第54話 生傷

 食堂ではジョアナ・バルビエも同席したが、ガストンとは控え目に目礼したのみだ。

 ジョアナは卑しく男の気を引く立場ではないし、未婚の女性が家長であるレオンやジゼルの紹介なしで男性に話しかけることははしたない・・・・・ことである。このあたりはガストンもなんとなく理解はしており『こうしたものだ』と気にした様子はない。


(やや、こりゃすげえ大ごちそうだ、こんなのは城の宴席で殿様らが食っとるやつだわ)


 テーブルにはサフランとミルクを練り込んだ柔らかなパン、豚の臓物を煮込んだシチュー、豆や魚の揚げ物、キャベツの漬物、山鳥の丸焼きにはタマネギのソースまでかけてある。酒坏には高価な新しいブドウ酒がなみなみと注がれており、ガストンの目を楽しませた。


 これらは宴席の主席でしか供されることのないごちそうであり、ガストンを驚かせるには十分なものだ。

 ガストンのような身分では宴席のお流れを頂戴できれば御の字といった酒食である。


「神よ、この食事を祝福してください。体の糧、魂の糧となりますように。そして我らの新たなる出会いを祝福ください」


 家長のレオンが神に祈りを捧げ、食事となる。

 この時代に簡素なカトラリーは存在するが、煩雑なマナーの類いはまだない。食器なども堅焼きのパンを皿に用いることも多かった。

 育ちの悪いガストンが手づかみでシチューを食べようが、音を立てて肉を咀嚼しようが、なんら咎められない時代だったのは幸運だったろう。


「ヴァロンさまはきこりであったとか」

「へい、爺さんの代で畑を分けてもらえず樵を始めたと親父から聞き及んどります」

「まあまあ、代々の力仕事で立派な体つきとなられたのね」

「なるほど、言われてみれば親父も広い肩幅でしたわ」


 やはり年のこうか話し上手のジゼルはしきりにガストンから話を引き出し、レオンやジョアナもにこやかにそれを楽しんでいる。


「ヴァロンどのは謙遜されますが、名字や分家筋もしっなりなされておりますし(マルセルやジョスなど親族のことだろう)、武芸のみならず読み書きにも堪能。数代前は村での村長などを務めた家柄だったのでは?」


 このレオンの言葉にはガストンも「いやいや」と顔の前でパタパタと手を振って照れ笑いするしかない。


「村じゃ小作人同様でしたわ。名字は戦の褒美として仕えていたリュイソーの殿さまにいただいただけ。文字はジョアナさまより手紙をいただいた時には1つも読めませんで、親切な助祭さまに習いましたのですわ」


 ガストンは謙遜したつもりだが、これにはレオンも「なんと」と驚く他はない。


 レオンはガストンが日課にしている槍の稽古を知っている。それに加えて読み書きの習得となれば並の努力ではない。

 そもそもが騎士階級ですら『読み書きは自分の名前だけ』という者も珍しくないのだ。それをガストンは吹けば飛ぶような出自から身を興し、武芸のみならず学までみにつけた(もちろんガストンの手紙には綴りや文法などの間違いはあるものの、公文書でもない私信において問題にはならない)。


『これは並々ならぬ志があるにちがいない。我が義兄はただ者にあらず』


 若いレオンがこのように感激したのは無理ないことだ。

 つまり過大評価をした。


 だが、当の本人ガストンからすれば場当たり的に目の前の課題をこなしたに過ぎない。レオンからの尊敬の眼差しにも気づかず「いつまでも読み書きは慣れませんで」と正直に頭をかいて照れ笑いするのみだ。


 物事に頓着しない気質ゆえに気づいていないが、すでにガストンはバルビエ騎士家に迎えられた、いわば軍事顧問である。どちらかと言えばレオンのように見るのが普通であろう。


(ああ、なるほど。レオンさまは母御や姉御の前で俺を立ててくれとるのだわ)


 一方のガストンはガストンでピント外れの思い違いをした。

 老練のジゼルに翻弄される様子を見かねて自らに助太刀してくれているのだと思い込んだ。


 つまりレオンは若い思い込みで『武勇のみならず、大志をもった壮士である』とガストンを評価し、ガストンは『若いのに偉ぶらず、よく下情に通じた殿様だ』とレオンを評価した。

