第22話  小人の通り道

 1



 ――八時。


 ドナルドが自室に引き籠ってから実に二時間ばかりが経過した。


 その間、マッド・ハッタ―たちを取り巻く状況にいい意味でも悪い意味でも変化はなかった。時間だけが流れる川のように過ぎていくだけである。

 どれだけ時間が経っても、彼らの頭上に太陽が昇ることはない。それと同じように彼らが直面している問題は決して時の流れでは解決できない。自分たちで道を切り開くしかないのだ。


「ドナルドを呼び戻そう。全員で集まって、皆で力を合わせるんだ。そうしないとこの状況を打開することなんてできやしない」


 六助はさっと席を立って、部屋の奥の扉に歩み寄った。ドナルドを刺激しないように軽くノックをし、努めて冷静な声で言った。


「ドナルド、俺だ」


 返事はない。


「おーい、ドナルド」


「まだ根に持ってんのかよ、あいつ」


「静かにしてくれクロック。ドナルド、戻ってこい。全員で集まってもう一度話し合おう」


 今度は少しだけ力を込めて強くノックをした。返事はない。


「ドナルド?」


 六助は怪しい胸騒ぎを覚え、扉を突き破るような勢いで扉を叩いた。さすがに他の者たちも様子がおかしいと気づいただろう。一同はぞろぞろと六助の背後に集まった。

 背中に不穏な視線を受けながら、六助はひたすら扉を叩いた。


「おい、ドナルド。聞こえてるのか」


 返ってくるのは不気味な静寂だけ。ドナルドの返事はおろか、息遣いさえも聞こえてこなかった。


「六助、どけ。皆もだ。嫌な予感がする。ぶち破るぜ」


 クロックが六助を押し退けて扉の正面に立った。深呼吸をしたのち、彼は上半身をねじった。そして――


「おらっ」


 空気を裂くような音がひゅん、と鳴ったかと思うと、クロックの回し蹴りが扉に命中した。


 その鋭い一撃を叩きこまれ、扉は見るも無残に倒れていった。蝶番が飛び、床に転がる。ハーブが「きゃっ」と声を上げた。


 クロックを先頭に、一同はドナルドの部屋に入った。それから先の光景は六助の想像を遥かに凌駕するものだった。







「ありえない」






 ふとそんな言葉が口をついて出た。



「いやあああああああああ」



 リリーとハーブの悲鳴が狭い室内に反響する。



 悲しみや恐怖よりも先に、どうやって、という疑問がまず浮かんだ。この惨劇を作り出した犯人はこの部屋に入ったのだ?



