リリアンと別れ、一日掛かりでアーティーズトンネルを抜けたルックは、そこで見知った顔に出くわした。見知った顔と言っても、一度この場所で会っただけなのだが、向こうの方もルックの事を覚えていて、声を掛けてきてくれた。


「よう。厄介な仕事はもう片付いたのかい?」


 黄緑色の髪の、三日前ここでリリアンがアラレルの事を尋ねたロープウェイの職人だ。ルックは笑顔で言葉を返す。


「うん、無事にね」

「あの嬢ちゃんはアラレルには会えたのかい? ま、会いたがってた風でもなかったが」

「あれ、よく見てるね。残念ながらトンネルの向こうでちょうど」


 男の言葉にルックは愛想良くそう言った。


「おじさんは今日は仕事? 大変だね」

「今日はロープウェイの点検日なんだよ。通ってきたとき何か嫌な音はしなかったかい?」

「ううん、大丈夫。帰りは一人だったから良く聞いてたけど、いつも通りの音だったよ」


 トンネルを一人で抜けた者は、大抵人恋しくなってトンネルを抜けた後に話し相手を欲する。だからロープウェイ職人もルックに気さくに話しかけてくれたのだ。しかし何でもない世間話のはずが、そこで彼は気になることを言った。


「そいつは何よりだ。あ、そういやあのお嬢ちゃんの想い人なんだが、今ティスクルスにいるよ」

「え、アラレルの事? アラレルは一刻も早くアーティーズに帰らなきゃいけないのに、どうしたんだろう」

「さあ、何でも熊が出るとかなんとかで、その退治のために宿の管理人に引き留められてるらしいな。熊ぐらい小遣い稼ぎに俺らが倒してやるって言ったんだが、アラレルたちは頑として首を縦に振らねえんだ」

「ふーん?」


 おかしな話もあるものだった。戦争を目前にして国の要とも言える人が熊退治で足止めされるなど。別に熊程度なら戦闘に不馴れなロープウェイの職人でも何とかなるはずだ。彼らも一応アレーなのだし、力でなら熊にも引けはとらない。わざわざアラレルが丸一日もここで足止めされる理由はないのだ。


「分かった、ありがとう。じゃあ僕もアラレルに挨拶してくるよ」

「おう、またな」


 ルックは男と別れ、ティスクルスへ向かう。今日はティスクルスで一休みをして、暗くなる頃には首都アーティーズへ帰れるだろう。

 ティスクルスの受付では若い女性のキーネが愛想良く応対をしてくれた。ルックは宿賃の金貨一枚を彼女に渡す。


「アラレルは今日ここに泊まってる? 挨拶をしていこうと思うんだけど」

「うん、泊まってるわよ。今食堂で管理人さんと話してる」


 彼女は優しく教えてくれた。ルックは笑って礼を言い、食堂へと向かった。ルックは熊退治と言うのを疑わしく思っていた。むしろ熊退治と聞いて不安が募った。敵国の先見隊が潜り込んだのかもしれないし、もしかしたら奇形の熊かもしれない。なんにせよ何か良くない事が起こったに違いないと思ったのだ。微力ながら何か役に立てないかと考えていた。


 まだ朝も大分早い時間なので、人のまばらな食堂でアラレルと管理人はすぐに見つかった。案の定ただの熊退治とは思えない真剣な顔で何かを話している。


「おはよう。邪魔じゃなければ混ぜてもらっていい?」


 ルックはそんな二人に声を掛ける。管理人はルックを見て訝しげな顔をした。対してアラレルは彼を見た途端に、安堵の表情を浮かべた。管理人は六十近い痩せた紳士だ。身なりのいい服に身を包み、慇懃な顔付きをしている。


「おはようございます。僕はルック。アラレルと同じフォルキスギルドのフォルです」


 管理人の男はルックがフォルだと聞いて警戒を解いたようだ。笑うと意外にも優しい雰囲気になる。


「ほう、見ればずいぶんお若いようですが、その歳でフォルの資格をお持ちとは」


 にこにこと年季を感じさせる笑顔で管理人は言い、ちらりとアラレルの様子を窺う。けれどアラレルは彼と目があったのに、彼の目線の意味するものに気が付かず首をかしげる。管理人はため息をつき、目線に込めた問いを言葉に出して言う。


「彼はあなたの力になってくれそうですかな?」

「ああうん、そうだね。ルック、リリアンは一緒かい?」


 アラレルは期待の籠もった目でルックにそう問いかけた。ルックはアラレルの意図は分からなかったが、とりあえず首を振った。


「そうなんだ。それは残念だな。彼女にも一度ちゃんと謝りたかったんだけど。ルックもごめんね、あの後良く考えたんだけど、やっぱり君の言う通りだったかもしれない」

「ううん、僕もひどいこと言っちゃってごめんね。それで一体何があったの?」


 ルックはアラレルの潔い態度を好ましく思った。笑顔で和解を成立させて本題に移る。


「実はね、東の森人の森にルーメスが出たんだ」


 アラレルは言う。その言葉はルックの事を驚愕させた。にわかにルックは笑顔を消して聞き返す。


「ルーメスだって? まさかそんな」

「僕も昨日同じことを言ったよ。けど森に入って僕自身がそいつを見たんだ」


 ルーメスとは、違う世界に住んでいると言われる、人型の妖魔だ。それが年に一度ほどの割合でこの大陸に迷い込む。最強の生命体とも呼ばれるそれらは、非常に暴力的な存在だった。人や家畜を喰らい、その絶対的な力をもって暴れまわるのだ。昔はそれを倒すのに一国が大軍を差し向けるほどだったと言う。人がマナを使った体術を身に付けた今でさえ、一歩間違えれば多くの戦士が犠牲になる。

