第二話 黒竜の巫女
「それは真か、シャネリア?」
「はい」
「
私からの耳打ちを聞いた父上さまは、再びアントデビス皇帝陛下とクリニシカン教皇
「失礼しました」
「美しい姫君からは何だったのかな?」
「気になりますな」
どうやらお二人は今の行動を、単なる家族間の内緒話と捉えたようです。これまでの険しい表情とは打って変わり、相手を茶化すいたずらっ子のような目をしておりました。
お可哀想に。思っていることと事実の差が大きければ大きいほど、受ける衝撃も激しいものとなるでしょう。
「条件次第で黒竜が手を貸してくれるそうです」
「ん?」
「今なんと?」
「我が娘シャネリアは、唯一黒竜たちと心を通わせることが出来ます。そして彼女は黒竜の長よりこう言われたそうです。
シャネリアを黒竜の巫女として
「なっ……」
「勤めるのはモートハム聖教の信者でも、改宗する必要はないとのことです。従えば赤竜が攻撃の意思を持って飛来した時には、追い返すか殲滅してくれるそうです」
「待って下され! 神聖なる我が聖教は他信仰を認めてはおりませんぞ!」
「クリニシカン猊下、黒竜殿はそれを認めろと言われております。これが何を意味するか、お分かりにならないはずはありますまい」
「クリニシカン殿、我が帝国はこれまで同様、モートハム聖教の布教を許すことに変わりはない。それでも黒竜の申し出を認めないと言われるなら、国教を改めざるを得ないがよろしいか」
「ぐっ……」
父上さまと皇帝陛下に責められ、教皇猊下は苦虫をかみつぶしたようなお顔になりました。
無理もありません。私は一宗を立ち上げるつもりはありませんが、ここで他信仰を認めてはしまえば、聖教にとって都合の悪い宗教が興る可能性もあるからです。
その最たるものが聖魔法の使い手の囲い込みでしょう。他教に聖魔法を使える者が流れてしまっては、聖教皇国の立場が大きく揺らぐかも知れないのです。
ですが認めなければ、帝国ばかりか黒竜を敵に回すのと同義となります。
そして猊下はこう考えるでしょう。つい先ほど結ばれた不可侵条約は破棄され、コートワールとベッケンハイムの両帝国が同盟を結び、いずれ聖教皇国に戦争を仕掛けてくるのではないかと。
つまり、選択肢はないということです。
「分かり申した。ベッケンハイム帝国内においてのみ他信仰を認めよう」
新たな信仰は黒竜信仰と名づけられました。巫女である私を崇め奉り、黒竜を畏れることで平穏が保たれるという至極簡単な教理です。
それにしても、他国で崇められるなんてよい気分ですわね。聖堂ができあがったら、一度くらいはダロワ殿と訪れてもいいかも知れません。
ところで帝国に聖堂を建てて私を信仰させる理由ですが、我がコートワール帝国もベッケンハイム帝国も、国教としているのはモートハム聖教です。
ダロワ殿は自分たちが聖教と結びつけられる、つまり人間の宗教ごときの宣伝に利用されるのを嫌ったというわけですね。
「聖堂の
「父上さま、ご許可頂けますか?」
「無論だとも」
「ではアントデビス陛下、日程が決まったらお知らせ下さい」
「うむ。してシャネリア殿」
「はい?」
「黒竜も共に来られるのかな?」
「ええ、おそらく。ですが姿を見られるかどうかはお約束致しかねますけど」
「左様か。出来れば姿を見せてほしいと伝えてはくれぬか?」
「かしこまりました……ならば聖堂の敷地は最低二百メートル四方で、建物はその中心に建てよとのことです。見世物になるつもりはないが一瞬なら姿を見せてもよいと、そう申されております」
「おお! しかとそのように取り計らおうではないか!」
ダロワ殿からの念話を伝えると、アントデビス陛下は大喜びでした。対照的にクリニシカン猊下のお顔は曇っておられます。
