②
「え、だめかい? 僕だって一応アレーだよ?」
「いいわけないじゃない! あなた、戦争がどういうものか分かってるの?」
非常に厳しい口調だ。いつも泰然としているリリアンらしからぬ緊迫した声だった。十近く年下のリリアンに対して、トップは肩を縮めて小さくなった。
「でも僕だってあれから皆に鍛えてもらって結構強くなったんだよ。そりゃ戦争なんて見たことないし、恐ろしいものだと思うけど、それならなおさら皆にだけは行かせられないよ」
ルックは最初、トップが言い訳をし出すのかと思った。しかし、トップの意思は固かった。リリアンは真剣な眼差しでトップを見つめる。トップもそれに応えて、真顔で彼女を見返した。
長い時間睨み合うようにして無言を保った二人だったが、根負けしたのはリリアンだった。彼女は軽くため息をつき、目線を逸らす。それを見たトップはほっと胸を撫で下ろした。横でそのやり取りを見ていたルックは、しかしそれで、リリアンが完全に承諾したわけでないのを敏感に感じ取った。
「そう、それなら決めたわ。まず引いてあげる条件として、ギルドに依頼する人数を百にしなさい」
「百だって? そんな大金僕の一存じゃ決められないよ! 僕の収入はこの家業のほんの一部なんだよ? 親族だってそれぞれ仕事をして稼いでいるから、ティナ屈指の豪族だなんて言われてるけど、僕一人の収入はそんなにないんだ。条約以上の事をするのに親族の許しは出ないよ」
今まで楽しげに会食していたアレーたちも、このやり取りに気づいた者から順に、黙って二人に注目し出した。
「それもそうでしょうね。けど例えば今日最初に通された部屋にあった燭台、あれをギルドに渡せば二人は用意してくれるはずよ。この屋敷にはあんなのがごろごろしているんでしょ? 大切なものかもしれないけど、あなたやここにいる人たちの命がかかっているのよ」
「うん、それはそうだけどでも」「それともう一つ」
何かを言おうとしたトップを遮りリリアンは強い口調で言う。このときにはもう晩餐の間は、二人のやり取りに集中し、静まり返っていた。
「この百二十からなるアレーの軍の指揮官は私がやるわ」
「何を馬鹿な!」
ほとんど絶叫とも言えるトップの声が部屋中に轟いた。それはつまりリリアンも戦争に参加するということだ。さすがに指揮官からトップを外されると聞いては、他の者たちも黙ってはいなかった。口々に不満の声をあげる。
そしてこれにはルックも反対だった。リリアンは戦争にあまりいい感情を持ってはいない。もちろんルックにしてもそうだが、彼はアーティス人で彼女はヨーテス人なのだ。彼女が戦争に参加しなければならない理由はない。それにヨーテスがこの戦争に参加していることはもう間違いがない。彼女がアーティス側に付くということは、同郷人を敵に回すということだ。
「リリアンは戦争なんて嫌いなんじゃないの? 守る国もないリリアンがわざわざ戦争に参加するなんておかしいよ」
ルックはリリアンに言う。彼には彼女の真意がわからなかった。
「そうだよ、君と違って僕はこの軍に対して責任があるんだ。僕が立たないでどうするのさ」
トップもルックの言葉を肯定し、言う。しかしリリアンは落ち着いた声でそれを否定した。
「もしもあなたが指揮官なんかになろうものなら、アーティスにいいように言いくるめられて、一番危険な戦場に向かわされるだけよ。それこそここにいる人たち誰も生き残らないわ。いい? あなたたちティナの人は戦争を知らないの。私以上に戦況を理解できる人間はここにはいないわ」
部屋中のアレーに言い聞かせるような口調だ。アーティスもビースのように話の分かる人だけで回る国ではない。中にはとても腹黒く、自国民を守るためにティナのアレーを道具として使おうとする者も出てくるだろう。リリアンの言葉にみなは得心しきれた風でもなかったが、一応は反論をやめる。トップの言を待とうというのだ。
「確かにそう言われると僕が指揮官になるのは筋じゃないかもしれないね。うん。確かにそうだよ。ただリリアンは僕たちにそんな義理はないだろう? リリアンが優しいのは知っているけど、でもだからこそ戦争なんて似合わないよ」
一呼吸置き落ち着いて、トップは諭すように言った。しかしリリアンはそれでも引こうとはしない。
「ミアは私の友達よ。トップと分かった今でもそれは変わらない。けどね、私が守りたいものはあなただけじゃないの」
他にこの戦争から守りたいものなどあるのだろうか。ルックは今までのリリアンの話の中からそれを見つけ出そうとしたが、思い付かなかった。
「あなたが戦争に参加するなんて、もちろん大ごとよ。あなたも昨日今日決めたことではないわよね? さぞかしティナの街でも有名な話になっているのでしょうね。違ったかしら?」
リリアンの問いに、部屋中が無言で肯定する。
「さっき話したと思うけど、この街のどこかに今ウィンがいるの。あなたが戦争に行くと知って、ウィンが黙っていると思うの?」
「あっ」
トップはしまったと思ったことを顔いっぱいに表した。彼もウィンが彼を想っているということを、たぶん知らないではなかったのだ。
「今ごろ彼女はファースフォルに登録している頃でしょうね。元々彼女はティナの生まれだし、何も問題なく受け入れられるわ。彼女はあなたのためなら金貨百枚も投げ捨てるわよ。それにキルクもアーティス人よ。ギルドが拒む理由もないわ。ウィンを一人で行かせるわけもないから、彼も今ごろギルドに加わっていることでしょうね」
