魔王様は今日も魔王を辞めたい

結城暁

魔王様は今日も魔王を辞めたい

「もゥ、やだァ! 魔王辞めるゥ!」


 魔界と称される広大な土地の中心に程近い場所に構えられた魔王城で魔王は吠えていた。

 その咆哮の凄まじさたるや、城全体が震えるほどで、城に駐在していた部下たちは皆一様にため息を吐いた。


「また始まった」

「今日も元気だなあ」

「そろそろ休憩にするぞ~」


 時報代わりの咆哮にめいめい反応を返し、動じる様子もない。魔王の側用人を勤めるグスタフもまたそうだった。

 耳をふさいでいた手を離すと、スケジュールの確認に戻る。


「西の毒沼に勇者が現れたと報告がありましたので、三、四日の内には魔王城に到着するかと思います。今回の罠はいかがいたしましょう。特にリクエストがなければ罠師にいつものを発注しておきますが」

「人の話聞いてたァ?! もゥ! 魔王辞めたィ!」

「はいはい。それでは罠師にいつもので発注をしておきます。ちょうど試したいものがあると言っておりましたし、少し違う物ができるでしょうが、納期が短くてもやってくれるでしょう」

「全然人の話聞いてくれなィ! もゥやだこの側用人!」


 わめく魔王相手に「やれやれ仕方ないなあ、ウチの子は」といった風に慈愛の眼差しを向けたグスタフは肩をすくめた。


「どうなさったのです、魔王様。今日はご機嫌斜めなのですね。大丈夫、勇者が来たらいつもの通りスパッと八つ裂きにしてやって下さい」

「もゥ魔王辞めたいって言ってるンだけどォ?!」

「何を仰るのです、魔王様。魔王様がいなかったら誰があのバケ……ゾン……キチ……勇者と戦うというのです」

オレを人身御供にすンなァ!」

「人聞きの悪い。尊い犠牲ギセイというやつですよ?」

「犠牲って言ったァ! やっぱり人身御供じゃン!」


 部下の言葉に魔王はボタボタと滝の様な涙を流して鼻をすする。

 もゥヤダこの部下。人の話を聞いてくンなイ。親の顔が見てみたいワ。親殺しの種族だから無理だけド。


「それはさて置き」

「置くなァ!」

「勇者に惨殺された者共の補充地をまとめてありますので次の満月までに目を通しておいて下さいね」


 薄い木札をうず高く積んでいくグスタフに情けという文字は存在しないのだと魔王は改めて思った。冷酷、冷血漢め、とぶちぶち文句を垂れ流しながら、取り敢えず木札に目を通していく。やりたくはないが、後で困るのはどうせ自分であるので。

 毒の沼地周辺に配置していた従魔物がごっそり消えていた。従魔物を配置するのだってタダじゃないんだゾ、と魔王は落ちていた肩を更に落とした。魔王の能力を持ってすれば、素材と魔力で従魔物の製造が可能だが、それとて無限ではない。

 満月から降り注ぐ魔力、高まる自然界の魔力、溜めていた魔王の魔力とを核となる素材に込めて製造しているのだ。

 今はアホな人間が魔物を倒しても魔石に目がくらんで核となる素材を打ち棄てているが、いつ気付かれて回収されるかと思うと気が気ではない。

 けれど従魔物を製造して配置しておかなければ領民が標的になり、殺されてしまう。だから魔王は満月が昇る度に内蔵魔力を空にして魔物を製造している。

 そんな魔王の苦労を知ってか知らずか、部下達は冷たい。塩対応というやつだ。塩のほうがまだ甘く感じるかもしれない。

 魔王だって分かっている。焼き殺しても、刺し殺しても、八つ裂きにしても、凍死させても、溶岩に放り込んでも、殴り殺しても、粉々にしても、石化させても復活して魔界にやってくる。そんな勇者の相手をできるのは自分くらいだろう。

 この世界の神は勇者を贔屓しすぎだな?

