第10話 ジャックとタルト その2
1
再び時間は遡り――女王の間。
煌びやかな宝石類をあしらった紅のカーテンで二間に仕切られた女王の間は、特別な魔力が込められた大理石で造られている。
壁や床には傷一つなく、摩耗の形跡すら見られない。それはまさに女王の目指す、永遠の美の象徴と言えよう。
カーテンの手前側にはダイヤモンド製の縦長のダイニングテーブルが据えられており、その長さは優に二十メートルはあるだろう。
天井にはいくつもの明かり採り窓があり、様々な色のステンドグラスがはまっている。そこから落ちる光を受け、ダイヤモンドのテーブルは女王の御膳をより華やかに彩るのだ。
テーブルに鎮座しているのはエリナ女王一人だけ。
彼女の妖艶な美しさは今日も健在である。ジャックはその背後に直立する護衛の一人として、女王の食事をただ静かに見守っていた。
縁の紋様が目立つ大皿に盛られているのは、ローストされた肉だ。てらてらとした赤いソースがまんべんなくかかっている。
金の器を満たすスープも赤く、これは内臓類を煮込んだものである。その他にも肉を中心とした料理が並んでいる。女王は純金のナイフとフォークを起用に使い、それらを黙々と胃に収めていた。
……エリン。
ジャックは喉にせりあがってくる悪心と闘っていた。
隣に立っている護衛たちも同様のはずだ。ふと視線を動かすと、テーブルの上のエリンと目があった。すでに生気をなくした虚ろな瞳は、ジャックの神経を凍えさせるには十分すぎた。
生首だけになったエリンの、ほんの数時間前の笑顔がありありと脳裏に浮かび上がった。エリナ女王に食していただけると知ったエリンの顔は、彼女が今まで見せたどの笑顔よりも清らかだった。
エリナ女王の美しさの秘密、それは人肉である。
それもただの人肉ではなく、美しい処女の血肉でなければならない。穢れを知らない処女の血には不老長寿の力がある。
それは迷信でも誤った伝承でもなく、れっきとした事実としてエリナ女王の美に貢献していた。
現に、エリナ女王が国王の位に就いてからおよそ八百年が経過しているが、彼女の肉体は衰えることを知らない。
この王宮の中庭にはエリナ女王が食するための少女たちを産み、そして育てる牧場とも呼ぶべき一画がある。
そこに住む少女たちは外界から隔離され、エリナ女王に食べられることこそ女としての最上の喜びである、という教育を施されている。エリナ女王の魂と繋がり、国を守ることこそ至上の名誉なのだ、と。
エリンもまた、誇りを胸に死んでいった。
ここで一つ、注意をしていただきたいのが、エリナ女王はなにも歪んだ欲望や美意識に囚われているわけではない、ということである。
彼女にとって、この国の王にふさわしい人物は自分だけであり、自分が生き続けることこそ何よりの国益なのである。彼女はそう考えていた。ゆえに、エリナ女王は永遠の生を求め、清らかな処女の血肉を己の命に取り込むのだ。
もし、自分より王としてふさわしい人物が現れたのなら、彼女は喜んで王の位を譲渡するだろう。
「おい、ジャック。来週分の奉納表だ」
「判りました」
エリナ女王の食事が終わり、退室した後のこと。後片付けをしていたジャックの許に、大臣がやってきた。彼はぶくぶくと太った腹を撫でさすりながら革の連絡板を手渡した。
「どうも」
ジャックはエリナ女王の遠縁という立場もあり、御膳に奉納される少女の送致という重要な役を担っていた。
少女たちはその生育度と宿した魔力の量で奉納の順番が決まる。大臣はその優れた魔眼で少女たちのそれを見抜き、常に最上の状態の少女を選別し、女王に捧げていた。
渡された板の上に留められている紙に目を通す。その瞬間、ジャックの顔から血の気が引いた。考えるよりも先に、口が動いていた。
「なぜ、彼女なんですか?」
「どうした、突然」
大臣は温和な顔に暗い影を落とし、ジャックを見据えた。
「いえ、その、ただ疑問に思っただけです」
