前話の投稿に誤りがございました。

全く違う内容を投稿しておりました。修正をしております。


不注意で申し訳ございませんでした。


◆◆◆◆◆◆




「ディフィカ大将軍。なぜティナ軍にやったように、大きな魔法を使われない?」


 カン軍は手酷い被害を受けていた。アレーの兵には死傷者はいないが、魔装兵には二百人近い死者が出た。


「なんだいザッツ。あの爆空は大きな魔法じゃなかったというのかい?」


 カン軍はヒルティス山の麓まで撤退してきていた。ディフィカは逃げ出した農家の家に上がり込み、そこでザッツと話をしていた。


「そうは言いません。しかしあなたはもっと強いと思ったまでです」

「ふん、私もただの呪詛の魔法師なのよ。闇の神に力を増幅されているとは言え、あれほどの魔法を使うのにはもっと時間がいるのよ」


 ディフィカは少しいつもより弱気な口調で、ザッツの陳情に受け答えた。

 ザッツはその言葉に、大きな不安を感じた。彼は闇の力を忌み嫌ってはいたが、心のどこかでそれに頼っていたのだ。カン軍の勝利に、ディフィカの力はなくてはならなかった。

 そこに民家の戸を叩く音がした。


「クロックね。お入り」


 ディフィカは戸の方を見もせずに言う。それに答えて、戸を開けて、クロックが現れた。


「ふん、浮かない顔だね。失敗したのかい?」

「ええ、ディフィカ。あの先見の者に邪魔をされました。カン軍も大分押されているようですね」

「先見の? そう。けれどまだあれは手負いじゃないかい。後れをとったと言うの?」


 ディフィカはそう言う間も、一度もクロックの方に顔を向けなかった。


「どういうわけか、包帯の一つも巻いてなかったよ。分が悪いと思って退いてきた。こっちの方は首尾はどうだったんだい?」


 クロックはディフィカに怒られる気配がないと悟ると、改まった口調をやめた。


「前にクラムが言っていた新術かね。忌々しい。それならアラレルもまた平気な顔で現れるかもしれないわね。だとしたら、こっちの方はほとんど戦果がないわ」


 クロックは一向にこちらを見ないディフィカを訝しがり、回り込んでディフィカの前に立った。


「母さん、その傷、」


 クロックはディフィカの顔の傷を見て、意外そうに目を丸くする。ディフィカはそれには答えようとせず、ただ鼻で笑った。


「敵軍の青髪の少年に斬られたのだ。恐らく防壁で大木を防いでいた大地の魔法師だろう」


 黙ったディフィカの代わりに、ザッツが言った。


「最もやっかいだったのはあの鉄の男よ。全身を分厚い鉄皮で覆っていたわ。そしてそれに頼り切らない動きをしていたわ」

「ああ、それだと母さんには辛かっただろうね。闇の魔法は使わなかったんだ」

「本当に、あの鉄の魔法師だけでも確実に殺しておけばよかったわ。クロック、敵にあの玉を砕かれたわ」

「なっ! それじゃあどうするんだよ? もう闇の力を溜められないのかい?」


 クロックの言葉に、ザッツも目を見開いて驚いた。


「一から作り直すしかないわね。それにまた力を入れなければならないでしょうから、三月はかかるわ」

「三月って、そんなに耐えきれる訳ないよ」

「ああそうだとも、このままではひと月とて持たないかもしれん。その玉というのは代替えは効かないのですか?」


 玉の存在を今始めていったザッツはそう問いかけたが、ディフィカとクロックの重たい沈黙がそれの答えだった。

 沈黙はしばらく続いたが、クロックには何の名案も浮かばなかった。


「ダルクに協力を頼むしかないでしょうね」

「それはでも母さん!」


 ディフィカがつぶやくように言った言葉は、クロックにはとても信じられないものだった。

 闇の大神官ダルクは、闇の力にすでに狂っている。ダルクはかすかに残る理性で、自分をアルテス山の奥深くにある洞窟に縛り付けていたが、それを解き放てば、ディフィカたちにも牙を剥きかねない。闇に堕ちた弱い男の、なれの果てだ。そう、クロックには見えていた。いや、ディフィカから聞かされていたのだ。


