散文

萩原朔太郎「蟲」①『宿命』

 あるつまらない何かの言葉が、時としては毛蟲けむしのように、脳裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出されるまで、執念深く苦しめるものである。

 ある日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鐵筋てっきんコンクリート」という言葉を口に浮かべた。何故にそんな言葉が、私の心に浮かんだのか、まるで理由がわからなかった。だがその言葉の意味の中に、何か常識の理解し得ない、ある幽幻な哲理の謎が、神秘に隠されているように思われた。それは夢の中の記憶のように、意識の背後にかくされており、縹渺ひょうびょうとして捉えがたく、そのくせすぐ目の前にも、捉えることができるように思われた。何かの忘れたことを思い出す時、それがつい近くまで来ていながら、容易に思い出せない時のあの焦燥。多くの人々が、誰も経験するところの、あのいらいらした執念の焦燥が、その時以来憑きまとって、絶えず私を苦しくした。家にいる時も、外にいる時も、不断に私はそれを考え、このつまらない、解りきった言葉の背後にひそんでいる、ある神秘なイメージの謎を摸索もさくしていた。その憑き物のような言葉は、いつも私の耳元でささやいていた。悪いことにはまた、それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のように、意地わるく忘れることができないのだ。「テツ、キン、コン」と、それは三シラブルの押韻をし、最後に長く「クリート」とひくのであった。その神秘的な意味を解こうとして、私は偏執狂者のようになってしまった。明らかにそれは、一つの強迫観念にちがいなかった。私は神経衰弱症にかかっていたのだ。

 ある日、電車の中で、それを考えつめてる時、ふと隣席の人の会話を聞いた。

「そりゃ君。駄目だよ。木造ではね。」

「やつぱり鐵筋てっきんコンクリートかな。」

 二人づれの洋服紳士は、たしかにどこかの技師であり、建築のことを話していたのだ。だが私には、その他の会話は聞こえなかった。ただその単語だけが耳に入った。「鐵筋てっきんコンクリート!」

 私は跳びあがるようなショックを感じた。そうだ。この人たちに聞いてやれ。彼らは何でも知ってるのだ。機会を逸するな。大胆にやれ。と自分の心をはげましながら

「その……ちょいと……失礼ですが……。」

 と私は思い切って話しかけた。

「その……鐵筋コンクリート……ですな。エエ……それはですな。それはつまり、どういうわけですかな。エエそのつまり言葉の意味……というのはその、つまり形而上けいしじょうの意味……僕はその、哲学のことを言ってるのですが……。」

 私は妙に舌がどもって、自分の意志を表現することが不可能だった。自分自身には解っていながら、人に説明することができないのだった。隣席の紳士は、びっくりしたような表情をして、私の顔を正面から見つめていた。私が何事をしゃべっているのか、意味が全て解らなかったのである。それから隣の連れを顧み、気味悪そうに目を見合わせ、急にすっかり黙ってしまった。私はテレかくしにニヤニヤ笑った。次の停車場についた時、二人の紳士は大急ぎで席を立ち、逃げるようにして降りて行った。

 

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