第四話 使用人
「旦那様は……その……」
通常、貴族邸の門は衛兵が護っているのが一般的ですが、その邸には誰もおりませんでした。
ストラド子爵家は父上さまに取り潰されたので、本来ならそこは空き家となっているはずです。しかし邸には十人を超える使用人が住み込んでおり、追い出しても行く宛がないとのことで、取り壊すまでの期間に限って住み続けることを許されておりました。
貴族にとって取り潰しは何にも勝る不名誉です。そんな主に仕えていた使用人たちの、再就職が難しくなるのは当然ですわね。
ですから彼らが私に仕えたいと言っている理由には、そのような事情があると考えるべきなのです。とは言え、ちゃんと働いてくれるなら雇用は問題ありませんが、家格はこれまでと天と地ほどの差があります。
父上さまが選定をお任せ下さったのは、そのような意味があるからでした。
「いえ、ご領主様に目通り願おうなどとは思っておりません」
「では何を?」
「旅の途中で野盗に金品を奪われてしまいまして」
「えっ!? お怪我はないのですか!?」
「ご心配頂きありがとうございます。素直に持ち物を全て渡したら危害は加えられませんでした」
「そうですか。それは不幸中の幸いでしたね」
そんな
「ただ、私の一存で何かを差し上げるわけには……」
「少しで構いませんので、食料を分けて頂くことは叶いませんでしょうか?」
「食料、ですか?」
「はい。実はここに来る前に領民の方々にお願いしようとしたのですが、私たちを見ただけで家の中に入ってしまい、呼んでも出てきて下さらなかったものですから」
「ああ、なるほど……」
敗戦からすでに四カ月。ですが未だ新たな領主が赴任してこないことに、領民たちは不安を募らせているのでしょう。余所者には極力接したくないという気持ちも分かります。
領主不在の今、彼らを護ってくれる者は誰もいないのですから。
「少しお待ちになっていて下さい」
そう言って少女は邸の中に戻っていきました。中に入れてくれそうにはありませんわね。
『シャネリアよ』
「はい? どうされました?」
『邸の中には今の小娘と、人間の単位で初老の男一人しかおらんぞ』
「え? どういうことでしょう?」
『金になりそうな装飾品は元より家具、食器に至るまで、ほとんど持ち出されたようだ』
「まさか……!」
『使用人共が持ち逃げしたのだろう。食料もほんのわずかしか残っておらん』
邸の者たちは私の下で働くことを望んでいると聞いておりましたが、これはとんだ誤算でしたわね。きっと父上さまが調査なさった後、家格が違い過ぎる下級貴族の使用人が再雇用されるわけがないと考えて、早々に逃げ出したのでしょう。
愚かなことを。
「その者たちを見つけ出すことは叶いますか?」
『造作もない。すぐに消し炭にするか?』
「いえ、それには及びません。私が赴任してから逮捕して反逆罪で裁きます。その時にお力をお貸し下さい」
『心得た』
一方ダロワ殿によると、少女は足腰が弱った初老の男性使用人を気遣って、邸に居残っているそうです。それなのに――
「お待たせ致しました。これが精一杯ですが、お役に立てれば嬉しく思います……」
戻ってきた彼女が差し出したのは、いくつかのパンと果物でした。精一杯、実はこれが邸に残された食料の全てだったのです。
ダロワ殿曰く、彼女は男性使用人に私たちのことを話し、自分たちにはもう未来がないから、残った食料を旅人に渡しなさいと言われたそうです。そして男性は、涙を流しながら彼女に謝っていたとも。
彼は何度も自分を置いて邸を出ていくように諭していたようですが、彼女は頑としてそれを聞き入れなかったとも教えて下さいました。
『二人は祖父と孫の関係にあるようだ。小娘の両親も家財を持ち逃げしている』
「自分の娘を放ってですか!?」
『生きるために捨てたのだろう』
「納得いきませんわ!」
「あの……本当にこれしか……」
「え? あ、ごめんなさい」
ダロワ殿と念話で話していたつもりでしたのに、最後の言葉がつい口をついて出てしまったようです。少女が今にも泣き出しそうな表情を浮かべています。
いけません。
「貴女、お名前は?」
「え? あの……ロマリエです……」
「ロマリエさん、この領地の次の領主が誰だかご存じ?」
「そ、それは……はい……ですがその方は雲の上の方ですので、私などはきっと追い出されてしまうと思います」
「そんなことするものですか!」
「は、はい?」
「そのパン、ありがたく頂戴致します」
「はい……どうぞ……」
「ダロワ殿」
『うむ』
私が目を向けると、彼は靴の裏から金貨を一枚取り出して渡してくれました。それを彼女に差し出します。
「パンの代金です。受け取って下さい」
「き、金貨!? でも、金品は奪われたのでは?」
「旅人が本当に全財産を野盗などに渡すと思っているのですか?」
「にしても、金貨など受け取れません!」
「何を言うのです。私たちは今、とてもお腹が空いています。ですが金貨は食べられません」
「でも、金貨があれば食べ物などいくらでも……」
「先ほど申しましたでしょう? 領民の方々は私たちを見ただけで家の中に入ってしまい、呼んでも出てきて下さらないと」
「あ……」
「金貨があっても食料を譲って頂けなければ意味がありません。ですから頂いたパンは私たちにとって金貨と同じ、いえ、それ以上の価値があるということなのです」
「あの、私もお名前を伺っても?」
「シャネリアと申します」
「シャネリア様……どこかで聞いた覚えが……シャネリア……シャネ……シャ、シャネリア皇女殿下!?」
「あら、私をご存じでしたの?」
「ひ、ひぃっ! ご、ごご、ご無礼を……ご無礼をお許し下さい!」
彼女はいきなり
「ご安心なさい。私は旅人だと申しました。ですから今は皇女の立場にはありません」
「で、ですが……!」
「さ、立って顔を上げて。貴女と、貴女のお祖父さまは絶対に悪いようには致しませんから」
「へ? どうしてお祖父ちゃん……祖父のことを……?」
「お気になさらずに」
「はっ! はいぃっ! も、申し訳ございません!」
「いいからお立ちなさい。貴女方お二人は私が正式に領主を拝命し、新たな領主邸が完成したらそちらで働いて頂きます。よろしいかしら?」
「も、もったいないお言葉! この命に代えましても!」
今度は直立不動の姿勢で敬礼ですか。面白いお嬢さんですこと。
「命を賭けられても困りますが、数日のうちに衛兵を派遣します。この邸はいずれ取り壊されますが、それまでは自由にお使いなさい。お二人の生活も私が保障します」
「ありがとう……ありがとうございます!」
それから領民たちには私の正体は隠しておくように告げ、ダロワ殿と共にお城へと戻るのでした。
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