09 水没刑に値するのは

 ワタルがユッコに詰め寄られた日の翌日から、ユッコは朝のレクチャーに姿を見せなくなっていた。

 噂話は罪深い行為とみなされるため、教室の中では誰もそのことを話題にしなかったが、ワタル以外の者も、ユッコが何かしら将来使徒になる者として相応しくない言動をとったがために、選ばれし子の資格を剥奪されたのだろうと察していた。ワタルは、五人に減ってしまった車座に座るメンバーの顔をそっと見渡した。ゲンヤは普段と変わらない様子で座している。


 その日のレクチャーは道徳と刑罰についてだった。過去実際にコミューン内で発生した事件について、それに相応しい罰とは、さらに再発防止策について話し合うというものであった。講師は、現役使徒の一人ルキである。

 コミューン内で罪を犯せば、それは使徒と長老によって裁かれる。長老は全使徒の意見を覆す権限を持つが、そのように極端な措置が取られるのは稀で、通常は使徒の多数決で得られた決定が採用される。使徒の評決が半々に分かれた時は、長老の意見で決定される。


 ケース六

 病気の息子のために配給のパンを盗んだ厨房係。判決。水没刑。妥当か否か。

 背景。当時息子は五歳になったばかり。なかなか我慢などできない年頃だ。病気であるが故に、日当たりのよい療養所で、他の同年代の子供よりは気前のよい配給を受けていた。しかし、それでも足りないと泣く子供の余命が幾許もないと医者から告げられた父親は、自身の配給分に加え職場から連日少量のパンを盗み息子に与えていた。


「父親が盗みを働いたのは、息子の余命がいくらもないと知ってから。自分のためではなく、最後に少しだけ息子を幸せにしてやりたかっただけ。自分の分の食料も削ったあと、やむなく盗みに走った。それで水没刑は厳しすぎるように思う」とリーヤは沈痛な面持ちで言う。「根っからの悪人ではない。更生の余地は十分あったはずだ」

「しかし、他の者達も皆、食糧難を耐えている。病人のためなら自分への配分が減らされても文句など言わない善良な民だ。その善意を踏みにじるような行為は、やはり許されるべきではなく、厳罰は免れない。そうしないと、他の民に示しがつかないのでは」とエルが悲しそうに言う。

「いくら重い罰を設けても、利己的ではない行動の抑止にはならない」とキリヤ。「また、悪人が罪を犯すことを完全に制止できた試しもない。結局、極刑などというものの存在自体が無駄なのではないか。効果がないのに極刑で民の命を奪い続けることに、僕は疑問を感じる」


 ワタルはどう思うかと講師から問われ、ワタルは口ごもった。この手の討論がワタルは苦手だ。他の者達のようにうまく意見を述べられた試しがないからだ。


「僕は」とワタル。「リーヤに賛成です。幼い我が子を病気で失うだけで、罰は十分ではありませんか。父親が気の毒です」

「それでは、水没刑に賛成一名、反対二名、刑の存在意義に疑問を投じる者一名。ゲンヤの意見をきこうか」と講師はゲンヤを促した。

「息子が病気だからといって、盗みを働いていい理由にはならない。コミューンで仲間の物を盗むのは大罪、極刑に値すると我々は子供の頃から教わって育つ。そうして規律を守って来たのだ。『可哀想だから』で許していては示しがつかない。個別のケースごとに例外を設けていては組織が立ちいかなくなる。私ならば、躊躇いなく水没刑を下すだろう」


 ゲンヤは眉一つ動かさずにそう言った。


「その決定は、愛情深い父親の命を奪うことだと、本当にわかっているのかゲンヤ」とリーヤが口を挟んだ。「君は選ばれし者だ。もし――」

「当然、わかっているつもりだ。もし私が長老になって、私の判断で民に水没刑を下すことになったら、私自身が刑の執行役を務めよう。辛い仕事だ。他の者の負担にさせたくない」とゲンヤは言った。

「そんなのは駄目だ!」


 ワタルは大声で叫んでから我に返った。皆の視線が自分に集中していることを意識して顔を真っ赤にしながら、ワタルは言う。


「そんな、ことは、絶対に、駄目だ。長老にそんなことは、させられない。他の者を辛い目に遭わせるのが嫌だからなんて、結局、それは、君の弱さじゃないか。弱い長老だなんて、それでは駄目なんだ。君が水没刑を命じた時には、僕が執行役になる。君の命令で、僕が、ヒトの命を、水に沈めるんだ。君の手を汚させたりするものか。どれだけの民に水没刑を下しても、君は綺麗な手のままでいるがいい。それだけの覚悟があるのならば」


 ワタルの突然の激高を、ゲンヤは静かに受け止めた。


「民に死の宣告をした時点で私の手は血に染まっているだろう」

 ゲンヤは白い手を目の前にかざす。

「悪いのは、五歳の病気の子供が、空腹を訴えながら死んでいかなければならない現状だ。大切なのは、二度とそのようなことが起きないよう、抜本的解決策を考えることだ。不治の病の治療法を見つける、あるいは現在の食料不足を解決することができていたなら、起きなかった悲劇だ。罪を犯した者に罰を下すのが長老になった私の役目であるならば、ワタルの役目は、司書として民を救う方法を探すことだろう」


 講師からの講評などはなく、ディスカッションは時間切れとなった。

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