第二章 新生コートワール帝国

第一話 黒竜の伴侶

 コートワール公国があるメリカノア大陸には、南北を分断するカラクマラヤ山脈が東西約四千キロにも渡ってそびえ立ち、もっとも標高の高いヒョムラピオの一万メートルを始めとして、八千から九千メートル級の山々が連なります。


 その山脈から二つの大河が豊かな水を運び、大陸の南側を大きく三つに分けているのです。


 そのうちの一つが東側を流れるチルフリス河で、河の東には大陸南の三分の一を治めるベッケンハイム帝国。一方西側を流れるユリアノス河の西には、帝国には及ばないものの、約四分の一の国土を有する宗教国家モートハム聖教皇国がありました。


 そして両大河の間の内、北約四分の一が父上さまの治めるコートワール公国です。ジルギスタン王国はその下流域に広がっており、面積だけなら王国と公国はほぼ同等といえるでしょう。


 これら二つの大河はマルール河と呼ばれる支流で繋がり、それが王国と公国を分ける国境線ともなっております。


 むろん支流とはいっても大河同士を結んでいるのですから、人が簡単に泳いで渡れるような細く浅い河ではありません。その上水温は夏でも非常に低く、泳ぎの達者な者でも決して対岸にたどり着くことは出来ないでしょう。


 なお、ジルギスタン王国は東のベッケンハイム帝国国境に常に兵を置いている関係で、その費用が王国経済を圧迫。これは以前から帝国と王国がいがみ合っていたためですが、不仲の理由は私も知りません。

 さらに十年前、私が五歳の時に借りた金貨の利息返済が嵩んだこともあり、経済状態は悪化の一途を辿っておりました。


 そうなれば当然、増税に次ぐ増税で市民の生活も困窮します。国王ユグノレストが病床に伏したことも相まって、いつ反乱が起こってもおかしくない不安定な情勢に陥ったのも無理はないでしょう。


 なお、ジルギスタンの王都ラカルトオヌフは、コートワール公国との国境近くにあります。地理的には王国と公国を合わせた中心付近に位置しているのです。


 また、ジルギスタン王国の南にはさらに、六つの小王国が集まった連合王国が存在しております。


「ハト派は大騒ぎとなるだろうな」


 ジュクロア王子から婚約破棄を言い渡された帰り道、私たちの馬車は護衛騎士二十騎を従えておりました。


わたくしとの婚約がまとまったことで、王家は安泰と思っておいででしたもの。当然ですわ」


「これでエリック第二王子を擁する急進派が攻勢を強めるのは間違いない。傀儡かいらいを祭り上げて王国を牛耳ろうとしていた貴族共の慌てぶりが目に浮かぶ」

「陛下がこのことを知ったら、さぞお嘆きになられるでしょうね」


「属国だからと我がコートワール家を見下すような教育しかしてこなかった報いだ」

「それもそうですわね」


 互いに小さく笑い合うと、馬車に揺られているうちに私はいつの間にか眠りに落ちてしまうのでした。



◆◇◆◇



『婚約を破棄だと? 王子はバカなのか?』


 私が十五歳で成人を迎えたその日、黒竜の長であるヴァスキーダロワ殿が、お城の中に自分が過ごす部屋を要求されました。つまり、あの凛々しいお姿を好きな時にみられるということです。


 とは言ってもそれは私だけの特権で、使用人はもちろんのこと、父上さまや兄上さまでさえも滅多にお目にかかることは出来ません。普段は結界で私以外には見えないようにされているからです。