 あとからこの世界に発生したくせに魔界を悪認定してきたのもムカつく。なによりそこまで殺されても魔界に乗り込んでくる勇者の精神が恐ろしい。

 普通なら心が折れるかう病むかしているだろうに。なのにあの異常者ゆうしゃは諦めない。神に天啓を受けたのだと何度も何度も向かってくる。それ天啓だとしてもいい様に扱き使われてるだけだろうが。

 魔王のほうがノイローゼになりそうだった。

 勇者の後ろ盾になっている神を抹殺すればこの悪循環も終わるが、悲しいかな、クソヤロウのいる場所は微妙に次元が違うので手出しできない。あちらもこちらに直接手を下せないものだから勇者を使っているのだが。

 話し合いで解決できればなァ、と魔王は常々現実逃避しかんがえているのだが、言語が違うため、それも難しい。そもそも勇者むこうは問答無用で殺しに来る。そして言葉が通じたとして、話ができるとはかぎらない。もゥヤダ、魔王辞めたイ。

 もういっそ、全人類を滅ぼしたくなってくる。

 支援者が全滅すれば勇者の行動も止まるのでは? と思うも、失う物が何もなくなり、自暴自棄になられても困る。自爆特攻をかまされたらとても困る。

 従魔物は素材と魔力さえあれば製造できるが、城に詰めている魔物たちは城勤めが務まるほど有能な者達ばかりなのだ。それを殺されてはかかった人件費の全てが一切合切無駄になる。


「魔王様、砂漠の民から陳情が上がっています。お聞きください」

「わかったよォ」


 たまには安らかになんの心配もなく眠りたい、と魔王は深くため息をついた。


***


 その日の魔王は疲れていた。心の底から疲れていた。とんでもなく披露していた。疲弊しきっていた。

 体力、魔力共に魔界一を誇る魔王だが、もう何日もまともな睡眠を取っていない。勇者が魔王城に近付いて来る時期はいつもそうなのだが、今回は特に酷かった。

 勇者むこうには昼夜の概念が存在しなくなったのか、昼も夜も朝も関係なく進行してくるようになった。それ故魔王も就寝時間だろうと昼寝中だろうと容赦なく叩き起こされ、対策会議だの、決裁判だのを要求されている。正直眠くて眠くて仕方なかった。幸い食事だけは腹いっぱい取れているが、それも作業しながらなので、食事というより作業の一環のようだった。

 ここさえ乗り越えればゆっくり眠れる、睡眠がたっぷり取れるはず、と魔王は開店の鈍くなった頭をなんとか働かせた。

 今日も日付を跨いだ対策会議を終えて、魔王は痛む頭を押さえ、重い体を引きずるように寝室へ続く廊下をのろのろ進んでいた。

 部下達は三交代で休めているのに魔王は一人しかいないものだから交代できずにずっと働き詰めだった。

もゥマヂ無理。魔王辞めよ。

 うっすらこみ上げてきた吐き気を無理矢理飲み込んだ。

 仮眠を取っている間は勇者がなんの問題も起こしませんように。

 柔らかな寝台に身体を横たえ、魔王の意識は底なし沼に沈むよう落ちて行った。ベッドメイキング係、ありがとう。

 その十分後である。

 魔王の寝室に小さな影が忍び込んだ。窓ガラスを最小の音で破壊し、流れるような手付きで鍵を開ける。

 そのさまは百戦錬磨の大盗賊を思わせた。音もなく窓を開け、そのわずかな隙間から部屋に侵入した影は緊張した風に、警戒するように、歩みを進める。

 大きな体躯に似合わない微かないびきをかいて、ベッドで寝ている魔王との距離を縮めていく。

 腰の短剣をやはり音もなく抜き、手にしたその人影はベッドサイドまで辿り着くと鋭利な短剣を振りかぶり、躊躇など一切なく魔王の首を目がけて振り下ろした。

 短剣と同じか、それ以上に鋭い眼にはなんの感情も浮かんではいなかった。


 その時のことを魔王は語る口を持たない。辛うじて、寝不足だったのだ、と言い訳をするのみである。

 連日連夜、ほぼ不眠不休で働いていたのだからして、褒められこそしても、罵倒されたり、攻められたりする謂れはない。ないはずだ。誰かないと言ってくれ。

 朝を知らせる鐘の音に仮眠が終わってしまった事を自覚した身体が勝手に覚醒を始める。頭ではまだ眠っていたいとどんなに願っていても、悲しいかな、身についてしまった習慣により、魔王は目覚めた。

 こういう反射を社畜根性と言うらしい。オレ、魔王なのニ。

 起き上がると胸の上からずり下がる物がある。どうやら仮眠中に抱きしめて寝ていたらしい、と気付いた魔王はまたどこぞの側用人ゆかいはんがぬいぐるみでも持たせたナ、とシーツの中身を確認した。

 勇者だった。 なんデ?

