第11話  ありすは次々と夢の登場人物に出会う

 1



 レリックたちのアジトは、その廃墟じみた外観とは裏腹に内装がしっかりしていて、生活の匂いが漂っていた。


 玄関を抜けるとそこはすぐリビングで、茶色いソファの上で二人の女性が談笑していた。レリックはその右側に座っている女性に声を投げた。


「ハーブ、二階の会議室に皆を集めてくれ。大至急だ」


 ハーブと呼ばれた女は、いささか訝しげに私を見ながらも、レリックの言葉に従い、奥にある階段を上っていった。クロックとリリーもその後に続いて階段を小走りで上った。


「あら、レリック。いったいどういう騒ぎなのかしら」


 残された女がティーカップを手に持ったまま言った。その声色には抗議の色が含まれているようにも思えた。


「せっかくのティータイムを邪魔してすまないね。でもお茶なんてのはいつでも飲めるだろ。それより彼女を紹介したい。さあ、ありす」


「『ありす』ですって?」


 彼女もまた、クロックやリリーの時と同じような驚愕の表情を見せた。


「あっ」


 手の力が抜けたのか、それとも不自然に力が入りすぎたのか、ティーカップは彼女の手から離れ、白いテーブルの上に落下した。まだ飲みかけのお茶がテーブルの上に広がっていく。


「とりあえず、僕らは今後の展望について上で話し合うことにするよ。イリヤ、君はここに残ってありすを見守っていてくれ」


「なんであたしは仲間外れなのよ」


 心外そうに言う彼女に、レリックは優しい声色で言った。


「この中じゃ君が一番腕っぷしがあるからね。万が一のことに備えて、ありすに危険が及ばないように君が守ってあげてほしいんだ。会議の内容は後で君にも伝える。じゃあ、ありす。ひとまず彼女と一緒にいてくれ。歓迎のお茶会は後でしっかりするから。それじゃ」


 レリックは一度リビングから出て、五分ほどで戻ってきた。そして彼が二階に上がっていくのを、私たちは揃って見送った。


「あの、私、ありすっていいます」


「あたしはイリヤです。その、本当にあなたがあの『ありす』なのですか」


 イリヤという女は強張った声でそろりと訊いた。どの『ありす』なのかは判らないが、とにかく私の名前はありすである。そう伝えると、


「ああ、なんていうことなのかしら」


 そう呟きながら、今さら気づいたようにテーブルの上に広がったお茶を近くにあった布で拭き始めた。


 彼女はアジアン風の女だった。


 艶のある黒いショートヘアに切れ長の目。鼻はそれほど高くないが、顔立ちはすっきり整っていて十分美人と言える範疇だ。年は三十路あたりだろう。熟成された女の色気を感じる。


「ダメね、あたしったら。あたしたちの運命を大きく左右する救世主を前にして、ひどく無様な姿を晒しているわ」


「私が? 救世主っていうのはどういうことですか」


 すでに何度同じ疑問を抱いただろう。私という存在は彼らにとってどのようなものなのか。いい加減知りたくなっていた。しかし――、


「レリックたちからお聞きになってはいらっしゃらないのですか?」


「はい」


「ごめんなさい。あたし、口下手だから、うまく伝えられる自信はないの。それにレリックがまだ伝えていないということは、伝えるべき段階ではない、ということなのかもしれないから。でもいずれ、きっと来るべき時が来たら、全てをお話しするはずです。何も知らぬまま担ぎ上げられては、ありす様も困惑するでしょうし」