「ふん。今日の娘、エリンとか言ったか。先週その娘の奉納を伝えた時は何の反応も示さなかったじゃないか。その前も、そのさらに前だって。それなのにジャック、どうして今のお前はそんなに落ち着きがないのだ? 視線が泳いでいるぞ。まさか、この娘に情が移っているのではあるまいな?」
「そういうわけではありません。今まで長期に渡り飼育されてきたこの娘がなぜ今になって女王の御膳に出されるのか、それを疑問に思っただけです」
嘘だ。
「単純な理由だよ。この娘の魔力にこれ以上の伸びしろが期待できなくなったからだ。もう打ち止めだろう。彼女には非凡な魔力が宿っていた。だから長期的な飼育体制を取って、その才能をじっくり育ててきたんだ。それが今、ようやく完成した。私の目に狂いはないよ。彼女は今、女王陛下にも匹敵しうる魔力をその身に宿している。だから――」
それから先の言葉はほとんどジャックの耳に入ることはなかった。去っていく大臣の後ろ姿を呆然と見つめながら、彼女のことを思った。
「……タルト」
2
ジャックがその少女、タルトと出会ったのはある昼下がりの午後のこと。
ジャックはその時分、八歳になったばかりで、遊び盛りのわんぱくな少年だった。
当時から王宮内に出入りしていたジャックは、いつものように好奇心のゆくまま王宮内を探検していた。
親の権力を盾に、やりたい放題遊びまわっていたジャックだったが、その日ばかりは苦い顔をするだけで見逃していた大人たちも堪忍袋の緒が切れたようだった。とうとう彼に罰が下ったのである。
ジャックは王宮の南東に位置する倉庫に放り込まれてしまった。
そこは魔法薬実験室の真下にある部屋で、使い終わった薬の材料や廃棄物などが階上から直通の穴に捨てられ、この部屋に落ちてくるのである。だから倉庫というよりかはむしろ、ゴミ溜めといったありさまだった。
カビや埃、捨てられた薬草の匂いなどが混ざり合い、なんとも言えない臭気が蔓延していた。鼠すら寄り付かないような劣悪な空気に幼いジャックはすくみあがった。
何とかしてこの部屋から出たい。
その一心で部屋のあちこちを調べて回った。反省の意を示して大人たちに許しを請うのは子供ながらに情けないと思ったからだ。
どこかに隠し通路のようなものがないか、ジャックは必死になって探した。ゴミをかき分け、石壁を叩いて回った。果たして、それはあった。
背の高い戸棚の後ろに隠れるようにして、穴が空いていたのだ。
石壁に空いたその穴は一辺が一メートルほどの正方形で、ジャックがその穴に嬉々として飛び込んだのは言うまでもない。
陰気臭い部屋より、どこに通じているか判らぬ穴の方がましだったし、何よりその秘密の抜け穴はジャックの好奇心を存分に刺激した。
灯りになるようなものは持っていなかったが、幸い道は一直線で枝道がなかったため、迷うことなく終点にたどり着いた。
そこは小さな子供部屋だった。
倉庫と同じように穴は棚のようなもので塞がれていたが、裏側にくぼみがあり、ジャックはそこに手をかけ、上手く棚を横にずらして外に出た。
「どこだ?」
最初は城下町に出たのかと思った。町のどこかの家と王宮が秘密の通路で繋がっていて、自分はそれを通ってきたのだ、とそう思った。
部屋は六畳ほどで無人である。ベッドと書き物机、衣装箪笥、そして穴を塞いでいた棚だけという殺風景な内装だ。
右手には小さな窓があり、覗いてみると広い庭のようなところで大勢の少女たちが遊んでいるのが見えた。年齢の幅は広く、三、四歳の幼子から年頃の娘までが皆、笑顔で遊んでいる。
このような場所が町にあっただろうか。
庭を取り囲んでいる壁は王宮と同じ造りに見える。ということは、ここは王宮の中なのだろう。
しかしこんな場所は知らない。初めて来た。そこまで考えた時、ジャックは思い当たった。
王宮内を自由に探検しているジャックであるが、絶対に入ってはならない、と念を押されている場所が二か所ある。エリナ女王の居住エリアと北西の角にある階段室だ。