リリアンの言葉にトップは凍りついた。全く予想していなかったことなのだろう。けれどウィンという女性をトップは知っている。リリアンの予想は恐らく外れないということを彼もわかっているのだろう。二の句がつげないようだった。
「それにルック。あなたよ」
「僕? 僕がどうかした?」
「私あなたに、死なれたくないの。あの秘密を教えたのもそのためよ。あなた今朝アラレルに言ってたじゃない。出会ったばかりとはいっても、あなたは私の友人よ。私の方もそう思っているわ」
意外な言葉だ。リリアンにとって自分は旅の途中のよくある出会いの一つなのだと考えていた。まさか自分をそんなに大切と思ってくれるとは考えていなかった。
ルックはトンネルの中での長い時間に感じた沈黙を思い出した。確か彼女は力の秘密を教えてくれたとき、理由を何となくと言っていたはずだ。だけど思えば、恐らく彼女には何かルックに死なれたくない理由があるのだ。リリアンの生い立ちなど、詳しいことはルックも知らない。だからそれが一体何なのかはわからなかった。
しかしそれがなんであれ、ルックには彼女の言葉は嬉しかった。
もしもこの戦争でアーティスが負けるとなると、ルックのような年若いアレーでも、戦争に参加したものは皆殺しにされるのだ。アレーというのはそれだけで脅威で、例えカンやヨーテスがそれを行ったとしても、どこからも批判の声は上がらない。
リリアンはそれをさせないため、アーティスを勝利に導こうというのだ。
「分かったよ、百人ね。なんとかするよ。それと君が指揮官になるのを認めるよ」
ついにトップが折れた。しかし部屋の中にはまだ反対の声があった。トップが先頭に立つからこそ自分もと思っていたものも多いのだ。特に年若いアレーは強く反対の声を上げた。
「僕はあなたがどれ程のアレーか知りませんが、戦争を知っているかどうかなら隊長でもいいはずです。隊長なら十年前のあの戦争のときにアーティス軍に加わって戦っていますから。隊長はアレーとしてもこの中の誰よりも強いんです。確かにあなたの言う通りトップは指揮官に向いていないかもしれませんが、僕はあなたに命を預ける気はありません」
これは門番をしていた新米のアレーだ。隊長というのはここにはいないと言っていた護衛隊長のことだろう。
「私も隊長が引っ張ってってくれんならいいな。あんた私よりも年下でしょ? なんか頼りないしね」
「俺もそう思う。昨日今日知り合った人じゃ不安だ」
新米のアレーの発言を皮切りに、口々にリリアンに対する批判の声が上がった。リリアンはその発言の数々が収まるまで冷ややかな目で待った。彼女は確かにトップの屋敷の誰よりも若かったが、毎日自分の力で生きてきたものと、誰かの庇護のもと生きてきたものとでは話にならない差があった。それに恐らくこの平和なティナのことだ。ここにいる大半はまともに命のやり取りをしたこともないのだろう。ともすれば、護衛隊長ならもしものときも自分たちを守ってくれるんじゃないかという、とんでもない甘い発言も聞こえた。
年かさのアレーやルックはあまりに戦争や戦闘というものを理解していないその発言には苦く笑った。
「あなた、隊長がこの中で誰よりも強いとか言ってたわね。それは間違いよ。私はたぶんかなりその隊長より強いわ」
リリアンは一通りの批判が収まった頃、落ち着き払った声で言う。これにはまた強い批判の声が上がるかと思われたが、それを遮るようにトップもそれを肯定した。
「そうだね。彼も確かに強いけど、リリアンも強いからね」
小さな世界しか知らない若いアレーたちには、トップの言ったことは意外だったのだろう。何を言っていいのか分からず皆一様に発言を控えた。しかしその目には、皆明らかな疑いの色が込められていた。
「へぇ、やっこも俺なんかじゃあ手も足も出やしねぇが、お前さんは奴より強いのか。大したもんだ。お前ら信じられるかい?」
まるでからかうような口調で、始めに会った年配の門番が言った。彼も隊長と同じく仲間内では強い信頼を得ているのだろう。彼に味方されていると見た若いアレーたちは、再び力を取り戻し、信じられない、そんなわけはないだろうと口々に言い合った。
皆が自分の言に反応しきったのを見てから、男はリリアンを見て言う。
「ってことで嬢ちゃん、一つ賭けをしないか? 俺らの隊長とあんたで一騎討ちをしてくれないか? もし万が一お前さんが勝つようなら俺たちもあんたの事を信用する。要は嬢ちゃんがただの狂言持ちじゃないって確証がほしいわけよ」
リリアンを見る男の目は、口調とは裏腹に揶揄するようではなく、真剣なものだった。
「みんなもそれで異論ないな?」
リリアンはその男の意図するものに気付いて、肩をすくめて皮肉に笑んだ。つまりこれは、若いアレーたちを擁護するように見せかけて、リリアンにチャンスを与えようということなのだ。まんまと罠にはめられたとは気付かない若いアレーたちは、男の言葉にみな頷いた。
「だそうだ。グランの奴には勝手に決めてしまって悪いが、それで白黒つけようか。まぁ、もちろんこのごちそうを食べた後でだがな」
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