五話

「ってことで。今日から二人に指導してもらうからね」

 すすき先輩が二年生部員二人をずいと押し出す。彼らは少し困惑した様子で視線をさまよわせている。楓が目を輝かせながらその場でぴょこんと跳ねた。今日は練習のためセーラー服はジャージに、ミディアムヘアは一つにまとめられている。

「ゆりっち先輩と島先輩!こんな素晴らしい人に指導していただけるなんて……。よろしくお願いします!」

「ええ……。こちらこそ、私で務まるか怪しいけどよろしくね」

 控えめな性格である、ゆりっちこと小山百合おやまゆり先輩がちらりと右上に一瞥をよこした。視線を受けた島田先輩はいつもの無表情でよろしく、と呟く。

 亜美たち一年生部員と二年生部員二人を交互に見ると、すすき先輩はやれやれとわざとらしく腰に手を当てた。

「ちょいちょい。そんなんじゃ親睦深められないよ?あ、いっそ六人七脚やろう!絆が深まること間違い無し!」 

 丸みを帯びた手で、すすき先輩が親指を突き立てた。冗談かな、と顔色をうかがってみたが、どうやら割と本気かもしれない。このメンバーで六人七脚をしている風景を思い浮かべる。女子部員はともかく、島田先輩が少し不憫だ。やはり、そういうわけにはいかないだろう。だが、楓と華子はそう思わなかったらしい。やたら乗り気で百合先輩の方へ駆け出した。その瞳は爛々と輝いている。

「やりましょう!」

「はい。きっと素敵な思い出になりま——」

「嫌。それ以前に練習しないと後れとるし」

「えー」

 華子のセリフを、島田先輩はぴしゃりと正論で遮った。そりゃあ、嫌だろう。その前で、楓と華子は笑みを固定しながら残念そうに肩を落とした。この様子を見るに、逆にこのような状況を意識的に作ったのではないかと亜美は思った。この二人ならやりかねない。様子を静観していたすすきはクスリと微笑み、眼鏡をクイと上げた。

「もー、冗談だって。流石にそんな意地悪しないよ。でも、多少の親睦はとれてないとこの先大変だよ」

「そ、そうですよね!対策しておきます」

 百合先輩は律儀に返事を返すと、教室をぐるりと見渡した。フルートの音が気ままに途絶えなく響いている。その目がきょろりと島田先輩を捉えると、視線を受けた島田先輩は静かにうなずいた。

「えっと、ここだと音が聞き取りずらいですし。ちょっとピロティあたり行ってきます」

「俺も、そうした方がいいと思います」

 百合先輩の言葉に、島田先輩が同意する。今日は外での練習になりそうなので、ジャージに着替えておいてよかった。ただ、外だと運動部がいる可能性がある。県ノ坂にはもちろん吹奏楽部以外の部活も多数存在し、中でもサッカー部・野球部・剣道部はそこそこの強豪だ。人数も多いため、ピロティに休んでいるともちろん人口密度も高くなる。つまり、野外練習は運動部との連携を取らなければならない。

「そうだね。じゃあ、いってらっしゃい」

 すすき先輩がコクリとうなずいたのを確認し、亜美たちはピロティへと向かった。島田先輩はメトロノームを取りに行くとかで後から行くらしい。百合先輩の後を追っていると、ふいにどこからか野太い声が聞こえた。これは、もしかしたら——。

「野球部、陣取ってるかもね」

「ええ!マジですか!あの坊主集団がですか?」

 声だけで野球部と判断した百合先輩はまだしも、楓の野球部を敵に回す発言に少々ひやりとした。近くに野球部員はいなかっただろうか。

「……楓、野球部になんか嫌な思い出あるの?」

 念のため聞いてみる。すると、楓は珍しく眉を寄せた。

「そうだねえ。部活を言い訳に臨時委員会に参加しなかったことあったんだよねえ。こっちだって部活あるのに!」

「そ、そんなことあったんだ」

「酷くない?ま。過ぎたことだしいいけどねえ」

 いいのかい、と内心でつっこんでいるうちにも、ピロティへの距離は近づいていく。近くの窓から身を乗りだし、ピロティを見てみた。すると、百合先輩の言った通り、本当に野球部が陣取っていた。数年過ごせば、その能力は身につくのだろうか。