「ダルクは闇の力を相当ため込んでいるわ。この間様子を見たときは、大分調子もよかったようよ。危険な賭でも、今の状況ではやらないわけにはいかないわ」

「ダルクに闇の塊を一つ譲り受けるわけにはいかないのかい?」

「それが一番理想でしょうけどね。あれが何を言うかは想像できないわ」


 ザッツは二人の話がまるで理解できなかったが、漠然とした不安は感じた。二人の会話を息を飲んで見守る。


「ダルクか。できれば会いたくないな」

「そんなわがままが言える状況じゃないのよ。すぐにでも声を掛けるつもりよ。ふん、あなたの許しを得るまでもないわ」


 クロックはそんなディフィカの発言に、反論はしなかった。口を尖らせただ黙り込む。


「いい加減になさい。まるで駄々子じゃないの」


 ディフィカはそんなクロックにそう叱りつけたが、それ以上は何も言わず、目を閉じてマナを集め始めた。


「クロック、そのダルクというのはどれほどでここに着く? 俺はこの戦争の勝利のためなら、悪魔に協力を頼んでも構わないぞ」


 ザッツは拗ねたクロックに、気づかうように声を掛けた。クロックはディフィカに対する子供のような素振りをすぐに隠し、不適な笑みを浮かべた。


「ダルクは今アルテスにいるはずだ。そう早くは来られないな」


 アルテスは北の果てにある国だ。ザッツはそのあまりの遠さにうなだれた。


「明日の朝までに着ければ上出来だ」


 クロックは開き直ったのだろうか、からかうようにそう続ける。本気で落胆していたザッツは、クロックのその冗談に気を悪くしたようだ。


「その言い回しで何の得があるというのだ」


 クロックは意地悪く笑む。


「俺の気分が晴れる」


 ザッツは呆れたように天を仰いだ。

 翌朝早く、アーティス軍がカン軍の前に現れた。軍の配置は昨日と変わらなかったが、アラレルとドゥールとライトが軍の先頭に立っていた。ディフィカの予想通り、治水の魔法でアラレルの怪我は癒えていた。

 斥候からすでに報告を受けていたカン軍は、やはり昨日と同じ陣形でそれを迎え撃とうとしていた。


「ダルクというのはまだ現れんのか?」

「そうだね。もう来ていい頃だと思うけど」


 アレーの部隊にクロックは混ざり、撤退のときのために力を温存していた。クロックはアーティス軍を初めて目の当たりにし、改めてこの戦争の絶望的な状況を知った。

 撤退を前提にした布陣は、カン軍の士気を下げ、先日の勝利を得たアーティス軍は意気軒昂としていた。


「なんだろうな、この嫌な感じは。ザッツは何か感じないか?」

「嫌な感じ? それは敗戦を意識しているためではないか? それとも本当にダルクという輩に会いたくないか」

「そうじゃないんだ。まあ、それもないとは言えないけど、そういうものじゃないんだ」


 ヒルティス山は向かい合う二つの軍を静かに見下ろしていた。千を越える鎧の集団と、防具をほとんど身につけていない二百程度の集団。その二つが向き合うのは、広大な平野部だ。踏みにじられる田畑はそれでもなお整然としていて、空は晴れ渡り、抜けるような青が続いていた。

 風は強くなく、そよそよと流れる。寒季に入ったアーティスは、太陽風が力ない熱しか運ばないため肌寒い。

 大自然は人がどのような争いをしていようと、変わらずに流れる。人と人との争いごとなど、その前においてはあまりに小さかった。


 クロックはなぜかふと、平和を望む者の気持ちが分かった気がした。


 しかし一度争いを始めた人間に、そのような感傷は意味をなさない。誰も浮かばれはしないというのに、人は争いを止めない。

 向き合う軍に、一陣、強く冷たい風が吹いた。

 クロックの感じていた不安が、にわかに強く騒ぎ始めた。クロックは辺りを見渡したが、同じ不安を感じている者はいないようだ。

 しかし異常は確実に起こっていた。その証拠に、ディフィカが血相を変えアレー部隊の元に下がってきたのだ。

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