照れてます?」

 ニヤニヤと笑う古谷。これはまずい。遊んでやろうという気配たっぷりだ。

「かーわいい」

「こら揶揄うな」

「へっへっへ、お兄さんかわいらしい顔してるねえ」

「そのしゃべり方やめろ。あともうお兄さんと呼ばれる歳でもない」

「えーまだ、おじさんは早いと思いますけどねぇ。あ、店員さーん、追加の注文いいですかー?あ、せんぱい追加あります?」

「……今はいいよ、好きなの頼め」

「わーい」

 あっさりと興味は追加注文に移ったらしい。店員とメニュー片手に話している古谷から視線を外して、ぼうっと店内を観察する。よくわからない皿や絵が飾られていたり、知っていたり知らなかったりする有名人のサインが壁に貼られていた。スポーツ選手らしき人物の色紙にはえらく達筆な『夢』の字が書かれており、ささやかに名前が添えられている。


「夢かあ」

 いつの間にか注文を終えたらしい古谷が、こちらの目線の先に気が付いて色紙の文字を読み上げた。

「……ねえせんぱい、すこし不思議だと思ったらそうじゃなかった話があるんすけど、聞いてもらってもいいですか」

「それはいいけど、なんだそのよくわからん話は」

「まあまあ、聞いてくださいよぉ」

 ようやく届いたハイボールのグラスに口をつけてから、古谷はタコからに手を伸ばした。


「うちの母なんですけどね、実は予知夢を見ることができたんですよ。勘違いでしたけどむぐ」

「は?」


 あまりにも唐突な話にそんな声が漏れてしまった。もぐもぐとタコからを頬張る古谷は平然としていて、特にすごいこと言ったぞという感はない。


「小学生の時に、朝学校行く前に外むっちゃ晴れてるのに傘持ってけとかいうんですよ。で、周りが誰も傘持ってない中一人だけ傘持ってるのがすっごく恥ずかしかったんですけど頑張って登校して。それで放課後帰ろうとした瞬間に突然大雨が降ってきて、家帰った後に慌てて『どうして雨降ることわかったの?』って聞いたら『夢で見たのよ』って」

「……そりゃ子どもなら驚くだろうな」

「あ、察しましたね。せんぱい察しましたね。この話のオチ」

「言っていいのか?」

「もうちょっと黙っててください。まだ続きあるんで」

「わかった」

「他にもあって、誕生日のプレゼントに絶対欲しい物くれるんですよ。特に言ってないのに。それで、『どうしてわかったの?』って聞いたら『夢で見たし』って絶対返ってくるんですよ」

「それはすごいな」

「まだまだあって、中学1年ぐらいの時、先の話だけど高校は美術科あるところ行きたいなあってぼんやり思ってて、いよいよ3年で進路決めることになった時に、ドキドキしながら親に相談したんですよ。普通科よりも学費高いし認めてくれないかもしれないって緊張してたら『いいよ、知ってたから貯金もあるし』で快諾ですよ。隣で父親もうんうん頷いて、これで話は終わりムードだったんで、びっくりして『言ってなかったのに何で知ってるの!?』って聞いたら――」

「『夢で見たの』?」

「そうです! しかもウインクしながら。もうマジなのかふざけてるのか、わかんなくて。というか口癖なんですよ『夢で見た』が」

「面白いお母さまだな」

「まあ、もういないんですけどね」


 そこで会話が途切れた。

 居酒屋の他の客たちの笑い声がやたらと耳に響く。古谷は卓上の醤油辺りを見つめたままで、その感情は読み取れなかった。

「それは――」

 どういうことかと、嫌な予感がしながら尋ねようとして。


「実は去年死んじゃって。もともと身体が丈夫な方じゃなかったんですけど、パート帰りに倒れてそのまま」

 こっちを向いた古谷は、意外なことに笑っていた。

「あ、といっても去年散々泣いたので、もう大丈夫です。えーとそのお、心配させたくてこの話をしたわけじゃないので、」

「そうか、お母さま残念だったな。……古谷が大変な思いをしていたのに全然知らなくてすまない」

「…へへせんぱい、いーひとですねえ」

 ばしばしと、何かをごまかす様に肩を叩かれる。

 去年、といえば古谷は社会人1年目だった。そんな時に急に母親が亡くなって、苦労しなかったはずがない。この陽気で奔放でいつでも元気に振舞っている後輩には、誰にも教えていない苦労がもっとあるのではないだろうか。カウンター席にちょこんと腰掛ける彼女の小さな身体に、何故だか急に不安になる。


「大丈夫か?」

「って、違うんですよ、ほんとに大丈夫です!で、聞いてください続き続き」

 手でぱたぱたと顔を扇いで、目元まで赤い古谷は再び話し始める。

「それで死んじゃった時に遺影用の写真を探すために母の部屋に入ったんですけど、その時出てきたのが、子どもの頃あたしがサンタさんに書いた手紙だったんですよ! 毎年書いてたのが何通も保管してあって、しかもいつも1枚の手紙に欲しいもの複数書いてて……」

「それって誕生日の時に参考にされたんじゃ…」

「大当たりですよ! 誕生日にもらった物ってそこに書かれてたやつなんです。12月に情報収集してサンタさんとしてプレゼントして、1月の誕生日にそのまま手紙に書かれた別の物プレゼントですよ! もうわかれば笑っちゃう話です」

