第127話 防長経略
大内義長の自害により、防長の侵攻を粗方終える。
「まだまだ残党はおるが、大方終わったかの」
元就は何かを決めたかのような顔をする。
「毛利の領土が広がった、ということは、我らも……」
「国人領主から、大大名へと出世ですね」
悠月はそう言った。
だが、悠月の表情はあまり明るくはない。
数多の血が流れたことに、悠月はあまり明るい気分になれなかったのである。
「ねえ、悠月……」
「どうした?」
松井は暗い顔をしていた。
「この後だって、もっと人が……」
「……そうなるな」
「僕は人の死を直視するのがもう怖い……。どうにかできないの?」
「……そんな方法、あるなら俺が知りたいよ」
悠月はそう言うのが精一杯だった。
そもそも、現代ならあり得ないことである。
二人は改めて、歴史を知るというのは残酷な事でもある、と思った。
だが、その歴史があるからこそ、悠月たちも現代に生きているのだ、という事実がある。
防長経略で地下人らの強い抵抗に直面した元就は、反発の原因となる軍勢狼藉(兵士たちによる放火や略奪などの不法行為)などを防ぐために安芸国人衆12名による契状を作成した。
なお、この時元春ら数人は不在だったため、彼らの花押はない。
花押とは、現代で言うサインのようなものである。
「皆の者、ご苦労じゃった。吉田へ戻ろうぞ!」
元就はそう号令をかけた。
隆元や隆景も兵たちに帰路へ向かうため、声をかけて回る。
「さあ、戻ろうぞ。吉田郡山城へ」
「はい」
悠月と松井も返事をして付いていく。
防長経略の完了から2ヶ月後の弘治3年(1557年)6月、元就が吉田郡山城へ帰還した機を捉えて陶氏家臣であった佐藤宗左衛門尉父子が山口にて蜂起した。
だが、山口守備の任に当たっていた市川経好と祖式某によって鎮圧された。
この戦いで大内氏からの降将である温科種重が負傷しつつ奮闘した。
「ケガをしてでも奮闘し、しかと領地を守る。ようやったぞ!」
温科は元就からも賞賛の手紙を受け取った。
「恐れ入ります」
彼は元就の手紙にそうつぶやいた。
さらに、大内氏の重臣であった陶氏、内藤氏、杉氏、問田氏などの遺臣が与党を糾合して防長各地で蜂起した。
防長では、まだまだ内乱が続く日々である。
「……また近々出陣せねばならんのう」
元就はそうつぶやいた。
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