 やはり場所を変えたほうがいいかもしれない。だが、百合先輩は歩みを止めない。未来と顔を見合わせ、その後を追った。ピロティにつくと、野球部員たちが談笑していた。どうやら休憩中らしく、その額からは汗がひっきりなしに流れている。まあ、楓の言い分はわからなくもない。確かに全員髪の毛は剃り込まれていて、はたから見たら坊主集団だ。——って、ん?よく見てみると坊主じゃない男子生徒も紛れている。前髪が眉下でカットされており、右手に金色のトランペットを持っていた。吹奏楽部員ということは確かだが、顔にはよく見覚えがない。なんせ百人を超える大所帯なので、ほとんどが顔見知りの関係だ。すると、百合先輩が腕を振り上げてその男子生徒に話しかけている。

「おーい、久保島くぼしまー!丁度いいとこに!」

「なーにが丁度いいだよ!お前らもここで練習しようと思ってんのかー?なら覇瑠が一番効果的じゃね?」

「そうだよねー、やっぱり」

 久保島という男子生徒から島田先輩の名前が出てきたことに驚いた。島田先輩のことを名前呼び、その上呼び捨てということは、よほど親しい関係なのだろうか。それより、なぜこの部員たちを移動させるのに島田先輩が効果的なのだろうか。気づけば、部員たちが不機嫌そうに顔をしかめている。そのうちの一人が百合先輩の前に立ちはだかった。つり目がちな生徒で、靴の緑色のラインを見るに二年生だろう。

「あのさあ、さっきからなんなの?」

「別の場所に移ってって言ってるの」

「校舎広いんだからそこで練習しろよ」

「音の数の問題。特に、フルートは音に埋もれやすい」

「そんなの知らねえし」

「チョットナニイッテルカワカラナイ」

 いつのまにか、終わりの見えない言い合いと化していた。二人の顔を交互に見て、その場に立ち尽くした。その様子を久保島先輩が何も触れずに見ていることに少しだけムッとした。

「何してんの」

 ピロティに冷ややかな声色が響いた。すると、突然つり目がちの部員の姿勢がよくなった。

「し、島田さん!お疲れ様っす!」

 振り返ってみると、島田先輩がメトロノームを抱えてこちらに歩いてきていた。すると、キャプテンも存在に気付いたのか、部員たちに号令をかける。

「おい、練習再開すっぞ!島田さんの迷惑になる!」

「ういっす!」

 部員たちは見る間にグラウンドへと走っていき、ピロティはガランとした。効果的って、こういうことか……。そう理解した瞬間、パチパチと拍手が響いた。ちらりとその方向を一瞥すると、久保島先輩が島田先輩の近くにかけて行っている。

「いやあ、お見事お見事。さっすが島田覇瑠だわあ」

 そう言って島田先輩の肩に手を置くと、彼はムッと久保島先輩を睨みつけた。

「それ、嫌味?」

「やっだー。覇瑠君こっわーい。ていうかー、プライドたっかーい」

「黙れうざい散れ」

「いった」

 小さくうめいた久保島先輩の足元を見てみると、つま先に島田先輩の踵が押し付けられていた。砕けた口調からして、どうやら仲良しらしい。そう思うと意外だ。こんな性格の人でも友達って出来るもんなんだな、と今更ながら思う。もちろん、悪口ではないが。先ほどまで右往左往していた華子が、トコトコと百合先輩に歩み寄って話しかけている。

「あの二人ってどういう関係なんですか?」

「うーん。幼馴染らしいよ。あと——」

「ああ!いたー!何やってんのアンタら!」

 後ろからけたたましい足音が聞こえてくる。振り向くとジャージ姿の男女がこちらに向かって走ってきた。緩めのミニツインが印象的な可憐な女子生徒と、いかにも優等生で品行方正そうな男子生徒。なんだか、空気が洗練されたような気がする。可憐な女子生徒は二人のところに行くと、突然胸ぐらをつかんだ。あれ、印象と違う。亜美は少しだけ戸惑った。

凜桜りお君さあ、アンタはじっとしてることができないの?覇瑠君はまだしも、アンタはただたんにサボってるだけでしょ?