「はぁ」


 またもおあずけを喰らってしまった。


 来るべき時。


 レリックもそのようなことを言っていた。


 この先いったい何が私を待ち受けているのか。漠然とした不安を振り払うようにぶんぶんと首を動かした。難しいことは後回しにして、とりあえずこの家を探検してみよう。



 2



「ねえ、イリヤさん。家の中を見て回ってもいい?」


「構いませんが、ありす様がご覧になって面白いと感じるようなものがあるかどうか」


 イリヤに付き添われて、私は足の向くまま室内を見て回った。イリヤはどこか緊張しているようで、絶えず私に視線を向けていた。


 内装にそれほど変わったところはない。当然といえば当然だが電化製品などはなく、明かりもランプやろうそくなどで賄われていた。


「ん、あれは……」


 奇妙なものが私の目に留まった。それはリビングから廊下に出る扉のすぐ横にあった。私はそれの手前にしゃがみ込む。


「扉?」


 それはまさしく扉だった。


 ノブもついているし、微細だがかろうじて鍵穴もある。廊下に通じる扉と同じ造りのようである。


 唯一異なるのがそのだ。その扉は隣の扉と比べて何倍も小さく、私の掌よりもずっと小さかった。縦十五センチもないだろう。


 ふと私の脳裏をよぎったのは、「アリス」が迷い込んだ不思議の世界への入り口。あの喋る小さな扉だった。



「イリヤさん、この扉は?」


「それは小人たちが使ったとされる扉です。元々この家は小人の貴族が建てたもので、貴族の没落と共に廃墟になったのを、数十年前、あたしたちの仲間が買い取ったそうです。改築改装を繰り返して現在の形になったわけです。このリビングもたくさんの小さな部屋をぶち抜いてこの広さを確保したようで、その扉は当時の名残ですね」


「小人の貴族、か」


 喋る猫やハエがいるのだから、この世界に小人がいてもおかしくはない。むしろ、おとぎの世界を彩るのに小人は欠かせない要素の一つだ。


 ただ、「アリス」の世界に小人はいたのだろうか?


 廊下に出てみると、たしかにこちら側にも小さな扉があった。


 米粒のようなノブを捻ると、扉は軋むような音を立てて開いた。鍵はかかっていないようである。覗いてみると、先ほどまでいたリビングの様子が窺えた。


 廊下の右手には扉がいくつも並んでおり、その合間に抽象的な絵画がかかっていた。


 どれも奇抜な色を塗りたくっただけのような代物で、芸術に疎い私でもこの絵たちから人の感性に訴えかけるような「何か」を感じ取ることはできなかった。

 もっとも、この絵を夢の世界に産み出したのは私の脳細胞であるから、結局は私の芸術センスが皆無だというだけの話なのだけれど。


 視線を落とすと、先ほどと同じような小人の扉がいくつか見受けられた。イリヤは静かに私の後ろを歩いている。


 突き当たりの扉を開けてみると、こもったカビの匂いが鼻をついた。


「イリヤさん、ここは?」


「薬剤庫です。魔法薬や医療用の薬などがあります」


 薬剤庫の床は廊下よりも低く、入り口から床にかけて数段の階段が下りていた。


 年季の入った階段のようで、体重をかけるたびにぎしぎしと音が鳴った。床に降り立つと、埃がむっと舞い、私は小さく咳込んだ。


「けほっ」


 壁は木製の棚で一面覆われており、部屋のいたるところに小さな壺がある。室内は暗く、天井からぶら下がったランプのみが唯一の光源のようだ。


「あの壺はなんですか?」


「あれは魔力を抽出し終えた薬草を保管するための壺です。薬草の中にはここのような冷暗所に一定の期間置いておくことで再び魔力を溜め込むものがあるので、ああやって保管しておくのです」


「その薬草を使って不思議な薬を作っているってことですか?」


「はい。ただ、ここで作ることができるのは怪我の治りを早める程度のものですが」


 イリヤは服に埃が付かないよう、頻繁に服を払っていた。


 私は棚の前に移動し、どのような薬があるのか見て回った。瓶に入った液体状のものもあれば、布の袋に入った固形のものもある。

 たいていの薬には効能を示すプレートが取り付けられていた。が、当然私には夢の世界の文字を読むことはできない。イリヤに頼んで読みあげて貰った。



[声が出なくなる薬]、[髪の色が変わる薬]、[肌の色が変わる薬]、[胸が大きくなる薬][髪が生える薬]……[体の大きさが変わる薬]