「……進路希望知ってたのも、タネがあったのか?」

「あー…はい。先週の日曜に久しぶりに中学時代の友人と再会して、流れで母の話になったんですけど、『じゃあ最後に古谷ちゃんのお母さんに会ったのって、中一の時スーパーで偶然出会った時なのかな』って言われて。何話したか聞いたら、あたしの進路の話をされちゃってました」

「謎は全て解けたな」

「とけましたよ!! その子がバッチリ美術科に行きたくて悩んでたあたしの心中を母に言っちゃってましたよ!! はい謎の予知夢解決!」


 古谷はやけくそみたいにポテトばかりを食べだした。

 まあわかってみれば簡単な話だ。よそで手に入れた情報を、それっぽく本人に伝えただけである。無邪気で不思議な、娘のことを思う母親、会ったことはないけれど素敵なお母さまだったんだろう。


「でも、本人から本当のことを聞いたわけじゃないんだろ。雨の件も天気予報じゃなくて、夢で見たのかもしれないし、もしかしたら本当は予知夢が見れたのかもしれないな」

「鈴木せんぱいはロマンチストですねぇ」

「謎は解けたとか言っちゃったけど、真実はわからないからなあ」

「まあ、そうですね。答え合わせも、永遠にできないですし」

「……古谷」

「大丈夫です、大丈夫ですから」


 そこからは大学時代と変わらぬノリで飲み続けた。

 果実酒を頼んで日本酒を頼んで、つくねや釜めしまで追加して、飲んで食べて、日常の疲れと嘆きを笑いあった。お互いに暗くなるような話題は一切しなかった。


 2人で居酒屋を出た後、近くの駅に向かってゆったり歩く。

 ふと、隣にいた古谷がいなくなって振り返ると、神妙な顔をして立ち止まりこちらを見返してきた。


「せんぱい」


 大学時代はしていなかった、薄く化粧された唇が少し震える。真っ赤ではなく少しオレンジ色に近いその色は、彼女の口元によく似合っていた。

「どうした」

「鈴木せんぱいって今彼女いるんですか?」

「…いたらお前と2人っきりで飲んでねーよ」


 少しだけ動揺して、返答が遅れそうになったのを何とかごまかす。

 ただの世間話だ。普通に、平静に、何でもないように答えられたと思う。古谷の熱っぽい目に心が揺らいだことを悟られるのは、負けた気がする。


「そういうとこ誠実でいいですよねー」

「何がいいんだか。……ほら、いくぞ」

 歩き出そうとして。

「えー、もう帰っちゃうんですか」

 歩き出せなかった。


「せっかく久しぶりに会えたんだし、もうちょっとゆっくりしましょうよ」

「おい、明日も平日だぞ。それなのにまだ飲むのか」

「しんごとにんげんー」

「社会人だぞ、当たり前だ」

 駆け寄ってきた古谷に、右腕をがっしり組まれた。逃がさないぞと言わんばかりに上目遣いでこちらにすり寄ってくる。形容しがたい甘い匂いがして、抵抗しようとした動きが止まってしまう。


「ね? もう一杯だけいいじゃないですか?」


 それで完全に負けてしまった。

 正直可愛らしいと思っている後輩にこんな風に甘えられて、どう抗えというのだろうか。

「しょうがないな、一杯だけだぞ」

「やったー!」

 無邪気にはしゃぐ古谷が眩しかった。

 承諾したのは彼女の魅力に屈しただけでなく、先ほど居酒屋で聞いてしまった話から優しくしてやりたいという思いがあったのもある。明るく振舞っているが、無理をしているのではないかと少し不安になるのだ。


 再度歩き出したものの、古谷はこちらの腕を離す様子はなく、なんだか気まずくて夜空を見上げてしまう。視線を逃がした先には、飲み屋街の明かりにも負けないほど星たちが輝いていた。アルコールでふわふわした頭で、その恐ろしいほどの美しさを目に焼き付ける。


 1年前に付き合っていた彼女と別れ、親しい友人たちとは休日の予定が合わず、仕事ばかりが忙しい、そんな日が続いていた。そんな時に急に古谷と再会し、楽しい夜が過ごせた。彼女にとってはそこまでの事ではないかもしれないが、久しぶりの特別な良い日だったのだ。


 隣の古谷は、酔い故か真っ赤な顔でへらへら笑いながら、両腕でがっちりこちらを拘束してくる。

「いやー、ほんと今日はせんぱいに会えてよかったなー」

 カツカツというヒールの小気味いい音が響く。

「まさか古谷と再会するとは思わなかったよ。びっくりした」

「あ、そっかーそうですよね。でも、あたし鈴木せんぱいには会える気がしてたんすよねー」

「なんで、そんな気がしてたんだ?」

 なるべく冷静に返そうとするが、組まれた右腕に胸が押し付けられてぎこちなくなる。

 アルコールでくらくらしているのか、彼女の行動に動揺しているのかわからないが、思考がまとまらない。目がチカチカして疲れるほど、街の明かりと星が眩しい。なぜ。



「いやあ、昨日大学時代の夢を見たんすけど、そのあと交差点でこうやって2人で歩く姿の夢も見てえ、えへへそれでね、その後がびっくりで、宇宙人がやってきて、あたしたちも街の人たちもみんな、し――」

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