 それでも彼の言葉は私の頭の中に直接届きます。私は未だに慣れませんので声に出しておりますが。


『消し炭にしてやろうか?』

「それには及びませんわ」


『お前をないがしろにしたのだ。その気になったらいつでも申すがよいぞ』

「ありがとう存じます」

『うむ』


「ところでヴァスキーダロワ殿?」

『ああ、そのことか』


「また私の心をお読みになられたのですね!」


 私が彼に聞きたかったのは、窮屈だと言われていたのに何故人の姿になってお城に部屋を用意させたのかということです。それを先に読まれてしまいました。


『お前が美しく育って成人となったからな。たまには人間の街を共に散策してもよいかと思ったのだ』

「ま、まあ、そうでしたの……」


『なんだ、照れておるのか?』

「もう! どうしてすぐに私の心をお読みなるのですか!」


 照れるに決まってます。こんな凛々しくて逞しい方に美しいなどと言われたのですから。


 はあ、まだ心臓のドキドキが止まりません。こんな気持ちもきっと分かっておいでなのでしょうね。


「ヴァスキーダロワ殿には隠し事は出来ませんわね。それはそうと、いくら私にしかお姿を見せないからと言って、いい加減まともな服を着て下さいませ」


『服を着ろと申すか』

「魔法でも構いませんわよ」


『シャネリアはどのようなものが好みなのだ?』

「あら、私の好みでよろしければ騎士の装いを見てみたいですわ」

『ふむ。これでよいか?』


「!!!!」


 公国の騎士は普段、膝丈ほどのワインレッドのチュニックに、ダボッとしたバギーパンツと呼ばれるカーキ色のボトムを着ています。正装ではなく、あくまで普段着の扱いです。


 これは公国から支給されるもので、平時でも騎士の精神に恥じない行動が求められるため、民衆でも一目で騎士と分かるように皆がこの出で立ちなのです。


 とは言っても、騎士でない方もこのファッションを楽しめます。公国の騎士との大きな違いは生地と腰のベルトにあり、支給品には刃滑はすべり糸という特殊な糸が使われているのです。


 この糸は文字通り刃を滑らせ、剣で斬りつけられても切れにくい性質を持っています。もちろん鎧の下に着ける鎖帷子かたびらほど頑丈ではありませんし、突きには効果がありません。


 ですが騎士であれば背後から不意討ちでも仕掛けられない限り、突き攻撃を避けるのは造作もないことでしょう。


 既製品の方はよく似せて作られておりますが、近くで見れば違いは一目瞭然ですし、そもそも刃滑り糸自体が軍事物資であるため使用されておりません。


 もう一つの違いのベルトについてですが、帯剣する公国の騎士は革製のベルトが基本です。一方既製品の騎士服に着用出来るのは細い腰紐と決められており、これが見た目としては大きな違いですわね。


 そのため騎士服に革製のベルト姿は公国の騎士のみということになります。違いを明確にすることで、父上さまは庶民にも騎士の気分を味わえるようになされたというわけです。


 ただ、やはり騎士と庶民とでは風格の差が表れます。ですから既製品の騎士服を着ているのは、恋人や伴侶から請われてという方が大半でした。


 つまり多くの女性にとって、革製ベルトの騎士服姿は憧れでもあるのですが、ヴァスキーダロワ殿ならたとえ腰紐の既製品だったとしても正直目のやり場に困ってしまいます。


 だってあまりにもお似合いなんですもの。


 兄上さまたちで見慣れているはずですのに、胸の高鳴りが抑えられません。


 相手は黒竜、相手は黒竜……


『それほど似合っておるか?』

「ひゃうっ! ま、また心を……」


『お前が気に入ったのなら、この姿でいることにしよう』

「その出で立ちで私と城下を散策されると仰るのですか?」


『これを望んだのはお前ではないか』

「そ、そうですけれど……」


 どうしましょう。まさかこんなことになってしまうなんて。凛々しい方は何を着られてもよく似合うとは言いますが、まさかこれほどとは思いもしませんでした。


『人の身なれど、美しく透き通る気高き心の聖女シャネリアよ』

「え? 今なんと……?」


『お前が望むなら我が伴侶としても構わぬぞ』

「…………もう! また私をからかわれたのですね!」


 彼はそれには応えず、微笑みを返すばかりでした。

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