第409話:戦いは次の段階へ

 煌金おうきんほむらがジリニエイユの防御結界を音もなく破壊していく。


 ジリニエイユはほぼ棒立ち状態で、邪気を扱う暇さえ与えられなかった。オントワーヌが遂に狡猾こうかつ極まりないジリニエイユを出し抜いた。


 防御結界が完全に失せ、煌金の焔が何もできないジリニエイユをみこんでいく。


 まさにジリニエイユの息の根を止める瞬間だ。誰もが確信したに違いない。


「駄目だ」


 ルブルコスの魔眼は煌金の焔の流れを視ている。


≪届かぬな≫


 星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェン最高位キルゲテュールが放った不可視の斬撃を追っている。


 刹那、まるで肉にかぶりつき、引きちぎり、咀嚼そしゃくするかのような不愉快極まりない音が空間を満たしていった。それは紛れもなく煌金の焔を食らう音だった。


「次元断層、次元を食う力ですか」


 オントワーヌは最高位キルゲテュールの斬撃の正体に気づくのがわずかに遅れた。禁書に全神経を集中、煌金の焔の変化に意識を注いでいたためでもあるだろう。


「百年前には見られなかった能力です。さすがは最高位キルゲテュール、と言うしかありませんね」


 今なら誰の肉眼でも視認できる。


 ジリニエイユは全くの無傷で、彼の周囲の空間だけがおびただしいほど無数に引き裂かれ、全てがずれた状態で展開されていた。


「厄介な力だね。灼火重層獄炎ラガンデアハヴの焔を次元を切り裂いて回避したのかい。しかもあの断層、絶えず動き続けているね。あれじゃ、いくら魔術を放とうとも全て呑まれるだけさね」


 ようやく姿を現したルシィーエットとヒオレディーリナが並び立ち、二人してジリニエイユをにらみつけている。


 ジリニエイユとルシィーエットたちが僅かな間とはいえ、膠着こうちゃく状態に入った今、最高位キルゲテュールにとっては好機だった。


 八岐氷凍蛇ユヴェルリディムの氷牙は藍碧らんぺきの細氷粒と化し、最高位キルゲテュールの邪気を撹乱かくらんしているものの、完全に動きを封じるには至っていない。むしろ、邪気の高まりが強くなり始めている。


≪我の次元断層の力はそれだけではないぞ≫


 最高位キルゲテュールの周囲にもまた無数のひびが瞬時に走る。


 空間が幾重にも引き裂かれ、次元断層が出現、断層と断層の隙間からきらめきを放ちながられ出てくるものがある。


≪こういうこともできるのだ≫


 瞬時にその正体を悟ったルシィーエットが大声を張り上げる。


「オントワーヌ、何とかしな」


 言われるまでもない。


 既にオントワーヌの両手には禁書が開かれた状態だ。空中に白銀の文字が躍っている。


「全く貴女は人使いが荒いですね。問題ありません。間に合わせて見せます」


 隙間から次々と金色に染まった焔があふれ出してきた。ちぎれた状態の焔が正常空間に戻った途端、融合を繰り返し、一塊の焔と化していく。紛れもなく煌金の焔だった。


「何とも厄介な能力じゃな。次元断層で食らった力を、異なる次元断層から解き放つ。まさしく魔術殺しじゃ」


 ロージェグレダムのつぶやきは正鵠せいこくを射ている。


 ジリニエイユを倒すべく放たれたはずの煌金の焔が次元断層を通り抜け、今度は八岐氷凍蛇ユヴェルリディムを標的にして襲いかかった。


 ルブルコスにとって、ルシィーエットの灼火重層獄炎ラガンデアハヴはあまりに相性が悪い。


 八岐氷凍蛇ユヴェルリディムに煌金の焔が触れるや、真っ先に攻撃を仕かけた氷蛇セヴェニエムの二つの頭が刹那に昇華していった。


 残る六つの頭も消滅は時間の問題だ。


 煌金の焔が勢いを増し、空を翔ける。


「オントワーヌ、まだか」


 ルブルコスの発する声は怒りに満ちている。


 藍碧気シュフィリェを用いた八岐氷凍蛇ユヴェルリディムで倒せないとなると、残された手段は限りなく少なくなる。冷徹であろうと努めながらも、内心では焦りを隠せない。


”Jiuxey hrejjupalli nxuo swaqui.”