 トランペットパートの先輩に言われてきてみれば、何?野球部と談笑?ふざけんなこの穀潰しが!」 

「うわー、ナイス肺活量ー」

「ああ?馬鹿にしてんのかコラ」

「ひいい、すんません」

「ていうか、なんで俺までされてんの」

「なんかムカつくから」

「いや。普通に理不尽」

「アンタの都合はどうでもいい」

 デットヒートを繰り広げる女子生徒を見かねたのか、優等生っぽい男子生徒が肩に手を置く。

金音かなね。とりあえず落ち着こう?ほら、後輩たちが唖然としてるし」

 その一言だけで、彼女は二人を解放した。先程までの剣幕は消え去り、女子生徒が申し訳なさそうに眉を垂らした。

「……ごめん。確かに周りの状況は見てなかった。これは私のミスだね」

 従順な態度を見せ、彼女はこちらにぺこりと頭を下げた。ふるふると慌てて頭を振ると、彼女はこちらに駆け寄ってきた。さっきとは打って変わって、ニコニコとしている。恐らく、こちらが素なのだろう。

「えっと……神尾さんと、木口さんと、佐藤さんと、白井さんだっけ。よろしくね、私はトロンボーン担当の下市しもいち金音」

 全体での自己紹介は最初しかやっていなかったのに、一人間違えずに当てている。彼女の記憶力は相当優秀なのだろう。すると彼女に続いて男子生徒も小さく礼をした。

「クラリネットを担当しています、川本涼かわもとりょうと申します。どうぞ、よろしくお願いします」

 なんて丁寧な言い方、と僅かに感心する。嫌味に感じさせない敬語を初めて聞いたような気がする。

「はいはい!かなちゃん先輩、かわさん先輩って呼んでいいですかー?」

 突然乗り出してきた楓に、二人の先輩は面食らわずに笑顔で対応する。

「うん。基本変なものではなかったら何でもいいよ」

「ええ、もちろん」

「ほんとですか?嬉しいです!」

 ぴょこんとはねた拍子に、一つに結われたポニーテールが揺れた。さすが楓、人との心の開き方をよくわかっている。にしても、百合先輩の言い分から察する分に、この二人も島田先輩の幼馴染なのだろう。すると、金音先輩が百合先輩と距離を縮めた。その表情は、少しだけ深刻そうだった。

「そういえばさ。後輩たちにあの事話した?」

「あの事って?」

「……去年の事。あと、覇瑠君の事」

 その言葉を聞いて、百合先輩の瞳が大きく見開かれた。川本先輩も少しだけ気まずそうに顔をしかめた。すると、話を聞いていたのか久保島先輩が首を傾げる。

「覇瑠の事?コイツなら島田   灯瑠ともるさんと生野蓮美いくのはすみさんの息子って事が一番衝撃的だけど?」

「へ?」

 思わず間抜けな声を出してしまった。いや、あまりにも衝撃的過ぎたのだ。島田灯瑠さんといえば世界的にも超有名なフルーティスト。そして、生野蓮美さんといえばピアノの寵児と揶揄された元ピアニストだ。そういえば名字が同じだ。確か子供は五人いたはずだが——。

「それは、言わないほうが——」

「そんなことどうでもいいでしょ!」

 川本先輩の言葉を遮ったのは異常な拒絶を見せた島田先輩の声だった。肩を上下させ、彼は普段の無表情を崩していた。それは、秘密がばれた時の人の顔をしていた。そんな顔を見て焦ったのか、久保島先輩が慌てて両手を振った。

「……ごめんな。お前、気にしてんのに」

「本当に迷惑」

「すまんって」

 もういい、そう吐き捨てた彼の声は、酷く冷静さを欠いたものだった。でもなぜ、そこまで拒絶したのだろう。有名な夫婦の息子となれば、誇れることもあるだろう。でも、裏を返せば……。

「両親のプレッシャーって、重いですよね。分かります」

 未来の声が、ピロティに転がり落ちた。彼女の顔は、なんの感情も込められてはいなかった。島田先輩の顔もまた、何の感情もなかった。そっか、と亜美は心の中で独り言ちた。 重すぎるんだ、彼にとって何もかもが。理解が追い付いていないのか楓と華子がきょろきょろとしている。でも、いつか彼女たちも知るのだろう。もちろん亜美も。この重圧という名の鉄鎖の重さを。そして目の前の先輩は、それを外そうとしている。

 その時は、そう思っていた。

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