78,脱出

 


 ――足音は更に近づき、そして門の周りが明るく、そして雄叫びのような大量の人の声が聞こえてくる。



 そして――見えた。


 松明や槍を持った男達――おそらくは兵士だろう。


 門の隙間からなだれ込み、こちらに向かって走って来る。



 ミーニャが、声を震わせながら叫んだ。


「はわわ、あの装備の紋様、どう見ても王国軍ですよ!?何度も追われたことあるので間違いないです!なんでこんなところに………」


 ミーニャはわざとらしいとすら思える声で、その様子を説明してくれた。

 それに続きフィアルも声を荒げる。


「大方、あの女が呼んだんでしょ!さっさと逃げるわよ!」


「でも!!トピア様が!!」


 ミーニャがフィアルに詰め寄る。



 そう。依然としてメイは、俺の前に立ちふさがっている。

 俺がミーニャに指示したとはいえ、自身の招いたこの状況には辟易する。

 そして、フィアルは俺にとって最悪の決断をした。


「命あっての物種よ、いいからさっさと森の中に逃げるわよ!!」


 フィアルがこの場全員に聞こえるような声で叫んだ。




 ――それは、俺に実質的にまた屋敷で数日間を過ごせと言われているようなものだった。


 腑に落ちない点はあるのだが、でもこればっかりは仕方ない。

 フィアルとミーニャが俺なんかのために死ぬよりは、ずっとましだと思った。


 でもおそらくこれからは警備が強くなるだろう。そしてそれは、ミーニャたちの俺の救出という目的が困難になることを意味している。


 それはもしかしたら俺の寿命が尽きるまで、なのかもしれない。

 また、あの絶望の日々が戻ってくるのだろうか。




 ――それはもう嫌だ。もう何も考えたくない。


 俺は自分自身の無力さを嘆きたい。でももうそんな事すら無意味だった。



 もうメイを受け入れるべきなのだろうか。そして彼女との快楽に身を委ねるのが良いのか。


 それとも、今この場で舌を噛み切って死んでやろうか。






 ――そして、俺が再び心を闇に葬り去ろうかと思ったその時、何処から声が聞こえて来た。




「「と見せかけて!!――今だ(です)!!!」」




 俺がフィアルの言葉を信じ切って希望を断たれたと感じた。


 だがそれと同じく、メイ――


 彼女も俺と同じようにフィアルが言ったこの場から逃げるという言葉を、信じ切ってどこか油断していたのだろう。

 そして、それは彼女の最大の過ちとなった。



 その言葉を合図に、ミーニャが横に展開する。


 そして――



「トピア様!ごめんなさい!!」


 そう言うと、ミーニャは手に隠し持っていた長いひも状の物を、俺に向かって投げた。

 それは先端が投げ縄のようになっており、その投擲の精度は辺りは薄暗いにも拘らず完璧だと言ってよかった。


 その縄の先の輪の中に、見事に俺の胴体が嵌り、そしてそれを見たミーニャは手元に残っていた俺に繋がる縄を力強く引っ張る。


 俺は一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 俺が感じたことと言えば、胴体に強く締め付けられる圧迫感と、重力が無くなるような感覚――


 傍から見れば俺はミーニャに、ロープを通して引っ張られ宙を舞ったのだろう。

 気づいた時には、俺は触り応えのある腕の中に居た。



「――あっっ!!!」


 メイは短い悲鳴を上げる。

 完全に彼女の隙を突いた状態で、メイはまんまと俺の奪回を許してしまった。



 しかし、メイの不運は更に続く。



 奪われた俺にメイが釘付けになっている瞬間――



 もう片方の頭部に角を持つ人物が、メイの正面から彼女に迫りくる。



 フィアルが、メイの不意を突いた状態で、あのレイピアを真正面から彼女の体、おそらく心臓部分に突き立てようとした。



 しかし、それにただ何もできず、やられるようなメイではなかった。


 咄嗟に左腕を正面に構え、そしてフィアルの剣を前腕部分で正面から受け止める。

 腕の一本で受け止められるようなものではないが、体の急所を抉られるよりはましだ。

 腕は貫通するだろうが、剣の軌道が体の急所から外れたのなら、御の字だ。



 ――ッガ!!



