日々の憂いに雨音を添えて

くろこ

雨宮遥―①

「……えぇぇ! 延期だってぇ!」


 いつものように朝食をとっていた私、雨宮遥あめみやはるかは、携帯電話の画面を見ながら思わず大声をあげる。


「天気予報でも、今日は一日中大荒れだって言ってたからな」


 何か異形いぎょうでも見たかのように叫ぶ私とは正反対に、父親は淡々と箸を進めていた。

 今日は、県内の陸上競技大会が開催されるはずだった。夏に開催されるインターハイの予選。


「そ、そうだけど、陸上の大会が雨で延期になるなんてなかなかないんだよ!」


 基本的に陸上の大会は雨で延期や中止になることなんてない。中学生だった頃も、雨の中百メートルを走ったのを覚えている。だから、今日が雨の予報であることは分かっていたけど、まさか延期になるなんて予想していなかった。


「それじゃ、俺は行こうかな。ごちそうさまでした」


 そう言うと父親は茶碗と箸を台所に持っていく。


「え、今日休みとってあったんじゃないの?」


 今日は家族みんなで、私の走りを見に来てくれる予定だった。


「そうだけど、延期になるなら休んでいる意味がないだろう? やらなきゃいけない仕事を残してきてるんだ」


 なんとか反論しようと思ったが、何も出てこなかった。それに、延期先に休みを改めてとってもらうなら、今日は行った方が賢明であることも理解できた。私はできる限りの抵抗として下唇を噛む。


 「ほら、遥も早く食べちゃいなさい。大会がないなら買い物行くわよ」


 二階から母親の声が聞こえる。私はさらに肩を落とした。別に母親との買い物が嫌なわけではない。


 「こんな豪雨の中買い物なんて、嫌だよ。どうせ私は荷物持ちでしょ?」


 そう。母親と買い物に出かけるときは、決まって私が荷物持ちを担っていた。母親も、父親が仕事でいない分、私の足と手が欲しいだけに決まっている。


 「いいじゃないか。たまには雨の中のドライブや散歩も」


 父親はなぜか雨の日が好きだった。見た目や雰囲気からして晴れが大好きな活発な男性、とは程遠いのはたしかだが、雨が好きな理由が私にはどうしても理解できなかった。

 スーツに着替え、玄関で靴を履いている。


 「えーだって、濡れるし、寒いし、雨の音はうるさいし、いいことなんて一つもないじゃん」


 私は父親を見送るために、パジャマ姿のまま玄関に行った。


 「そうかな。俺は雨、結構好きだけどな」


 「いってらっしゃーい!」


 父親が振り返ると同時に、再び二階から母親の声。私もそれに倣った。


 「いってきます」


 ドアを開けて、スーツ姿の父親が雨の中に消えた。まるで雨の中に吸い込まれてしまったかのように。


 そして、再び現れることはなかった――。

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