73,慕情

男女間の行為を仄めかす表現があります。

直接的な描写は控えましたが、苦手な方はご注意のこと。

 

――――――――――――――――――――



 ――あれからもう、早十日ほど経とうとしている。



 毎日が、もう同じことの繰り返し、寝ることと食事をすることの繰り返し、


 徐々にメイが俺の話を聞いてくれなくなった。

 いやだと言っても、そのまま部屋に居座り続けたり、俺の体を持ち上げて移動したり、常に俺の視界内に居る。


 もう文句を言っても聞き入れてもらえず、言うだけ無駄なので俺も何も言わなくなった。

 しかし、そうするとメイは更に俺に構うようになってきた。


 執拗に話しかけてきたり、積極的に新しい本を読み聞かせられたりしてきたが、もうほとんど無視している。



 結局、メイは俺が嫌がることばかりしてきて、何がしたいのか分からない。

 俺をこうまでして屋敷に留めさせる目的も教えてくれない。


 ありとあらゆる不安を全てはきだして、ようやく不必要な雑念に襲われなくなった。

 そして俺はただ頭を空っぽにして生きていく日々、こんな刺激のない生活がずっと続くのだろうか。

 突き付けられる現実は、ただ俺に絶望だけを与える。


 ここ二、三日は本当に何も考えていない。

 だって、本当にやることも無いし、考えることも必要無いんだから。

 能動的に何かやろうと思っても、こんな体ではできることもたかが知れている。


 寝ている時が現状の唯一の救いだ。段々寝ている時間の割合が高くなっている気がする。

 毎日を無気力に過ごし、廃人と言われてしまっても大いに同意する。


 でも、楽しみが他にあるわけが無いし、食事ももうほとんど味を感じない。食べるという行為は、もはや作業と化している。

 食堂にも赴かなくなり、メイが部屋まで料理を運んできて食べさせてくるだけだ。


 苦痛を伴わないだけまだましなのかもしれないが、毎日が無聊を託つ有様だ。体も常に倦怠感しか感じない。



 そして、この数日は俺の精神と自我を打ち砕くには十分だった。


 たった数日でこんなに、沈鬱な思いになれたのは前世の体験のおかげであろうか。

 患いが無いおかげで、自殺念慮のようなものに駆られることも無い。


 そうか、理解した気がする。

 人はおかしくなったから、発狂したり廃人になったりするのではない。

 自我を維持するよりも生命を優先し、おかしくならないため人は狂うのだと。





 やがて、日付の感覚も無くなりかけて来たある日の夜――



 初めの頃は彼女の介意にも動作や視線などで反応を示したが、無気力になった俺はもう反応を返すのすら面倒になってきていた。

 虚空に目を向け、もうメイの存在の事は思考の外に追い出していた。



 そしてあの俺をこんな体にした女が、また俺に向かって何かを言って来る。

 またいつものつまらない内容だと思って、俺は彼女の言葉を蔑する。



「――ねえ……?なんでなにも話してくれないの……?」


 でもそれは、いつもの彼女の言葉とは思えなかった。

 その雰囲気も、表情も、声色も、全てが違っていた。



「屋敷にずっと居て退屈でしょうから、あたしも色々工夫して頑張ったの……」


「料理とかもあなたの好みに合わせた物を作ったし、面白い話も持ってきたのに、なんで見向きもしてくれないの?」


「今までも聞いてたけど、したい事とか、食べたい物とか何か無い?」


「どうして何も言ってくれないの?口をきけないわけじゃないんでしょ?」


「あたしはどうしたらいいの?ただあたしは――あなたのために………」


「これは、あたしの独りよがりだっていうの?これは……」



 ――俺はこの時、これらの言葉は頭にすら入っていなかった。

 やがて、彼女は頭を抱え、おかしくなり始めた。


「ねえ、お願い!何か答えてよ!あたしだけにしないで!」


「不満でも罵倒でも中傷でもいいから、何か言ってよ!」



 ――そして、彼女は自身の内に強く押し込んで秘めていた事を、本人の前で初めて口にした。


「あたし、あなたの事が好きなの!途方に暮れてたあたしに声をかけてくれた時、あたしの存在価値を認めてくれた時からずっと!!」