 しかし、予想とは裏腹に、フィアルの剣はメイの腕を貫通することは無く――



 ――メイの腕の表皮の辺りで受け止められてしまった。


 左腕に籠手でも着けていたのだろう。

 それは金属同士がぶつかったとは思えない鈍い音を立てて、完全に剣の勢いを止めた。



 これ以上の戦闘はもう無理だった。

 もう兵士たちが、目の前まで迫ってきている。

 これ以上戦いを続ければ、囲まれて孤立してしまう。

 これがフィアルにとって最後の攻撃の好機だった。




 ――だからフィアルは諦めきれなかった。


 腕だけで受け止められたと分かった時のフィアルは、驚愕、失望といった表情をしていたが、

 すぐに、気迫を取り戻し、そのままメイの腕に突き刺さりかけている剣に全身全霊の力を込めた。



「――おりゃああぁぁぁーーーー!!!!」



 すると、どういう事だろう。


 メイの腕からは、ピシピシと不可解な音を立てはじめ、そして――



 剣はメイの腕を貫通した――



 このままでは剣は体まで貫かれてしまう。


 メイは咄嗟に左腕を上げた。

 そして彼女の目的通り、剣の軌道を寸でのところで逸らした。


 しかし、完璧にメイの思い通りに逸らせたわけでもなかった。

 なぜならメイの左肩には、フィアルの剣が深々と突き刺さっていたのだから。


 後ろからミーニャの叫び声が聞こえる。



「もう絶対に絶対、これ以上は無理です!!まだ続けるなら間違いなく置いていきますからね!!」


「――くそっ!!」


 フィアルは分かりやすく悪態をつく。


 そして、メイの肩すら貫通した剣をいとも容易く、引き抜く。



「――ぁがっ!!!」


 メイは苦悶の表情を浮かべ、その場で蹲る。そして左肩からの出血箇所を押さえている。

 もう動くのは無理そうだった。


 そして、フィアルはこちらに向かって全力で走って来る。


 その直後、最初に近づいて来ていた兵士たちが、何名かは心配そうにメイに駆け寄る。

 そして、何名かはこちらが逃走しているのを見て追って来た。




 俺はミーニャに抱き抱えられながら、段々と遠ざかって小さくなるメイを眺めていた。

 剣を地面に突き立て、左肩を押さえ、そして――




 ――こちらを俺の顔を見つめていた。


 悔しがるでもなく、悲しむのでもなく、怒り狂うのでもなく………


 ただこちらを、思いつめた様に見つめるだけであった。



 何故か、俺は……



 その光景を見て、切ない思いを抱いてしまっていた………


 今更メイに情が湧いたなんてことは無い。


 ただ、切ない、


 そうどこからか来るその想いが、感情を支配していた。




 ――でもあの日常に戻る気なんて無い。


 

 





 ――ミーニャは俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、猛スピードでメイから遠ざかる。



 俺を抱えたまま、屋敷の裏へ回り、


 そして門とは反対側の壁にたどり着く。



 目の前には登れそうもない高い壁、



 しかし、ミーニャのあの跳躍の前には無意味だった。


 軽々と飛び越え、そして後から追って来たフィアルを――



 壁の上からロープを下に垂らし、


「早く掴まってください!!」


 その指示にフィアルは何も言わずに掴む。

 そして、壁伝いに上って来る。


 ミーニャも俺を抱えながら、ロープに掛かるフィアルの体重を支える。

 さすがにミーニャでもきつそうだった。


 そしてようやくフィアルが上ってくる。



「逃げます!」


「ええ!」


 二人は短く確認しあう。



「この森は木々やツタが絡み合い過ぎて、地上からの追跡はほぼ不可能です。遠くに逃げればほぼ安全でしょう!」




 目の前には、鬱蒼と生い茂る森がずっと、――永久ともいえるほど続いている。

 まるで一度入ったら、彷徨い続けそうで、俺は怖くなった。

 しかし、門の周りには戻れない。俺たちはこの森を進むしかなかった。


 でも、この場にはミーニャもフィアルも居る。

 それだけで俺は、何処かこれからの何があっても安心できるような気がした。




 ――こうしてミーニャとフィアルの救出作戦は、紆余曲折を得たものの、結果的には成功したのであった。

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