あの暗くて気味の悪い階段がどこに続いているのか、ジャックは興味を持っていた。何度か忍び込んだことがあったが、そのたびに屈強な衛兵たちに阻まれて親の許に突き返された。
ここがそうだ、とジャックは直感した。
同時に疑問も浮かんだ。どうしてこの場所に立ち入ることが禁止されているのだろう。その時だった。
「誰?」
背後から小さな声がした。
振り返ると、そこには自分と同じくらいの年齢の少女が立っていた。薄幸な雰囲気の少女である。赤い髪を肩まで伸ばし、顔立ちは素朴な造りで小ぶりな鼻が愛らしい。全体的に丸顔だが、それは子供特有の肉付きだろう。
「君こそ誰だ」
侵入者であることを忘れ、ジャックは質問を質問で返す。
「私はタルトよ」
少女は微笑みながら答えた。両手でティーセットが載った木のトレイを持っている。お茶を淹れるために部屋から出ていたようだ。
「僕はジャックだ」
「……ジャック?」
「僕を知らないのか?」
「うん、知らない」タルトはポットとカップを机に置きながら「どうやってここに入ってきたの?」
「あそこから」
ジャックが抜け穴を指で指すと、少女は「まあ」と驚いたようにその穴を見つめていた。
「君、ここはどこだ?」
「私、君って名前じゃないわ」
「タルト、ここはどこだ」
「ここは私の部屋よ」
「そうじゃなくって」
ジャックがかんしゃくを起こしたように地団駄を踏むと、タルトはさもうれしそうに笑った。
「ジャックって面白いわね。ここがどこかっていうのはね、私も判らない。だってここから出たことがないんですもの」
「どうして? 出たければ出ればいいじゃないか」
「だって、ここから出たら女王様に食べていただけなくなっちゃうもの。外は穢れがいっぱいで、一度でも外に出て体が穢れてしまった者は女王様に食べていただけないの。そう教わったわ。ジャックだって、床に落ちたビスケットを拾って食べようなんて思わないでしょう。汚いもの。それと同じよ」
「……君は何を言っているんだ?」
「私は『君』なんて名前じゃないわ。二回目よ。ふふっ。もう帰った方がいいわよ。休憩が終わったら、先生がいらっしゃってお勉強の続きをするの。見つかったらきっと大変なことになるわ」
「どうして大変なことになるんだい?」
「判らないけど、そう感じるの」
「また来てもいいかい?」
「どうぞ」
これがジャックとタルトの出会いだった。
3
ジャックはその後も抜け穴を通り、タルトに会いに行った。抜け穴側から棚の裏を二回ノックする。これを合図にした。
タルトはジャックが訪れると決まって笑顔で出迎えてくれた。ケーキを食べたことがないと言うのでケーキを持参すると、まるで幼い子供のように目を輝かせて喜んだ。
また彼女はジャックよりも頭がよく、勉強もできた。特に優秀だったのが薬学で、彼女に魔法薬学を教わり、悪戯の練度を高めたこともあった。
共通の趣味である読書は二人の話題の中心だった。ジャックは冒険物の小説を好んでおり、タルトは恋愛小説を愛読していた。二人で本を持ち寄り、交換して感想を言い合ったり、完結した話の続きを二人で想像したりして遊んだ。
棚の裏からノックをしても反応がない時もあった。
そういう時はおとなしく引き返すことにしていたが、なぜか胸の奥にもやもやとしたものが残った。家に帰ってもタルトのことばかりを考えてしまい、勉強も悪戯も手につかなくなった。
タルトとの密会は誰にも話さず、二人だけの秘密にした。誰かに話せば、タルトの言うようによくないことが起きるような胸騒ぎがあったからだ。
ここがどのような場所なのかについて訊いても、タルトは固く口を閉ざし、決して語ろうとはしなかった。その後、十五歳になったジャックは女王軍に入隊し、あの場所の真実を知った。
彼がどうしようもない絶望と悲しみに襲われたことは言うまでもないだろう。その時すでに、ジャックはタルトに恋をしていたのだった。
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