第七話 誤算
「コートワール公国のワイバーン騎兵隊か」
連合王国軍大将のバルモア・リゼンスキーは、ジルギスタン王国王城を包囲した陣から、マルール河の対岸に展開されたコートワール公国軍を眺めていた。
整然と羽を畳んで並ぶワイバーンたち。聞けば公国は千騎ものワイバーンを所有しているそうではないか。あれはその一部なのだろう。それでも百騎はいるようだ。
さらに後ろの七つの黒い影はどの城の塔よりも高く
「あれが黒竜……」
ここに来て丸一日。先ほど軍の総司令官でもあるエリック王子が、無事に王位
もちろん、事情を知っている対岸の公国にも伝令を送った。
兵たちの安堵の表情は得難い幸福である。王城に攻め入ったのはわずかな兵力のみだったため、被害も最小限に抑えられた。
六つの小王国が互いに身を寄せ合い、ジルギスタン王国は元より帝国や聖教皇国からの侵略に怯えた日々も、あと一歩で終わりを告げる。
エリック王子にはジルギスタン王国を柱として、連合王国の頂点に君臨する野心があるようだ。だが所詮
今回の侵攻は、ジュクロア王子がコートワール公国公女との婚約を破棄したために、縁を切られたジルギスタン王国が弱体化したことに端を発する。決してエリック王子が自国の貴族たちをまとめ上げて、連合王国軍を決起させたわけではない。
焦れた急進派の貴族たちからの強力な後押しがあったればこそだ。連合王国側も王国に攻め込む隙を窺っていたところに、タイミングよく騒動が起こったに過ぎないのである。
バルモアは機を見てコートワール公国と友好条約、あるいは軍事同盟を結ぶ必要性を感じていた。空軍を持たない連合王国と、あってもワイバーンの数で圧倒的に劣るジルギスタン王国。加えて公国には十一騎もの黒竜がいると聞く。
万が一戦争にでもなれば、こちら側は一日と持たないだろう。しかし強力な空軍を擁する公国と条約や同盟の締結が成れば、ようやく連合王国民が安心して暮らせる世の中となるのだ。
そう、あと一歩なのである。
「皆の者、見よ! あれが味方となる日も近い!」
悦びの余り叫んだ彼の大声に、およそ一万の軍勢が一斉に国境を向いた。だがその瞬間、彼は取り返しのつかないミスを犯したことに気づく。
直後、そこには思わぬ光景が広がっていた。巨大な翼をはためかせて飛び上がる黒竜と、それに付き従う十二騎のワイバーン。一騎の黒竜につき二騎のワイバーンが一組となって彼方へと飛び去っていく。
その数は六組、バルモアは言葉を失っていた。一万の軍勢が一斉に対岸を向く。それは即ち侵攻の合図と受け止められても仕方のない行為なのだ。
「アルバート! アルバートはどこだ!」
「ここに! いかがなされましたか!?」
「急ぎ対岸に発て! こちらに敵意はないと伝えるのだ!」
「はい?」
「分からぬか!」
そこでアルバートも事態を飲み込んでハッとする。
マルール河の向こう側では、ワイバーンが翼を広げて一斉に飛び立とうとしていたのだ。
「すぐに向かいます!」
彼は重い鎧を脱ぎ捨て、腰の剣も外して一目散に検問所へと向かった。建物があるお陰で対岸からは死角となるからである。検問所から対岸に続く橋の幅は約二十メートル。だが今は、素直に渡るにはあまりにも危険過ぎた。
だから彼は躊躇なく橋の下に潜り込んだ。実はこの橋は強度を上げるため二重構造になっており、それが四つん這いになってようやく進める程度の隙間を造っていたのである。
以前初めて封鎖中の国境を越えた時も彼はここを通った。だがあの時は対岸に軍はいなかった。
問題は向こう側に着いてから、どうやってこちらに敵意がないことを知らせるかだ。だが、どうやらそんな算段をしている余裕はなさそうだった。
彼が橋の下の隙間に入って間もなく、背後で地響きと悲鳴が聞こえたからである。
「敵襲ぅっっっ!!!!」
「ぎゃぁぁぁっっ!!!!」
今の連合王国軍に対空装備はない。あらかじめ国境の向こう側に配備するとした公国軍を刺激しないためだ。
加えてジルギスタン王国の空軍はとても動かせる状態にはなかった。昨日のうちにワイバーン騎兵たちを拘束、抵抗した者は処刑してしまっていたのである。
あのワイバーン部隊に空から襲われれば、連合王国軍は一溜まりもないだろう。検問所の周囲は広大な牧草地となっており、兵たちが身を隠す場所はどこにもないからだ。
そしてやっとの思いで公国側にたどり着いた彼は、背後を振り返って愕然とせざるを得なかった。
隙間からは振り返っても背後の状況は見えない。だが音と熱気は伝わってくる。そこから予想してはいたが、逃げ惑う連合王国軍にワイバーン部隊が容赦なく火球を浴びせる様は、まさに地獄絵図としか言いようがなかった。
「ひどい……」
「何者かっ!?」
それでもとにかく軍司令部を目指そうとした彼だったが、そこで公国兵に捕まってしまった。封鎖されている検問所の脇から突然飛び出たのだから致し方ないだろう。
だが、ここで殺されるわけにはいかない。一刻も早くあの攻撃を終わらせなければならないからだ。
「武器を捨てて両手を頭の上に乗せろ!」
「武器はない!」
そう叫ぶと彼は兵士に言われた通りに両手を頭に乗せた。
「私はアルバート・ガルレオ・マグダネル。セイカル王国マグダネル伯爵家が
「副将殿はそのようにボロボロの姿で、一人逃げ出してきたのか?」
「違う! 貴国に抗議に参ったのだ!」
「抗議だと!?」
「アルバート殿、先日ぶりだな」
「ウラミス殿!」
公国第一公子が現れたことで、兵士は剣を下に向けて直立不動の姿勢をとる。
「ウラミス殿、どうか大公殿下に目通り願えないだろうか」
「会ってどうする、と言いたいところだが、父上は使者を通すようにとの仰せだ」
「おお! ではすぐに!」
「いいだろう。だが、会わない方がよかったと思うかも知れんぞ」
「覚悟は出来ている」
「そうか。アルバート殿に縄を打て! 城へ連行せよ!」
「はっ!」
城だと!?
大公はこの場にいないというのか!?
それでは我が軍は全滅してしまうではないか!
だが、その時彼は大公の言葉を思い出して覚った。
これは初めから仕組まれていた罠だったのだ。
『連合王国軍がわずかでもこちらに進軍する兆しあらば、理由の如何を問わず直ちにこれを殲滅する』
こちら側から見れば、ジルギスタン王国王城を包囲した連合王国軍は、公国に進軍しようとしているようにしか見えないのである。
彼がそれに気づいた時にはすでに、連合王国軍は壊滅状態に陥っていた。
そして後ろ手に縄をかけられたアルバートは、コートワール城へと連行されるのだった。
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