ルックはなぜか、彼らの家で目を覚ます。


 あれ、どうしてぼく……


 ルックはすぐにこれが夢だと気付いた。

 あたりを見ると、ルックの育ての親であり、彼らのチームのリーダーでもある、シュールの姿がすぐに目につく。

 彼は今、声は出さずにルックに微笑みかけていた。

 その後ろには、ライトとルーンが立っていた。屈託のない笑顔を見せるライトに対し、ルーンは少し、いたずらっぽい笑顔をしていた。

 シャルグもいた。ドーモンも、ドゥールもだ。

 七人全員がそこにはいた。その誰も、優しくルックに笑っていた。しかし、何か一つがルックには欠けてるように思えていた。




 思えていた。




 窓から覗く朝の日差しは柔らかく、そよ風が草花の淡い香りを運んできている。

 ルックにとって彼らは家族だ。そうしてここは、この家は、彼の心の拠り所。


 その全て、全てが揃っているはずなのに、……


 ルックの胸にはぽっかり穴が開いていた。ルックは自分の夢をどこか客観的に眺めながら、そう思った。

 ルックは孤児だ。けれど彼は、シュールたち四人の大人に囲まれて、愛情を知り、ルックと同じく親のいないライトやルーンと友達になり、家族のように育っていった。

 この夢には大事なものが、かけがえのないものが全てある。

 だけどなんだか、何かが足りない。




 何かが足りない。





 ―――ルック、……

 そう考えたルックの耳に、まるで光をまとったようなとても奇麗な声が聞こえた。

 滑らかで鈴を鳴らしたような声。

 その声を聞いた瞬間、何かが足りない感覚があっという間に消え去った。


 ルックは振り向く。

 赤とピンクのリボンを巻いた長い黒髪。少し勝気な大きな瞳。肌理の細かい白い肌。高くはないが形の綺麗な鼻。その下の、赤い唇。

 はっきりとした顔立ちに、やはり彼女も笑みを湛えて、ルックの名前を口にした。


 そう、彼女だ。彼女が足りていなかったのだ。

 窓から覗く朝の日差しが柔らかく、そよ風が草花の淡い香りを運んできている。

 全てが揃い、ルックはとても満たされていた。大事なものが全てあるのだ。特に大事な彼女まで、ルックのそばで微笑んでいた。

 ここでは全てが満ち足りていた。

 夢だとわかっていたはずなのに、いつまでもこの幸せが続けばいいとルックは思った。




 ルックは思った。








「朝だぞ、起きろ」


 陽光がその輝きを増し出して、だが、まだほの暗い森の中、シャルグの声でルックは夢から覚めた。知らない少女を大切に想う少し変わった夢だったため、まだ少し寝ぼけたままで、ルックは小さく伸びをした。ルックを乗せた枝の下ではライトとシャルグが彼を見上げて立っていた。


「ごめん、今行く!」


 ルックは言って、荷物と剣を手に持って枝からひらりと飛び降りた。ルックの重みから解放された枝が、鞭のようにしなって跳ね上がる。


「シャルグが少し歩いてから朝食にしようって。運よく川か泉があればいいけど」


 膝を曲げ着地の衝撃を和らげたルックを見下ろしながら、金色の瞳が声を掛ける。


「そう? 見つからなくても今日中にはトンネルの前まで行けるだろうし、平気じゃない?」

「うん、けどもし今日中に麓の宿までつけなかったら大変だし、水はなるべく補給しときたいでしょ?」

「そっか。うわぁ、そうなったら水はあっても食べ物がないよね。早く行こ」


 ルックはライトと話をしつつ、荷物の袋を鞘に括った。鞘から延びる茶色い革ベルトを袈裟がけにして、すぐ身支度を整える。

 一行は再び南へ歩き始めた。

 木々の合間をくねくね進み、藪をかき分け、敵の気配が近くにないか気を配る。アーティスは大陸の南に位置するため気温の低い国だ。しかし今はまだ寒季ではないので、しばらく歩くとルックの額にうっすら汗が浮かび始めた。


「大丈夫?」


 そんなルックを振り返り、ライトは優しく声を掛けた。ライトは優れた体術使いのため、ルックよりも数段余裕のある表情だった。


 チームの子供三人のうち、ライトだけが魔法を一切使えない。もちろんまだ見つかっていないというだけで、ライトのような金髪でも何かの魔法を使えるという可能性は少なからずある。しかし今この時代金髪のアレーは魔法が使えなかった。彼はルックより三年遅れでフォルになったが、フォルキスギルドの創立以来約二百年、魔法を使えない金髪のうち、最年少でフォルの資格を得たのはライトだった。

 魔法が使えないため、体術だけで難関な試験を突破するのだ。しかもマナを使った体術は、体格に多少左右される。小さい体だと、その分使えるマナも少なくなるのだ。それなのに小柄なライトの使う体術は、もちろんシャルグと比べたら見る影はないのだが、ルックを含め同年代のアレーの中では際立っていた。

 ライトが得意とするものはマナを使った剣技だ。しかしそれでもやはり、ある一定の体力は必要だ。昨日から日がな一日歩き続けルックは少し疲れを感じていたが、ライトは涼しい顔をしていた。


「そろそろ休むか」


 二人のことを振り返り、シャルグは言った。とても無口で、何人もの命を奪ってきた彼だが、ルックやライトに対する態度には深い愛情を覗かせている。


「うん、けどもう少し歩けるよ」


 ルックは言う。実際ルックは最後尾で、彼が行くのは前の二人に踏みならされた道だった。さすがのルックも余力はあった。


「そうか」

「休みたくなったら言ってね」


 しかし正直な話、自分はこんな移動には向いていなかった。今回はルックが行かなければ話にならない依頼だが、険しい山を登ったり、深い森を通ったり、厳しい道程のある仕事には、ルックたち子供はあまり連れて行かれたことがなかった。


 こんなことなら、もう少し体力を付けとくべきだったな。


 そんなことを思いながらしばらく歩いて、そろそろ音をあげようかと思ったとき、前を行くシャルグの足が突然止まる。


「どうしたの?」


 ルックはシャルグに問いかけて、俯きかけた目線を上げた。そしてルックもそれに気が付きその目を見張る。

 相も変わらず木々ばかりの視界の中に、突然広場が現れたのだ。欝蒼とした木々の中、そこだけぽっかり視界が開けた。


「すごい! 森人の森にこんなところあったんだ」


 ライトが言った。

 声にこそシャルグは何も表さなかったが、気持ちはライトと同じだろう。しばらくはただ眼を見張り、物珍しげにその広場へと目を向けていた。


「ここでしばらく休もうか」


 シャルグは言った。昨日から丸一日も木々に囲まれ過ごしていたのだ。この空間はありがたかった。

 広場はおよそ二十歩ほどの半径で円になり、その中心にほかの木々より五倍は大きい巨木が立っていた。


「ジジドの木だね」


 ルックはその木に目をやってそう言った。

 ジジドの木。それは大陸のいたるところにある木だ。例えば、他には一つも木のない砂漠に、一年通して分厚い雪の覆った山に、なんの変哲ない村の一角に。本当に場所を選ばずいたるところにある木なのだ。その常緑樹、ジジドの木がこの森人の森にあるというのは、あまり広くは知られていなかった。

 ジジドというのは、大地のマナに属す精霊王の名前だ。多くの土地にその伝承が残っている。

 そのジジドがまるで特別に大地の加護を与えたような大木のことを、人々は「ジジドの木」と、呼んでいるのだ。


 ジジドの木には、大きいと雲まで届くものもある。それから見るとここにあるのは、他の木よりは五倍も大きな木でも、ジジドの木では小型な方だった。

 そんな木が大きくその葉を周囲に伸ばし、日を遮っているためか、それともここの地の下に大きく張った根のせいか、その木を円の中心として、ここには広場があったのだ。


「うん、けどそれにしては小さいね。いっつも見てる二股の木は山みたいに大きいのに」

「あれはジジドの木でも例外らしいよ。一番多いのはこのくらいの大きさなんじゃないかな? 僕もあんまり見たことないけど、前タスカ村で見たのはこのくらいだったよ」

「そうなの? 僕タスカの村はジジドの木を中心に作った村だって聞いて、何となく二股の木の周りに家があるの想像してた」


 二股の木というのは、大陸で最も大きな木のことだ。彼らの暮らす首都アーティーズの北側にある、パチンコのような形の大木だ。大げさではなく、山ほどの大きさがある。


「あれが村の中心にあったらさぞ邪魔だろう」

「はは、ほんとだよ」


 三人は他愛のない会話をしつつ遅い朝食の準備に掛かり始めた。準備といっても、出したコップに飲み物を注ぎ、ライトが皆に配った程度だ。後はそれぞれが干し肉や根菜を袋から出した。アーティスとティナはそれほど離れていないのでこうした保存食だけで事足りるのだ。食糧はこの朝食でほぼ尽きる。だが順調に行けば今日の午後にはアーティーズ麓の宿までたどり着ける。

 彼らはジジドの木に寄りかかり、食事を楽しんだ。


「今どの辺にいるのかな? ルックは分かる?」

「街と御山の中間ぐらいじゃないかな? そろそろ公道の様子も気になるかもね」

「行き過ぎちゃってたりして」

「あはは、それは困るね」


 シャルグの口数は相変わらずだが、開放感に会話は弾み、あたりに敵の気配もなかった。今日はなにも起こらなければいい。そう思いつつ三人は腹を満たして立ち上がる。この森人の森さえ過ぎてしまえば、あと、刺客が仕掛けてきそうな場所はアーティーズトンネルの先、ティナを見下ろす丘の付近くらいだ。

 トンネルではまず間違いなく戦闘はない。そこは多くの者が光を灯す努力をしたが、どんな不思議が働くためか、一切明りが灯らないのだ。だから、そこまで行けばほとんど任務は完了すると言っていい。だから彼らは、一刻も早くこの森を抜け出たい。そう思っていた。

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