 勇者の口元から大量に吐かれた血と、魔王の寝間着にべっとり付着している血の量からすると、どういう経緯かは分からないが、うっかり抱き着き、肺が潰れるまで胸部圧迫をしてしまったらしい。そりゃ死ぬワ。

 魔王が部屋を見回すと、窓が一か所開いていて、窓ガラスが割れていた。魔術で直すからいいけどネ? でも人の家を壊して勝手に入るのはどうかと思ウ。

 ばりぼりと頭を掻くと、喉に違和感があったため、喉を触る。短剣が刺さっていたので痛いなァ、とこぼしながら抜く。どうやらわずかな睡眠時間を勇者に狙われ、寝込みを襲われたらしい。

 防御力が高くて助かっタ、と魔王はベッドから出た。

 ボロ雑巾もなっている勇者を引きずりながら、どうしたものか考えた。

 このまま勇者の死体を辺境のド田舎に転送するのは簡単だ。疲れ切っていようとも魔王になら片手間でできる。だがしかし、それではいずれまた勇者は殺戮の限りを尽くしながら魔王城を目指すだろう。

 それを思えば転送する気も萎える。月イチとはいえ、苦行をしたくない。どうすれば勇者の侵攻を止められるのだろう。

 魔王は寝不足で螺子の二本も三本も外れた頭で考えた。

 そうだ、転送しなきゃいいじゃないか。


***


 勇者が眼を覚ますとそこはまるで知らない場所だった。

 穴など無く、空の見えない天井に、隙間風の吹かない壁に、暖かそうな絨毯の敷かれた床に、極めつけはふかふかとした寝床。

 あまりの異常事態に勇者は跳ね起きた。

 途端に鳴ったじゃらり、という音に己の両手を見る。手首には手枷がはまっていた。取り外そうとしてみるが、いつもの十分の一の力も出ない。

 どういうことだ、と勇者は忙しく辺りを見回した。

 じゃらり。足からも同様に鎖の音がする。四肢を拘束されていた。

 一体、何故。

 混乱しきった勇者は焦りながらもひとつの可能性に辿り着いた。

 自分は、まさか魔王に捕まったのではないか。

 それならば魔王の喉元に刃を突き立ててからの記憶が丸きりないのにも納得がいく。

 恥辱を晒すくらいならば死んだほうがマシだ。

 しかし、舌を噛み切ったとして、神の祝福を得たこの体は簡単に死ねはしない。だから、勇者は逃げるしかないのだが、このように手足の自由を奪われていてはそれすらできない。

 手足を切り落とせばどうにかなるかもしれないが、当然、近くに刃物は見当たらない。

 仕方ないので勇者は手首を搔きむしった。すぐに血が滲んできたが、らちが開かないとみるや、噛み千切ろうと手首に噛みつく。

 口の周囲が血まみれになり、手首の肉が削げて、骨がわずかに見え始めた頃、部屋の扉が開かれた。


「おイ勇者、腹減ってる──なにやってンの?!」


 声がしたほうを振り向き、勇者は臨戦態勢を取ろうとして、失敗する。鎖が邪魔をして構える事さえできなかった。


「おまッ、バカッ、おまッ、おまえェェ! せっかく怪我治したのになにやってンの?! なにやってンの?! 魔王城ウチに治癒術士なンていないけどォ?!」


 怒鳴りながら食事の載ったトレイを置くと、魔王は泡を食って勇者に近付き、傷薬を勇者の頭からぶちまけた。

 そうして骨の見えていた手首にスライムを加工した包帯をまとわりつかせる。魔王は半信半疑だが、これで傷口の乾燥を防いで素早く怪我を治せるのだという。


「三日間眠り続けてようやく起きたと思ったら自分の手ェ食ってるとかなンなの?! そンなに腹減ってたンならさっさと起きりゃよかっただろォ?! 呼べよォ! 言えよォ! こっちは部下に無理言って人間用の飯作ってもらってンだぞォ! それとも人間って自分の肉が好きなのォ?! こわ。魔ダコだって飢えンとやらんワ」


 ぶちぶちと吼え立てながら、魔王はてきぱきと勇者の口周りを拭ってやり、血で汚れた衣服を着替えさせ、ついでにシーツ類も取り換え、また元通り勇者をベッドに寝かしつけた。ソファからいそいそとクッションを運んで、勇者の背もたれにしてやる。