 部屋の中央でドナルドがあおむけになって倒れている。


 もう息はないだろう。髪は乱れ、顔面は青黒く変色していた。白目をむき、あんぐりと開いた口から舌が覗いているのがおぞましい。


 組織きっての美男子の面影はもうそこにはなかった。死の苦しみを物語る形相を前に、六助は全身が粟立つのを感じた。


「ドナルドっ」


 クロックとレリックが彼の亡骸に駆け寄った。


「恐ろしいことを……」


 ミーシャがリリーとハーブを部屋の外に連れ出す。


「馬鹿な……」


 六助は逸る心を抑え、室内の様子を観察した。普段と変わったところはない。正面の壁を埋めるように置かれた書架、書き物机やテーブルなど、調度品の配置もそのままだ。


「また毒殺か?」


「違うね。首を絞められて殺されたようだ。ほら、見にくいけどわずかに痕が残ってる。これは手で絞めた痕だ」


「ちくしょう、野郎め。手口を変えてきやがった。直接ありす様を狙うんじゃあなく、まず邪魔な俺たちから消すつもりなんだ」


「扼殺か……惨いな」


 六助はハンカチを取り出して遺体の顔に被せた。


「それにしても、おかしいと思わないか?」


「何がだい」


 レリックの大きな瞳が六助を捉えた。


「この部屋さ。いいか、ドナルドの部屋は窓がない。扉には鍵がかかっていた上に、隣の会議室には俺たちがいた。つまり密室だったんだ。犯人はこの部屋に入ったんだ?」


「たしかに……」


 クロックが腕を組みながら唸った。


「ひとまずイリヤに知らせてくるよ。ありすのことも心配だ」


「俺も行こう。六助は?」


「俺はここに残る。もう少しここを調べたい」


「判った」


 レリックとクロックがその場を後にし、一人残った六助は再び室内を歩いて回った。


 室内には荒らされた形跡がない。


 また、ドナルドの遺体にも目立った傷はなく、抵抗したような跡も認められなかった。死の間際に犯人と争ったり揉み合ったり、ということはなかったと想像できる。なぜなら隣の部屋にいた六助の耳には、犯人とドナルドが争ったような物音が聞こえなかったからだ。


 六助は遺体の傍で足を止め、かがみこんだ。


 扼痕を見た限りでは、後ろから絞められたように思われた。ということはつまり、犯人はドナルドに気づかれずにこの部屋に忍び入り、そして彼の隙をついて背後から首に手をかけたことになる。


「……」


 現場の様子と矛盾はしないが、そもそも犯人はどこから入ったのだろうか。


 この部屋に出入りするためには会議室から通じる扉を通らなくてはならない。


 ドナルドの生存が確認されたのはレリックが彼の部屋から出たあと、ドナルド本人が扉の鍵を掛けた瞬間が最後だ。


 たしかあの時の時刻は六時ちょうどだったと記憶している。


 それ以降、クロックが扉を破るまで


「どうなっているんだ……」


 順当に考えれば、ドナルドを殺せるチャンスがあったのは彼を説得するためにこの部屋に入ったレリックだけとなる。


 しかし、彼がこの部屋を出たあとにドナルドが当てつけのように鍵を掛けた音を会議室にいた者全員が聞いている。ドナルドはその時点でまだ生きていたのだ。


(いや、待てよ?)


 もしかするとレリックが何らかの工作を用いて鍵を掛けたのかもしれない。彼がドナルドを殺し、その後、自動で鍵が掛かる仕掛けを扉に施して……


 クロックが蹴破った扉を立てて起こし、その形跡がないか確認してみた。が、工作の跡は発見できなかった。


(そもそもレリックは過激派ではないから、ドナルドを殺す理由はない)


 狐に包まれたような気分だった。


 キーラの毒殺の時と違い、犯人の取った行動、意図が見えないのだ。あり得ないことが起きているのが何よりも気持ち悪かった。その時、六助の視線があるものを捉えた。


(あれは、たしか……)


 右手の壁には横幅の広い洋服箪笥が据えられ、その横の壁にはドナルドが描いた風景画が飾られている。六助が注目したのはその真下にある「扉」だった。


 その昔、この家には小人の貴族が住んでいたという。


 それがどのような経緯でマッド・ハッタ―の手に渡ったのか、詳しいところは知らないが、この家にはその名残とも呼ぶべき通路がいたるところに残されているのだ。

 頭の中で渦が巻くような奇妙な感覚がいくばくかの間続き、やがてその渦の中から一つのひらめきが浮かび上がってきた。



(ある。この部屋に出入りするための



 縦十五センチ、横十センチほどの小さな扉である。会議室に通じる扉を除けば、この扉が唯一の侵入経路となる。


 普通の人間ならば、この扉を通り抜けることは不可能だ。しかし、を用いれば、六助のようにずんぐり肥えた者でもこの扉をくぐり、小人たちの道を闊歩することができる。誰の目にも気づかれぬまま、この部屋に侵入することができる。


 米粒のようなドアノブをつまみ、ゆっくり引いてみる。小さな洞窟のような道が顔を出した。通路内には光源がなく、真っ暗だった。この道がどこに通じているのかは判らないが、とにかく犯人はこの道を通ったに違いない。


 六助は興奮していた。この発見が犯人に繋がる手掛かりとなるかは現時点では判らないが、六助の直感は大当たりだ、と告げていた。

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