「あっ、体の大きさが変わる薬……」


 レリックの家で見たものと同じものだ。赤と青の玉が二つの瓶にそれぞれ五個ずつ入れられている。さすがに[eat me]というプレートは付いていなかった。


 どっちが小さくなるんだっけ。


 瓶の下によれよれの紙が敷かれていた。手に取ってみると、どうやらこの薬の取扱説明書のようだ。これもイリヤに読んでもらう。



『この薬は体の大きさを変える薬です。赤い方が小さくなって、青い方が大きくなります。一時間経つと効果が切れて元の大きさに戻ります。それよりも早く戻りたいならもう片方の薬を食べましょう。※注意 薬の効果は食べた本人とそれに付随する物にのみ働きます。また、この薬自体は巨大化及び収縮の効果を受けないので、安心して使うために誰かと一緒に遊びましょう。また服薬中に死んでしまっても効果は持続するので注意してね♪』



「こっちは……うわっ、きもちわるい」


 右手の棚に陳列されていたのは、まるで魔女が闇の儀式で使う道具のようなものばかりだった。ガラス製(そうだと信じたい)の頭蓋骨、干からびた黒い根っこ、毒々しい色をしたカエルが漬けられた瓶もある。


「これも薬なんですか?」


 黒魔術的な効果が期待できそうだ。イリヤを振り返ると、彼女は顔をしかめながら、


「いえ、これはある男のコレクションなのですが、ご覧の通り、悪趣味の限りを尽くしたような珍品ばかりです。仲間にも不評なものばかりで、部屋やリビングに飾るのは抵抗がありますので、ここに追いやられたという次第です」





「悪趣味とは失礼なっ!」





 突然、妙に甲高い声が聞こえた。声のした方向――入り口側の壁の隅に目をやると、二つの目がギラリと暗闇に浮かんでいた。ひやりとした戦慄が私の背筋を駆け抜ける。


「きゃあ」


 私はイリヤに抱き着き、彼女の背後に回った。


「だ、誰?」


 よく目を凝らしてみると、そこに潜む何者かの輪郭がだんだんはっきりしてきた。


 黒いもじゃもじゃの髪をした小柄な男が壁の隅に縮こまって座っていたのだ。服も全身黒で統一されている。


 青ざめた顔と落ちくぼんだ眼光は、何か危ない薬をヤっているようにも思われた。


「キーラ、こんなとこで何やってんのさ」


 イリヤが咎めるような口調でその男――キーラというらしい――に言った。


 影が薄いというより、影そのものを擬人化したような男だった。入り口側の壁の隅という死角的な位置も相まって、私たちは彼に気づかずにいたらしい。


「何って、い、いつも僕はここにいるじゃあないか。コ、コレクションを愛でようと思ってここに来たら、君たちがやってきて、だから僕はここでじっと待ってたんだ。君たちが帰るのをね。一人が好きだから。えへへ」


 にやけたような話し方と高い声が何とも不快な方向にマッチしていて、私はイリヤの背中から離れられずにいた。


「お仲間なんですか?」


「安心してください、ありす様。こいつはキーラといって私たち組織のメンバーの一人です。あべこべな性格をしていて他のメンバーからは煙たがられていますが、悪いやつではありません。この棚のゴミもあいつの秘蔵コレクションです」


「ゴ、ゴミじゃないぞ」


「それより、あんた、会議に出なくていいのかい」


「か、会議?」


 キーラは首を傾げた。


「連絡は来てないの?」


「だ、誰もここにき、来てない。ずっとここにいたから。へへ」


「呆れた。誰もあんたに気づかないまま上に集まってんのかい。もう十分は経ってるだろうに、どんだけ影が薄いんだ。じゃあ今すぐにでもいってらっしゃいよ。緊急事態が発生したんだから」


「そ、その女の子は?」


「上に言ってレリックにでも聞きな。あたしだって詳しいことは判らないんだ。ほら、さっさと行った行った」


「レ、レレリックたちはもう、来ているのかい? なんだ知らなかった」


 そういってキーラは立ち上がってよろよろと入り口に向かった。彼は去り際に顔だけをこちらに向け、ぶつぶつ何かを呟いたのち、口角を上げただけの微笑を残して出て行った。


 私に読唇術の心得はないけれど、彼の唇の動きは「よろしく」と言っているように見えた。


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