 この場合、互いの認知のズレがうまく働いたのだから世の中はおもしろい。


 その後もなごやかに会食は進み、ガストンは食欲に任せて皿として使われていたパンまで平らげた。 

 これには少々驚かれたが、大食も豪傑の条件のようなものである。特に嫌な顔もされず「さすがの健啖ぶり」と喜ばれたほどだ。


「ヴァロンさま、今後とも我が子らをお任せしますね」

「へい、骨身を惜しまずに働きます」


 ジゼルとの穏やかで何気ない言葉のやりとり。これがガストンの人生を大きく変えたと言っても過言ではないだろう。




 ●




 会食を無事に終えたガストンはバルビエ城の客間にて宿を借りた。

 ガストンの新生活が整うまで滞在を許されたのだから、早くも親族として扱われているのだろう。

 領主業は名望世界なので客をもてなす準備は常に備えているが、そのための客間を1つ占拠してしまうというのは大変なことなのだ。ましてバルビエ城のような小城ではなおさらだろう。


 ガストンにとっては落ち着かないほどに調った客間……そこで過ごす夜、思わぬ来客があった。

 ジョアナ・バルビエである。


(む、何やらただならぬ雰囲気だのう)


 同じ城で寝泊まりしているのだから不思議はないのだが、時間はもう夜ふけだ。女が男の寝所を訪ねるのは大胆を通り越して非常識ですらある。

 にぶいガストンもさすがに『何かあるぞ』と部屋に招き入れ、暗い部屋にあかりをともした。


「夜分に申しわけありません、実は……ヴァロンさまにおたずねしたいことがありまして」

「ははあ、たずねごとで」


 だが、ジョアナは何か言うでもなく、ジッとガストンを見つめた。

 待つことしばし、気まずい沈黙が室内に満ちる。


(まいったのう、俺から『何の用だ』と問いただすのはまずかろうし……はてさて、どうしたものやら)


 女心の機微にうといガストンが居心地悪くもじもじ・・・・としはじめたころ、ようやくジョアナが「ヴァロンさまは――」と口をひらいた。


「ヴァロンさまは、私の事情を聞き及びになられましたでしょうか?」

「事情? 多少はうかがっとりますが」

「それなら、私が男を不幸にするというのも……?」

「ま、それも多少は」


 ここらでさすがのガストンも気がついた。

 ジョアナは『自らの不幸でガストンが死ぬのではないか』と不安に駆られたのだ。


(まあ、それも込み・・の嫁取りじゃが、さすがに正直に言うのもまずかろうなあ)


 ガストンは「うーん」と頭をかき、しばし考える。

 ここで気の利いた一言がいえるほどガストンはさかしくない。


「ちょいと、コイツを見てもらえますかい」


 ガストンはジョアナに見せつけるよう、おもむろに右手を袖まくりした。右の前腕には先の戦で負った切傷がひと筋入っている。

 浅手ではあるが、新しい生傷はいかにも痛々しい。


 戦に出て槍働きをすれば小さな手傷は無数に負うものだ。これまでにガストンの全身に刻まれた傷跡は10や20では効かない。


「先の戦でね、ギユマンとかいう髭面の武者と一騎討ちになりましたわい」


 このガストンの行動をはかりかねたのか、ジョアナはややとまどった表情を見せたが、じっとガストンを見つめたままだ。


「――負けましたわ。殺されかけましてのう、すんでのところで命拾いしましたわい。口惜しいですがのう」


 さらに右アゴに指を這わせ「この時も負けですわ」と自嘲気味につぶやいた。


「ドロンって騎士でしたが、小ズルいヤツでしてな。まんまとしてやられましたわ――ああ、いや、言いたいことはそうではねえので」


 ガストンは「難しいですのう」と苦笑いをし、恥ずかしげに頭をかいた。

 新兵を怒鳴りつけることは得意でも貴婦人との会話はまるで経験がないガストンなのである。


「つまり――つまりですのう、俺はよく負けるのですわ。いやいや、負け通しでもなく勝つときは勝つのですが、負けるときは負けましてな。つまり、そのう……それでも生きとる。顎を割られても城が落ちても俺は生きとる。俺はしぶてえのですわ」


 勝つときは勝つが負けるときは負けるなどと当たり前の話ではあるのだが、不思議とジョアナには響くものがあったようだ。

 彼女は感極まった様子でガストンの右手をとり、その傷口へ軽く口づけをした。


 ガストンとて木石ではない。

 頑強な肉体から発する欲求のままジョアナを抱き寄せ、夜闇の中で2人は影を添わせた。


 かくして、ガストンはバルビエ騎士家に婿として迎えられることとなったのだ。

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