第1章

01 選ばれし子と選ばれし者

 朝、ワタルは他の「選ばれし子」五名と一緒にレクチャーを受ける。

 総勢六名の中にはゲンヤも含まれているが、ゲンヤは既に長老から「選ばれし者」に指名されている。ワタルを含めた残り五名の選ばれし子は、将来長老を支える使徒になる。


 コミューンの子供達は、五歳からスクールに通い始める。十歳までは義務教育だが、その中から選抜された特に優秀な子は、義務教育を終えてもスクールに通うことが課せられる。それが選ばれし子で、彼らは使徒になるための特別な教育を受ける。


 使徒の任期は決まっていないが、高潔な人格と類まれな知識が要求されるため、入れ替わりが必要に応じて発生する。選ばれし子も、一旦選ばれれば自動的に使徒になれるわけではないから、途中かなりの脱落者が出る。

 また、使徒候補不適格としての脱落ではなく、医療従事者や建築技師といった高度な専門職への進路変更により別の教育プログラムに移動する者もいる。


 一方、長老の交代は高齢を理由に引退という形をとることが多い。現長老は百八十九歳。後継者を育てることは逼迫した急務となっている。後継者「選ばれし者」は、長老が自ら指名する。

 選ばれし者は現役の使徒から指名されることもあれば、稀には一般の労働者から選ばれることもあった。ゲンヤのように、使徒候補の選ばれし子の中から選ばれる場合もある。指名は完全に現長老の采配に任されており、長老というのは、そのように絶対的信頼を得る存在なのだ。


 選ばれし者になった時、ゲンヤは十三歳だった。現在、じきに十五歳を迎えるゲンヤは、朝は他の使徒候補と同じレクチャーを受け、昼からは長老から直々に指導を受けているらしい。「らしい」というのは、昼からの指導で何が行われているのか、ゲンヤと長老以外誰も知らないからだ。その内容は勿論長老と将来の長老候補以外は知ることができない極秘事項である。


 ワタル自身は、十歳で義務教育を終えた後は、父と同じ煉瓦職人になるのだと思っていた。

 義務教育を終えた子は通常、職業訓練課程に進み、そこでどの職業に適しているか見定められる。

 コミューンを機能させるための職業は百を超えるが、彼らが暮らす広大で古い建築物には、常にどこかしら修復が必要であり、塔の存続を維持する重要な役割を担う父を、ワタルは密かに誇りに思っていた。職業に卑賎はない、各々が与えられた役割を精一杯務めるのであれば民の間に優劣はないというのが建前であったから、そんなことは人前では決して口にしないように気を付けていたが。


 職人に限らず、職業は世襲制ではないが、幼い頃から父の職場で仕事ぶりを眺め、隙あらば手伝おうとして七歳からレンガを均等に積み上げる作業に天賦の才能を示したワタルに父と同じ職業が割り振られるであろうことは、本人も含め周囲の誰も疑いを持たなかった。

 しかし実際には、ワタルは職業訓練課程の二年目、様々な職業体験の後、やはり自分は煉瓦職人になるのが一番良いと確信を持った十二歳の時に、突然現れた使徒より「選ばれし子」の一人として特別教育プログラムに参加するよう命じられた。使徒の名は、パウと言った。


 将来の使徒候補である選ばれし子に選ばれることは大変な名誉とされていた。その晩枕に顔を埋めて静かに涙を流していたワタルに、父はこう諭した。


「息子よ。私は、煉瓦という物質でこのコミューンを存続させる職人だ。お前は、知恵と慈悲と公正さという実態を持たないものでコミューンを守る。手を動かすか頭を使うか、それだけの違いに過ぎない」


 だけど自分は、ゲンヤみたいに賢くない。他のみんなはゲンヤほどではないにしろ勉強が得意だが、自分はそうじゃない。なぜ今頃になって選ばれたのかわからない。他の子達は、ゲンヤも含めて皆二年も前から選ばれし子の教育を受けているというのに。

 これはきっと罰なのだろうとワタルは思った。傲慢・強欲という罪に対する罰だ。誰にも、職業を自ら選ぶ自由なんてないのに。


 選ばれし子として特別な授業に向かう最初の朝、煉瓦職人達が集まって、ワタルを見送ってくれた。

「俺達の仲間から使徒様が出るなんて、誇らしい」

 彼らはそう言って、ワタルの肩を叩いたり頭を撫でたりして送り出してくれた。

「情けねえ顔するんじゃねえよ。お前がものすごく賢い子だってことは、俺達皆知ってらあな。それを見逃さないとは、さすがは使徒様・長老様だぜ。お前のような心優しい人間がお偉いさんになってくれれば、俺達や俺達の子供達も安心して暮らせるってもんよ」


 そうして、ワタルは煉瓦職人達の期待を背負い、暗澹たる気持ちで使徒候補としての修業を開始した。その時点で十五名程いた選ばれし子達だったが、プログラムが進むにつれ一人欠け二人去りしていったのは、将来使徒となるのに相応しくない気質が認められたり、他の職業への適性が認められたりしたからだ。

 ワタルは、自分もほどなくそうなるだろうと思い、それはそれで喜んでくれた父や父の職場の人々に大変申しわけないことだと憂鬱な気持になった。


 しかし、あれから既に三年が経過した今も、ワタルはまだ使徒候補のままだ。賢さは無論必要だが、知恵を悪用しない、私利私欲のために用いない高潔さは更に重要な使徒の資質である。そう講師達――主に現役の使徒――は言う。選ばれし子に選ばれた時点で自分が他の者より優れていると勘違いするような輩は、使徒には向かない。民のため、コミューンのために尽くす気持ちが重要なのだ、と。

 そうして残ったのが六名。そのうち一名は次期長老である選ばれし者となった。


「今日のレクチャーは」

 と本日の講師である現役使徒の一人パウが、ワタルの額を人差し指で軽く小突いて現実世界に引き戻しながら言う。

 慌てて居住まいを正すワタルを横目で見ながら、使徒パウはこう続けた。


「特に重要な、『書物について』であるから、長老直々にお話しいただく」


 使徒候補達に動揺が走り一瞬ざわめいた後、すぐに静まり返った。

「ゲンヤにとっては、既に知っていることの繰り返しとなろうが、重要なことなのでやはり心して聞くように。これから耳にすることは、何人なんぴとにも、例え家族や真の友にも他言無用であると心せよ。機密漏洩は、知るべきではないことを知った者にも及ぶことを忘れるな」

 普段はにこやかなパウのいつになく真剣な表情に、使徒候補達も事の重大さを痛感した。


 そして長老の床に届きそうな長いローブが、ゆっくりと教室内に入ってきた。この頃は民の前に姿を現す機会がめっきり減り、使徒見習い達の授業にも長らく姿を見せなかった長老が。

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