仕方ありませんわよね。まさか聖教皇国内で黒竜信仰を認めるわけにはいかないでしょうし、そもそもダロワ殿から何の打診もないのですから。
そして翌日、アントデビス陛下とクリニシカン猊下は多くの貴族や護衛たちを伴って、自国への帰路に就いたのでした。
◆◇◆◇
『聖堂へは我に乗っていくか?』
「まあ! よろしいのですか?」
『乗せるのはお前だけだ。お前の父も母も兄も例外ではない』
「それですと父上さまたちが悔しがりますわね」
そんなこともダロワ殿には興味がないのでしょう。
これまで何度か彼の背中に乗って空を飛んだことがありますが、それはそれは快適な乗り心地でした。
全身が大きな球状の結界に包まれ、乗るというより背中の上で浮いている状態になるため、揺れなどは全く感じません。上昇時や下降時、旋回時にも逆さになったり斜めになったりせず、とても安定感があります。
結界そのものもフワフワしており、まるで毛足の長い
また、ソファなどを用意すれば共に包んで下さるので、ゆったりと座って空の旅を楽しむことも出来るのです。
もっともお願いすればいつでも飛んで下さるのですが、私は人の姿で横に立って頂く方が好きなので、空より城下を一緒に歩くことが多くなっておりました。
「ではダロワ殿には私が乗せて頂くとして、他のどなたかに両親と兄上さまたちを乗せて頂くことは叶いませんでしょうか」
『それはお前の望みなのだな?』
「はい」
『ならボクがその役、引き受けるよ』
この声は幼竜ヴィンスキーグノワ殿ですわね。幼竜とは言っても彼の体長も二十メートルあります。父上さまたち全員を乗せても問題はないでしょう。
ただ一つ気がかりなことがありました。それは――
『雷のことなら心配しなくても平気だよ』
私と黒竜が初めて会った日のこと、彼は雷に打たれてその身を焼かれ、瀕死の重傷を負っていたのです。成竜であれば雷などなんともないそうですが、生まれて数百年の幼竜では直撃は命に関わる大事だそうです。
ですから飛行中にまた雷に打たれたら、騎乗する父上さまたちも危険ではないかと心配してしまったのですが。
生まれて数百年でも幼竜、というのは気にしてはいけないところですわね。
『雲の上を飛ぶから大丈夫だって』
『ヴィンスキーグノワもようやくヒョムラピオ山を越えられる高さまで上がれるようになったからな』
「ヒョムラピオ山……標高一万メートルですわよね?」
『人間の単位はそうだったか。とにかくもう、あのような不覚を取ることはないであろう』
「でも何故ヴィンスキーグノワ殿が……?」
『ボクもグノワでいいよ。ボクはお姉ちゃんに助けられた張本人だからね』
「お、お姉ちゃん?」
なんでしょう、この胸の奥から溢れ出るような狂おしい感情は。私には兄上さまたちしかおらず、心の底ではずっと弟か妹が欲しいと願っていたのです。それがこんな形で叶うなんて。
『お姉ちゃんの願いなら何だって叶えたいと思うに決まってるじゃないか』
『我もお前のことをお姉ちゃんと呼んだ方がいいのか?』
「申し訳ありません。ダロワ殿では満たされませんので」
『ぐぬぬ……』
「ではグノワ殿」
『殿ってのもいらないって。グノワって呼び捨てでいいから』
ああ、弟感マシマシです。
「では改めましてグノワ、父上さまたちをお願い出来ますか?」
『やった! やっとお姉ちゃんの役に立てる!』
抱きしめたい。何かに目覚めてしまいそうです。
『ぐぬぬ……お姉ちゃん……』
「ダロワ殿はダメです!」
『ぐぬぬ……』
幼竜とはいえ、私よりはるかに長い時を生きてきた黒竜に向かってそんな思いを抱きながら、私はベッケンハイム帝国を訪れる日が待ち遠しく感じるのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます