クソデカダンジョン

梅松竹彦

学生編

第1話 憧れ

 二〇四五年 七月六日

 午前十一時四〇分


 巨大怪獣の出現を知らせるサイレンが白昼の市街地に鳴り響いた。

 昼休み前の緩んだ空気感に包まれていた教室は一転、喉奥を締め付けられたような緊張感に包まれる。


「皆落ち着いて廊下に並んで! 今から避難するから先生の後ろについてきて!」


 担任の谷岡芳佳先生の指示に従い、四年一組の子供たちが速やかに避難帽を被り廊下に整列する。

 直後、怪獣の咆哮が大気を震わせ、その爆音に学校中のガラス窓が一斉に割れた。


 悲鳴を上げた子どもたちをなだめ、谷岡は四年一組の生徒たちを連れて体育館の地下にある避難所へと誘導する。

 二〇四五年現在、突発的な怪獣被害に備えて日本全国の小中学校の地下には厚さ三〇センチの複合装甲壁に守られた避難所が設置されている。


「点呼取るわよ! 名前呼ばれたら怪我してないかも教えてね!」


 続々と他のクラスの生徒たちが避難所へ集まる中、谷岡が手元のタブレットを読み上げていく。


はがね大輝だいきくん! ……鋼くん?」


 名簿にチェックをつけていた谷岡の手が止まる。


「せんせー、大輝くんいませーん」


「なんですって!?」


 言われてみればいつの間にかいなくなっている。

 図工の時間で他の生徒に気を取られている内にどこかへ行ってしまったようだ。


「先生は鋼くん探してくるから皆はここにいるように! 田所先生、あとお願いします!」


「あっ、ちょっと谷岡先生!?」


 生徒たちを学年主任の田所に任せ、人の流れに逆らい避難所を飛び出していく谷岡。

 直後、避難所を激震が襲い、田所が目を放した一瞬の隙に谷岡の姿は人混みの中に消えていた。




 一方その頃、大輝は校舎三階のトイレで震えていた。

 大きい方を出している最中にサイレンが鳴ってしまい、続く怪獣の大咆哮ですっかり腰が抜けてしまったのだ。

 ひとまず尻を拭こうとペーパーホルダーに手を伸ばすが……


「紙が……っ!」


 なかった。

 トイレの神様に見放され大輝がオロオロしていると、ズシンッ、ズシンッ、と断続的な地響きが徐々に大きくなっていく。

 嫌な予感がして大輝が僅かに身をよじった、次の瞬間。


 轟ッ!!!!!!!!


 扉の向こうを巨大な力が横切り、その衝撃に便座がビリビリと震えた。

 今の衝撃で蝶番ちょうつがいが壊れたのか、個室の扉が「バタン」と外に向かって倒れる。

 極太の熱線でも通過したのか、大輝の入っていた個室から一歩出たところから教室三つ分の校舎が抉り取られたように消失していた。


 ズシンッ ズシンッ


 迫る怪獣の足音が大輝が座る便座をガタガタ揺らす。

 ぬぅ……っ、と、怪獣の顔がトイレの個室前を横切った。

 岩のような鱗に覆われた肉食恐竜のような横顔。

 顔の側面についた深海魚のような目がギョロリと動き、大輝と視線が交わる。


 先に出しておいて本当に良かったと大輝は場違いな安堵を覚えた。

 でなきゃこんなの怖すぎて絶対に漏らしてしまう。

 怪獣の首がこちらを向き、生臭い湿った鼻息が大輝の長い前髪を揺らす。


 終わった。

 逃げ場はどこにもない。

 逃れようのない死を前にして大輝の目尻に涙が浮かぶ。

 鋭い牙の生えた怪獣のあぎとが開き、長い舌がズルリと這い出て大輝に迫り────



 ────ズンッ!!!!



 刹那、建物に激震が走り、大輝の身体が便座から『ガッタン!』と浮いた。

 怪獣の巨体がズズゥンと地面に倒れこむ。

 上空から飛び降りてきた巨人の槍が怪獣の脳天を一撃で貫いたのだ。


 モスグリーンの複合装甲を纏った巨人がドアの無くなったトイレの個室を覗き込み、兜の奥で青い瞳がギラリと輝く。

 多目的人型決戦兵器レヴォリューションブレイブ。通称RB。

 全長五〇メートル。総重量一二〇〇トン。

 怪獣を解析し、その巨大な亡骸を改造して作られた人類の切り札である。


「こちら【アイギス】怪獣討伐完了。逃げ遅れた子供一名を発見。繰り返す、子供一名を発見」


 パイロットがオペレーターへ通信を入れつつ、大輝を校庭へ運び下ろそうと巨人の掌を差し伸べる。


「もう大丈夫。よく頑張ったね。さあ乗りなさい。下までおろしてあげる」


 女性の声だった。

 まさか女の人とは思っておらず、大輝は顔を赤くして首をブンブン横に振った。

 パイロットが首を傾げると、AIが大輝の視線を読み取って紙の切れたホルダーを拡大する。

 

 なるほど、とパイロットは小さく呟いて苦笑し、巨人の指をちょいちょいと動かして大輝を壁に寄るよう指示を出す。

 大輝が壁側に寄ると巨人は太い指を器用に使い、反対側の壁をはがして裏返してくれた。


 隣の個室のペーパーホルダーが大輝の方へ向き、巨人が横を向いてくれている間に、大輝は尻を拭きようやくズボンを上げる。

 わざわざ授業を抜け出してこっそりトイレに行ったのも、誰かに音を聞かれないようにするためだ。

 万が一誰かに見られようものならウンコマンのそしりは免れない。

 ただでさえクラスで一番チビで身体も弱い大輝だ。これ以上いじめっ子たちに余計な手札を与えたくなかった。


 巨人の掌に乗り大輝が校庭へ下りると、谷岡が校舎の陰から飛び出してきて大輝のもとへ駆け寄ってくる。

 谷岡は大輝が無傷であることを確認するや、目尻に涙を浮かべ彼を抱きしめた。

 と、そこへ巨大な影が『ぬっ』と滑るように差し込め……


「っ! うしr────」


 巨人の背後を指差し大輝が叫んだのと、怪獣が熱線を吐き出したのは殆ど同時だった。

 背中に背負った大盾を振り向きざまに構えた巨人が二人を背後に庇い、熱線を吐き出す怪獣の前に立ちはだかる。

 怪獣はもう一体いたのだ。


「ぐっ!? シールド!」


 パイロットが使用したスキルが増幅され、機体全体を薄青の輝きが包み込む。

 迷宮世界へ踏み込んだ人間は「スキル」と呼ばれる異能に覚醒する。

 RBはパイロットのスキルを一五〇〇倍にも増幅する増幅器でもあるのだ。

 薄青の輝きを宿したビルの如き大盾に遮られた熱線は左右に分かたれ、巨人の背後に隠れた大輝たちの横をすり抜け、


 ────ッドン!!!!


 一拍遅れて彼方の山の稜線が溶け爆せ、強烈な爆風が町を襲う。

 盾に身を隠しつつ、反撃のチャンスに備えて巨人が身体を弓なりに反らせて力を高めていく。

 盾が溶けるのが先か、怪獣の息切れが先か。

 逃げることは許されない絶死のチキンレース。


「っ! 貫けぇぇぇッ!」


 先に息が切れたのは怪獣の方だった。

 熱線が途切れた刹那の隙を突き、差し込むように投げ放たれた槍が超音速で空をかける。

 それはさながら鋼鉄のレーザービーム。

 先端に薄青の輝きを宿した槍は一直線に怪獣の口から侵入し、尻尾の先端まで貫いた。


 一秒、二秒、三秒。

 永遠にも思える短い沈黙の後、山のような巨体が白目を剥いて崩れ落ち大地を揺るがす。


 巨人の陰から恐る恐る大輝が顔を出すと、だらりと舌を出して息絶えた怪獣の死骸と目が合った。

 最初に仕留めた怪獣とよく似た形状。

 しかしその大きさは先程の怪獣の比ではない。

 全長五〇メートルの巨人をしても見上げるほどの巨体に、大輝も開いた口が塞がらなかった。

 おそらく親子だったのだろう。時空の裂け目に迷い込んだ子供を追いかけてこちら側の世界にやってきたらしい。

 

「すごい……」


 大物狩りジャイアントキリングを成し遂げた勇者の後ろ姿に、大輝は憧憬の眼差しを向ける。

 体高五〇〇メートルはあろうかという大怪獣を相手に一歩も引かず、町を救った勇者の背中のなんと大きく頼もしいことか。

 いつかおれもあんなふうになりたい。

 クラスで一番チビで臆病だった少年の心に憧れの火が灯った瞬間だった。


「あ、あのっ!」


 大輝の声に巨人が振り返る。


「どうしたらあなたみたいになれますか!?」


 眩しいほどの輝きを湛えた瞳を向けられ、パイロットは照れ臭そうに頬を掻き苦笑した。


「そうだな。もし君が本気で探索者を目指すなら探高へ行くといい。それが一番の近道だ」


 探索科高等専門学校。通称探高。

 ゲートの向こう側に広がる巨大迷宮世界を調査探索する探索者ウォーカーを育成するための専門教育機関である。


 憧れの人から道を示され、少年の顔つきが変わった。

 それを見て取ったパイロットは静かに笑みを深め、未来の英雄に敬礼する。


「待ってるぞ。未来の英雄」


 巨人からの敬礼を受けた大輝はそれはそれは嬉しそうに顔を輝かせ、にやけそうになる口をぐっと引き結び敬礼で返したのだった。



 かくして怪獣は倒され、町に平和が戻った。


 少年の心に灯った火は消えることなく燃え続け、その身を突き動かす情熱へと変わっていく。

 身体を鍛え、知識を蓄え、技を磨き、夢に一歩でも近づくためならなんでもやった。



 ────あれから五年。



「じゃあ、行ってくる」


 春風香る四月五日。

 十五歳になった鋼大輝は探索省地方広報事務所の前で両親に見送られていた。

 彼はこの後、ここから出るシャトルバスに乗って全寮制の探高へと出発する。


 この五年で背はかなり伸び、今の時点ですでに一八五センチを超えている。

 中学の間鍛えに鍛え抜いた身体は肩幅も広く、6LのYシャツでさえ少し窮屈そうだった。

 鋭すぎる目元を隠すように伸ばした前髪が野暮ったい印象を与えるものの、全体的に見れば精悍な顔立ちだ。


「前髪、せっかくいい男なんだからこの際だし短く切ればよかったのに」


「いいんだよこれで。探高は髪型自由なんだし」


 長い前髪を横に流そうとしてくる母の手をやんわり振り払う。

 このやり取りも当分はお預けかと思うと、僅かに寂しさが胸裏を過った。

 ちなみに大輝の前髪へのこだわりは、保育園の頃好きだった女の子に「目が怖い」と大泣きされた挙句、強烈なビンタを貰った苦い記憶に起因するものなので中々根が深いのだが、それはさておき。


「身体には気をつけるのよ」


「盆と正月には帰ってくるんだぞ……っ」


「わかったわかった。泣かないでよ恥ずかしい」


 涙ぐむ両親に気恥ずかしさを覚えつつ、大輝は速足でバスに乗り込んだ。

 乗員の点呼確認の後、バスのエンジンがかかる。

 大きく手を振って見送る両親に大輝が控えめに手を振り返すと、バスは探高へ向けて出発した。




 西暦二〇五〇年。

 人類はいつどこに出現するか分からないゲートと、そこから出現する怪獣の脅威に晒されていた。

 だが大いなる破壊は同時に大いなる再生と発展の機会も人類にもたらした。

 ゲートの向こう側に広がる異世界は、未知の新素材と莫大な資源の宝庫だったのだ。

 世界で初めてゲート内部の調査から帰ってきた男は、そこで見た光景をカメラに向かいこう語る。


『裂け目の向こうがどうなってたか、ですか? そうですね……。一言で表すなら、クソデカダンジョン。まさにそんな感じですね』

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