二話
その日はよく晴れていて、まさに夏本番の暑さが一日中続いていた。会場となる文化ホールには人が密集している。来年は県ノ坂中学校に入るということで、吹奏楽のレベルがいかなものかと思い、亜美は未来とここを訪れていた。
全日本吹奏楽コンクールは、国内最大の吹奏楽コンクールだ。亜美の住む長野県の中学校の場合、中信大会・長野県大会・東海大会・全国大会と駒を進めていく。
しかし、吹奏楽コンクールには様々な部門があり、全国大会が最高大会のA部門。東海大会が最高大会B部門がある。前者は指揮者を除く五十名までの上限で、自分たちで選んで演奏する自由曲と、全部で四曲あってその中から一つ選んで演奏する課題曲の二曲合わせて十二分以内という規定がある。ちなみに課題曲は実をいうと五曲ある。実は、中学生はⅤ番が演奏できない。理由として、中学生はまだ経験も浅く、高度なテクニックを要するⅤ番を演奏するのは困難だということが挙げられる。なので、中学生はⅠからⅣの四曲の中から課題曲を一曲選ぶのだ。
そして、後者は指揮者を除く三十名までの上限で自由曲のみを七分以内に演奏しなければならない。
評価はA、B、Cの三つだ。考えではAが一番良く、Cが一番悪い。さらにコメント欄もあり、講評は後の演奏の参考になる。審査員は全員で五人、これら評価をもとに銅賞、銀賞、金賞と賞が与えられる。基準は、審査員の過半数がAで金賞、過半数がCだった場合は銅賞でその他は銀賞となる。金賞のほうが当然、次の大会に駒を進めやすくなる。
ちなみに、決まりを守らなかった場合は失格となり、評価の対象外になってしまう。
そんな規約の中、吹奏楽コンクールは行われる。ホールの中に入ると、いささか涼しかった。
プログラムに目を通すと、県ノ坂中学校はもうこの後すぐのようだ。ちょうどいい時間に来れたので、亜美は安堵する。同じくプログラムを見ていた未来は、やや興奮気味に頬を赤らめていた。
「県ノ坂中学校って強豪校なんだよね?私生で聞くの初めてだから、ちょっとドキドキする」
「私も」
そう、県ノ坂中学校は全国屈指の強豪校だ。だから、実力を確かめるというのは口実で、本当のところは生で聞いてみたかったという方が強い。
すると、ホール内に静止を呼びかけるチャイムが響き渡った。ステージの上には県ノ坂中学校の生徒たちがスタンバイしている。
「プログラム十三番、中信地区代表県ノ坂中学校。課題曲Ⅲに続きまして、自由曲、
指揮台に乗った顧問が、こちらに深々と頭を下げた。噂通り、綺麗な若い女性だった。彼女は踵を返すと、指揮棒を上げた。彼女らは楽器構え、指揮者をじっと見つめる。指揮棒が上下に振られ、課題曲は始まった。
課題曲は木管が活躍しているマーチ調の曲だった。蝶がメインの曲らしく、ところどころに蝶をテーマとした曲が施されていた。聞いた限り、民謡の「ちょうちょ」やエチュード集第九番の「蝶々」の旋律が隠されていた。およそ三分間の演奏が終わると、続いて自由曲に移った。打楽器担当の生徒たちが移動し、管楽器担当の生徒は楽譜をめくる。
指揮者が再び指揮を振り、曲は始まった。トランペットの強いアタックの後、中低音楽器が穏やかな旋律を奏でる。
クレシェンドの後、曲のテンポは一気に上がる。クラリネットの刻みを引き継ぐように、トロンボーンがリズムを刻む。クラリネットがメローディーを奏で、そこにトランペットが合流する。クラリネットの合いの手が、ちらちらの現れては消える。フルート、ホルンなどの楽器も加わり、音楽は一気に厚みが増しテーマを奏でた。その後、旋律は穏やかになる。トロンボーンのメロディを受け継ぎクラリネットも顔を出す、そのまま、曲はスローテンポになった。アルトサックのソロが口を開いた。ユーフォニアムがアルトサックスの旋律を追いかける。まるで対話のようだ。その後木管楽器も加わり、曲は進んでいく。フルートの天の川のような末永い美しい旋律の後、トランペットが夢色のソロを奏でる。そこに、フルートのソロも加わる。その一音目を聞き、亜美は思考が停止した。その儚さに、耳を奪われたからだ。ソロは短く、音は幻のように思えた。グロッケンの後を追いかけるようにオーボエが美しい旋律を奏でた後、ティンパニが規則正しいリズムを刻み、全体にクレシェンドがかかる。トロンボーンの旋律をトランペットが追いかけ、曲はフィナーレへと移る。木管の跳ねるような旋律の裏で、ウィップが小さく弾ける。ミュートを装着したトランペットの旋律を追い、クラリネット、トロンボーンと続いていく。そして、初めのテーマが形を変えて現れる。穏やかなメロディーにウッドブロックがリズム刻む。スネアドラムの規則正しいリズムをバックにトロンボーンがメロディーをさらっていく。やがてトゥッティを金管パートが繰り広げ、再びテーマが顔を出す。そして、曲は終盤を迎える。最後の一音が鳴り響き、ホールに余韻が響き渡った。次の瞬間、拍手がホールを渦巻いた。亜美もまた、拍手をした。演奏はとてつもなく短かったような気がした。というか、音に圧倒され過ぎて、時間が一瞬に感じたのだ。だが、中でも一番印象に残ったことがあった。
中盤にあった短いフルートソロ。他にもたくさんソロがあったが、このフルートソロだけは周りとは一切違っていた。技巧が光っていたわけではない。だが、切なさに満ちた甘い旋律が、脳内からはがれないのだ。だから、自然と涙が出た。
なんでだろう。亜美はこれまでたくさんの奏者の音を聞いてきたのに、今回ばかりは涙が止まらなかった。
そして、このときに思ったのだ。もっと頑張りたい、と。ここで、私は青春を送りたいと。
きっと、この音が亜美の、私の始まりだった。
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