 空中に踊る白銀の文字がオントワーヌの言霊ことだまを受け、まばゆい光を散開させていく。


 それぞれの文字が重なり、溶け合い、全く異なる文字を描き出していった。ひと際強い輝きが空をがす。


 氷蛇セヴェニエムの六つの頭を覆い尽くさんと煌金の焔が追る中、それは来た。


 二つの色が弾け飛び、結合と反発をまばたき一つの間に数百回繰り返し、互いを無に帰していく。


「なるほど、そういう原理か。二つの色だけが失せた結果は」


 ルブルコスの呟きを拾ったルシィーエットが応える。


「だから言っただろ。八岐氷凍蛇ユヴェルリディムを解除するんじゃないよって。やりな、ルブルコス」


 ルブルコスが忌々しげに舌打ちしている。


 いつもながら、ルシィーエットが相手だと調子が狂って仕方がない。これはひとえにルブルコスとルシィーエット、二人の性格差に大きく起因している。


「私に指図するでないわ。相も変わらず、紅緋べにひに連なる者は勝手すぎる」


 ため息交じりに嫌味を吐き出したルブルコスに、ルシィーエットが苦笑を浮かべながら、その視線を横にいるヒオレディーリナに向けた。


「だそうだよ、ディーナ」


 ヒオレディーリナはヒオレディーリナでしかめ面だ。


「どうしてそこで私に振るの。紅緋だろうと、藍碧らんぺきだろうと、関係ないわ。私は私の好きなことをするだけよ」


 ようやく出番が回ってきたとばかりに、ヒオレディーリナは下段に留め置いていた覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェをすかさずかかげると、ひと息で振り下ろす。


「後追いは気に入らないけど。邪魔な禁書の力が消えてくれたわ」


 覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェの剣軌は一筋の光の直線、それが途中で曲線へと変わり、さらに幾重にも枝分かれして四方八方からルブルコスへと急迫する。


「ルーの魔術だけを消せばいいのね」


 そう、ルシィーエットが放った灼火重層獄炎ラガンデアハヴはなおも生きている。禁書の力で煌金の焔に変じていた焔は、元の状態の灼赤しゃっかに戻った状態で。


 オントワーヌは何をしたのか。


 禁書で生み出した力を、新たに生み出した力で相殺そうさいした。だから二つの色、金と銀だけが消失したのだ。


 灼火重層獄炎ラガンデアハヴは射出方向が変えられただけで、灼赤の効力そのものは一切失っていない。そして、一度解き放った魔術は決して還元できない。


「私の魔剣アヴルムーティオ覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェなら何の問題もないわ」


 灼赤の焔が氷蛇セヴェニエムの六つの頭と衝突するよりも早く、覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェの剣軌が到達、十重二十重とえはたえの光の束が灼赤の焔を包みこんでいった。


 覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェによって放たれた力は静謐せいひつの光であり、あらゆるものを沈黙させる。それは魔術とて例外ではない。


 ヒオレディーリナが史上最強の剣匠とうたわれる所以ゆえんは、もちろん彼女自身の剣技であることは言うまでもない。


 そしてもう一つが、彼女の有する魔剣アヴルムーティオだ。


 覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェ魔剣アヴルムーティオの中でも稀有けうなひと振りであり、本来なら剣匠といえど、主物質界の者が手にするようなものではない。


 ヒオレディーリナ究極の秘奥義の一つ、光寂無量滅零淨プリュミフィリテアを見ても分かるとおりだ。目の前のもの全てをことごとく無に帰してしまう魔剣アヴルムーティオを人が振るってよいわけがない。


 ただ、現実に目を向ければ、覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェはヒオレディーリナに下賜かしされた。レスティーの思惑は誰にも分からない。


 膨大な光にまれた灼赤の焔はその効力を失い、光の中で消滅した。


 あらゆる事象が瞬間的に立て続けに発生、今この状況下で生きている力はルブルコスの八岐氷凍蛇ユヴェルリディム、そして最高位キルゲテュールが創り上げた次元断層の二つだ。


 ルシィーエットの言葉とは裏腹、氷蛇セヴェニエムの六つの頭は次元断層を嫌って、上空へと舞い上がっていく。


 だからこそ、最高位キルゲテュールはここで次の段階に移行することを選んだ。


≪ジリニエイユよ、今の貴様では此奴きゃつらを相手に勝てるとは思えぬ。貴様も分かっているであろう。ならば、行くがよい。我も貴様も共に勝たねばならぬ≫


 ジリニエイユは突然の最高位キルゲテュール魔力感応フォドゥアに戸惑いを隠しきれない。


 何が裏がある。勘ぐってしまう。


 ジリニエイユと最高位キルゲテュールの関係は言ってみれば最悪であり、互いにどちらが主導権を奪うかに徹している。


≪まさか最高位キルゲテュールからそのような言葉が聞けるとは思いもしませんでした。何を企んでいるのです。私を出し抜こうとしても無駄ですよ≫


 疑心暗鬼に陥っているジリニエイユの問いかけに、最高位キルゲテュールは端的に返してくる。


≪互いのためだ≫


 なぜか、その言葉はジリニエイユの胸に刺さった。


≪よいでしょう。ここは任せます。任せますが、あの御方の出番が決して早まらぬよう努々ゆめゆめこの者たちを瞬殺しないように≫


 ジリニエイユの釘刺しに、最高位キルゲテュール嘲笑ちょうしょうをもって応える。


≪瞬殺してしまっては我が楽しめないではないか。早く行くがよい≫


 魔力感応フォドゥアが消える。


 ジリニエイユは久方ぶりに再会したルシィーエットだけに視線を向け、言葉をつむいだ。


「お久しぶりですね、ルシィーエット嬢。貴女にはたくさんの借りがありますが、それはよいでしょう。ここで再びお別れです」


 次の瞬間、ジリニエイユの身体は粒子となって眼前から完全に消え失せていた。

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