「いや、好きとかじゃなくて、愛している!あたしの伴侶は、絶対あなたじゃなきゃだめなの!あなた以外は想像したくないの!」


「――ねえ、あたしの本音は包み隠さず全部話したの………それでも何も言ってくれないの?」


「………………っ!」



 やがて、彼女は一方的にこちらに向かって言葉を浴びせるだけ浴びせた。

 そして、俺からの応答が無い事が分かると部屋から、感情的になって足早に出て行った。


 やっと、静かになった。ただでさえ昼間から騒々しいのに、夜くらいは押さえてほしい。


 夜は食後にすぐ眠くなるから何も考えずに居られると踏んでいた。

 そう思っていたのに、あれからは何故かその現象は一度も起こらない。


 起きてほしい時に起こらない。

 メイと同じく本当にただただ面倒なだけの存在だ。




 ――そしてしばらく時間が経ち、先程部屋から出て行ったばかりのメイが、再び部屋に戻ってきた。



「ねえ……?あたしもう耐えられない。だから、もう我慢しなくて……いいよね……?」


 メイは、そう言うとベッドの上に寝そべる俺に、覆いかぶさるように傍に来た。

 それは今までになかった接触で、思わず目を遣ると先程の彼女の装いとは違った。


 その身が纏っているのは、いつものお堅い制服のようなものではない。

 それはうまく形容できないが、肌襦袢のような服をしている。


 俺は彼女の顔を一切見なかったのだが、先程とはまた違った様子だという事は分かる。

 実際のところ、メイは顔を赤らめ、思いつめたような表情をしていた。



「……黙っているってことは、その、きっと……いいって事よね?」


「……あたしと一緒に寝てくれるってことで……ね?」



 そして、メイは懐から謎の液体が入った瓶を取り出した。

 そして、全て一人で中身を飲み干すと――



 ――俺に口移しで瓶に入っていた半分ほどの量を、俺の口に流し込んでくる。

 そして続けた。



「――あたし、寂しいの。このままだと何もかもが、手から零れ落ちてしまいそうで、目の前から消えてしまいそうで………」


「だから、これ以上絶対に手放さないように、繋ぎ留めたいの!」


「昔はトピアと形だけでもいいからって思った、でもあたし本当はそんなのじゃ満足できないの。あなたと………本当の家族になりたいの!」


「気色許りだけなんて考えられない!あたしはそんなんじゃなくて、トピアと身を伴ったつながりが欲しいの!」


「あたしは、あなたの事に関してなら何でも答えられる自信がある。でもそれでもまだ足りない…

 あなた自身が知らないあなたの事も、私は知りたいの……」



 そして、メイは部屋の灯りを全て消し、暗澹を部屋へ招き入れる。

 部屋は暗闇の中、しかしその闇の中にも影が残っている。

 そして彼女は互いの服を剥ぎ取り、静かに身を重ねてきた。





「――ただ、今のあなたが辛そうで………たとえ少しの間だとしても、楽な気持ちになってくれたらあたしもうれしい。――ただそれだけなの………」



「なんで、今まで行動しなかったんだろう。もっと早くしていれば良かった!」




 ――それは、メイの想いや心意気は感じられるものの、あまりに一方的過ぎる行為と感情であった。

 しかし、こちらは何も感じない。いや何も感じないように努力していただけなのかもしれない。



 ◇◆◇◆







 ――またそれから数日が経った。



 俺はメイのあの行為を初めから抵抗しなかった。

 拒絶したいほどではないが、受け入れていた訳でもない。

 でも抗う気力も無いし、抵抗したところで無意味だと初めから気づいている。

 そんな事よりもとにかく自分を守るために、ただ何も考えない事だけを意識していた。



 メイはあれから毎夜のようにベッドに入り込んでくる。

 彼女は休憩を挟みつつも一度始めると、こちらに構わず朝までずっと繰り返す。

 初めの動きはぎこちなく、こちらを気遣うようなものだった。

 だがしかし、今ではもう一人で快楽を貪るような独善的なものになっていた。


 俺はただ、無言で何も考えることなく、故に容認せざる負えない状況だった。






 ――しかし、こんな日常も恒久的には続かなかった。

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