 それから冷めてしまったベニーモ粥をひと匙すくいあげ、勇者の口元に持っていってやった。


「お前がアホゥなことしてるから冷めちまったじゃねェカ。ほれ食え、口開けろォ」


 呆気に取られていて固まっていた勇者をようやく我に返り、匙から顔を背けた。もちろん毒が入っていると思ったからだ。毒で死んでも神の恩寵で生き返ることが叶うが、生き返るには時間がかかる。世界を救うためにも時間を無駄にする訳にはいかないのだ。


「おいィ、腹減ってンだろォ? 食えよォ。人間が食っても死なねェからよォ、たぶン」


 勇者は回り込んでくる匙を避けて避けて避けまくる。


「腹減ってないのカ? いやだったら自分の手なンざ食わねェよなァ。アッ、肉のほうが良かったのカ? 肉が食いたい気分なのカ。気持ちは分かるが、人間が療養中にそンな事したら胃が死ぬゾ。元気になったら食わせてやるからナ? ほれ、今日の所は粥を食エ」


 ついには頬を掴まれて無理矢理口をこじ開けられた。歯を食いしばって拒絶しようとしたが、魔王の腕力には敵わず、勇者は口に放り込まれた粥を飲み下してしまった。


「どうダ? 美味いカ?」


 歯をむき出して威嚇わらうする魔王に勇者は殺意を覚える。こんな不味いものを食わされるなんて屈辱だ。

 どろどろとした赤紫色の何を溶かしたのか分からない、刺激臭のするなにかは、えぐみが凄いは、酸っぱいは、苦いは、と不味さの塊でしかなかった。ほんのり甘さを感じないでもないが、他が酷すぎて不味さを強調する要因にしかなっていない。

 水を飲んで口内をリセットしたかったが、赤紫色のなにかはどんどん口に運ばれてくる。吐き出してやろうとしても魔王はそれを許さない、とばかりに口を塞ぐのでそれすらできなかった。なんて惨い拷問だ。

 魔王がいなくなってから吐き戻してやる、と腹を決めた勇者はとにかく早く拷問を終えるために、酷い臭いと味に耐えて飲み下していく。

 死ぬ気で食べ終え、多大な精神ダメージを負った勇者は魔王が出て行く瞬間ときを待った。

 しかし魔王は出て行く気配がない。枕元でぺちゃくちゃと小鳥のようにうるさく喋っている。いや、小鳥のようにかわいらしい図体ではないが。むしろ怪鳥の部類だが。

 さっさと出て行け、と念を送るがもちろん届きはしなかった。

 意味の分からない魔王の言葉は勇者の耳を素通りしていき、ふかふかのベッドと、とんでもなく不味かったなにかで膨れた腹のお陰か、眠気がやってくる。退屈すぎて脳が飽きているのだ。

 もしや睡眠薬が仕込まれていたのか、と勇者は眠気に抗おうと口の中を噛んだ。しかしそれを目ざとく見つけた魔王に片手で両頬を潰され中断させられた。

 眠らせて何をするつもりだ?! と睨んでも魔王の指は小動もしなかった。時期に妙な節のついた言葉を喋り始めた魔王が、勇者の腹をシーツの上からぽん、ぽん、と叩く。

 まさか、寝かしつけられているのか……?!

 辿り着いた結論のあまりの衝撃に勇者は硬直し、思考の停止した脳は速やかに身体のスイッチを切った。つまり、勇者は見事に気絶したのだった。



「お、やっと寝やがっタ。フフン、寝物語は駄目だったが、子守唄が効いたナ」


 勇者は子守唄が効く、と脳内にメモをし、魔王は食器を片付ける。枕に埋もれて死んだかのように眠る勇者はよく眠っている。


「明日はなにを歌ってやろうかなァ」


 勇者と魔王のすれ違い生活の幕開けだった。



「魔王様~、そろそろ運動を切り上げてくださ~い。報告会がはじまりま~す」

「エ~、ヤダ~。オレもゥ魔王辞めてブリーダーになるゥ~。なァ~、勇者~」

『死ね』


 勇者の繰り出した剣を腕で受けながら、魔王は朗らかに笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王様は今日も魔王を辞めたい 結城暁 @Satoru_Yuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

同じコレクションの次の小説

噂ってやつは当てにならない

★0 恋愛 完結済 1話