 それらはとても神出鬼没で、どこここによく出るといった法則はない。まれに一年で数回出現することもあり、逆に数年姿を見せないときもある。だからここでそれが現れたとしておかしな話ではないのだが、何も戦争を控えるこの今のアーティスに現れなくとも良さそうなものだ。ルックやアラレルがすぐには信じられなかったのも無理はない。


「まさかアラレル一人で討伐に行ったの?」

「うん。けどやっぱり森の中ではうまく動けなくてね。最初は倒せるかと思ったんだけど、結局逃げられたんだ」


 やはりアラレルは並みではない。ルーメスと一人で相対して有利に事を運ぶなど普通のアレーにはまずできない。少し頭の足りない彼でも、やはり同国人であることが誇らしかった。


「そっか。それでリリアンがいれば楽に倒せると思ったんだね。それにパニックにならないようにみんなには熊退治だなんて言ったんだ」

「うん、そう。よく分かるね」

「ここまで聞けば誰でも分かるよ。でもそれなら僕でも協力できるんじゃないかな」


 言葉は控えめだったが、一人でなら無理でもアラレルと共闘で、逃がさないように補佐をすることぐらいはできると思った。アラレルもそれを期待していたのだろうが、ルックを危険に晒すのにためらいがあったのか、言葉に詰まった。


「別にアラレルを軽んじるわけではないのですが」


 その状況を見兼ねたのか、管理人の男が申し出た。


「万が一にもアラレルの身に何かあっては困ります。青髪の方とご一緒ならば私も安心できるのですが。ここは一つお願いできないでしょうか。もちろん報酬はお約束させていただきます」


 礼儀正しい口調にルックは笑顔で管理人を見た。好々爺を目前としたような、優しくて穏やかな笑顔だ。鷲鼻で癖のある顔だったが、歳と共にそれが味となったというような、深みのある人だ。


「もちろんです」


 ルックは感じのいい管理人に、気分良くそう言った。しかしそこで、管理人の目が怪しく光る。


「ありがとうございます。さすがはフォルキスギルドの方ですね」

「はは。そういうふうに言われたのは初めてです」

「それでは報酬なのですが、銀二枚というところでどうでしょうか?」


 満面に笑みを称え、彼は言う。変わらず人好きのする笑顔だが、目は怪しい光を隠していない。ルックは少し信じられない言葉を聞き、それを反芻し、聞き間違いではないことを頭の中で確認する。


「銀二枚? それじゃあここの宿賃の五分の一にしかならないですよ。せめて金二枚は貰わなきゃ」

「いえ、もちろん私とて出し惜しみをするわけではないのですが、アラレルは銀三枚で引き受けてくれたのですよ。名高い勇者を雇うより高額を提示してしまっては、彼に失礼というものでしょう?」


 アーティス人はこういう駆け引きが元々好きだが、その中でも彼は異常だ。一体アラレルをどんな手管で丸め込んだのだろうか。アラレルに対して、しかもルーメス退治という危険な仕事に銀三枚とは異例の破格だ。ルックもまさかアラレルが銀三枚で引き受けたと言われては、引き下がるよりない。苦い顔で観念し、その額で手を打った。だしに使われたアラレルは申し訳なさそうにルックを見ていた。

 ルックもお金が目当てで引き受けようと思ったのではないので、呆れながら話を続けた。


「それじゃあ僕は少し眠らせてもらって、起きてからルーメス退治に行こう」


 本当なら一刻も早くルーメスを葬りたいところだが、ルーメス相手に万全でない状態で向かうのは論外だった。トンネルを通ってきたため、丸一日寝ていなかったルックは、ルーメスをおそろしく思うからこそ無理をすることを控えた。


「あ、もちろんルックは魔法でルーメスの足を止めてもらうだけでいいからね。直接戦うのは僕がやるよ」

「はは、もちろんだよ。僕の体術じゃ何も役に立たないよ」

「そんなことないよ。ルックは優秀だよ」

「ありがと。でも別にかばってほしくて言ったんじゃないよ?」


 見当違いだったが、アラレルなりに気をつかって言ったのだろう。幼いとき不用意なアラレルの発言に、自分は強くなれないのだと落ち込んだことを思い出した。アラレルもそのときのことを反省しているのかもしれない。だからアラレルの言葉には明るく笑みを返した。いつも彼と話していると思うことだが、本当にシュールやシャルグと同じ歳とは思えない。


 ルックはそれから、軽い食事をとって、受付に戻り部屋への案内を頼んだ。

 一日歩き通した疲れが出て、ルックはベッドに潜り込むと同時にまぶたを落とした。

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