第51話 命拾い
ヌシャテル城の中、ビゼー伯爵は断続的に振り続けた雪を眺めながら「神は我に味方した!」と快哉を叫んだと言われている。
数日の間に積雪は人の膝丈を越し、雪溜まりでは馬の腹に達した。降雪の少ない横の国で生まれ育ったガストンも記憶にないほどの勢いだ。
当然、悪天候は双方ともに影響はあるが、より大きな不利を受けたのは攻撃側のダルモン軍であった。
雪に閉ざされた野営地では補給もままならず、あっという間に低体温による病人や凍死者が増える。もはや軍の進退はままならず戦どころではない。
自然と撤収となるが、雪をかき分けながらの退却は遅々たるものだ。これをビゼー伯爵が見逃すはずはない。
すなわち、敵味方ともに過酷な雪中での追撃戦の幕開けである。
●
「この野郎っ! あっちに行きやがれっ!」
「しつけえぞ、このクソったれ!!」
降りしきる雪の中、追撃するガストンらを迎え討ったのはダルモン軍の
退却を余儀なくされたとはいえダルモン勢は壊滅したわけではなく、彼らしんがり部隊の戦意は高い。
「やかましいわっ! さっさと死にさらせ!!」
新雪の中では足さばきや素早い移動は不可能。互いに上半身のみで武器を振り回す戦いとなる。
このような戦いでは体格が大きく、腕力が強いガストンは無類の力を発揮していた。
「うわっ! 手強いぞ!」
「囲め囲め、手柄首じゃ! 遠巻きにして仕留めろ!!」
ガストンは新調した槍を振り回し、次から次へと敵を叩きのめすも困惑していた。
(なんじゃコイツら、俺を狙いよるのか?)
今までの経験上、ガストンが暴れれば敵は手強しと見てさけたものである。だが、今日の敵はガストンをさけるどころか積極的に狙うような動きを見せていた。
これはガストンが身につけている袖なしの上着のためである。
これは一般的に従士が身につけるもので、剥ぎ取れば手柄の証明になるのだ。
しかも、今のガストンは頑丈さだけで選んだ飾り気のない兜や槍をもって最前線で暴れている。これがまた自信あり気に見え『いかにも物慣れた戦巧者』といった風情にうつるのだ。真相は資金面で不安のあるガストンが質素な武具を揃えただけだが、敵にその事情は分からない。
いままでは大した手柄にならない上にリスクが高い『強い兵士』だったガストンは戦場ではさけて通る対象であった。
だが、従士であれば危険に見合う手柄首である。腕に覚えがある戦士にとって強敵を討ち破り功名するのは当然の心得であり、果敢に前に出るガストンはほど良い標的となっていた。
「エイコラ、クソったれめっ!」
「オリャオリャアッ! ひっくり返って死ねいっ!!」
ガストンは敵兵とののしり合いながらにらみ合う。
大声をだすのは自らを励まし、敵を怯ませるためだ。
敵兵が「くたばれっ!」と槍を突き出してきたが動きが鈍い。
ガストンの槍は敵の槍先をはじき返し、そのまま返す勢いで敵の顔あたりを払いのけた。
驚いた敵は横面のあたりから血を流し「うわっ」とひっくり返る。
「それっ、ドニ! トドメは任せたぞ!」
ガストンはそのまま振り返りもせずに次の敵を迎え討つ。
背後から悲鳴が聞こえたが、おそらくドニが敵兵を仕留めたのだろう。ドニは抜け目のないところがあり、ガストンの背後を守るのに不足はない。
(やっぱりコイツら動きが鈍いわ、凍えてやがるな)
ガストンは冷静に次の敵を突き倒し、先へ先へと進んでいく。
城内で寒さをしのいだビゼー軍とは違い、野ざらしで風雪にさらされ続けたダルモン軍の動きはわずかに鈍い。しんがり部隊の戦意は高いが個のわずかの差は全体では致命的な差となり、戦局の秤は大きく傾いた。
「進めえーっ! ヴァロンどのに続けえっ!!」
「コラァ、新入りに遅れをとるなっ! 前にでろーっ!!」
ドニよりもさらに後方からはバルビエ家の手勢が続く。
飛び道具が得意なバルビエ勢は足場の悪い戦場で威力を発揮し、さらにガストン主従という推進力を得て前へ前へと押し出している。その働きはビゼー軍全体でも目だつ突出ぶりだ。
「待てい、そこな従士! 名のある家中の武者とお見受けした!!」
この時、完全に崩壊した敵陣を突き進むガストンへ声をかける者がいた。
見れば左右へ水牛のように張り出した派手な角兜を被った
色褪せた赤い上着と、いかにも堅牢な盾を身に着けているが、目だつ紋章のたぐいはない。おそらくは敵の従士だろうか。
背の高さは人並だが、大きな肩幅と樽のような胴回りがいかにも豪傑風である。
しきりにナタのように分厚い長剣をビュンビュンと片手で振り回し、怪力をアピールしているようだ。
「なんじゃテメエは!?」
「我こそはダルモン王国にあってその名も高きプチボン家臣ニコラ・ギユマンなりぃ!! いざ尋常に勝負!!」
この口上にはさすがのガストンも面くらった。
名乗りを上げての一騎打ちなどは騎士のものである。従士身分でもないではないが稀な話だ。
このギユマンなる戦士は従騎士なのかもしれない。
「ふん、名のりもあげぬとは臆したか? キサマの主君は口にするほどの名誉もないとみえる」
「やかましいわっ! 俺はバルビエ家中のガストン・ヴァロンじゃい!!」
「ふん、聞かん名じゃ!」
「そりゃおたがい様よ!」
なんとも締まらない名乗りではあるが、たがいに主君の名誉を賭けた一騎討ちである。
ちなみにプチボンとはダルモン王国の旧都近くに領地を持つ男爵であり、しんがり部隊の指揮官を務める荒武者だが、それをガストンが知るよしもない。
「いざあっ!」
「ぶち殺したるわ!!」
ガストンが槍を振り上げ、ギユマンが盾を構えた。
上段から変化をした槍先がギユマンの足元を狙う。これを阻んだ盾が槍とぶつかりガツンと音を鳴らした。
すかさずギユマンが素早く長剣を突き入れてくるが、これは牽制だろう。ガストンは半歩さがって剣先をかわした。
(コイツ、なかなかに手ごわいのう)
たがいに一手ずつの攻防であるが、ガストンはギユマンが並々ならぬ強敵であると認めた。
「ふん、やりおるな。イキの良いのを仕留めて味方を励まそうとしたが……若いのになかなかのものだ」
ギユマンはガストンが槍の間合いを取れぬよう連続で突きを繰り出してくる。しきりに話しかけて気をそらしてくるのがいやらしい。
さらに微妙ではあるが、上下にぶれる奇妙なクセのある突きはガストンを怯ませるに十分な凄みがあった。
(やりづれえ、突きも言葉も厄介じゃ)
ガストンも槍の柄を巧みに動かしながら防ぎきるが、やる気を削ぐようなギユマンの言葉がどうにも気に入らない。雪を弾くようにバッと飛び退り、槍を構え直した。
「その若さでこの業前か。オマエは出世をするぞ。うらやましいことだ」
ギユマンはニヤニヤとしまりのない顔でガストンを挑発する。おそらくは先ほどの攻防のようにガストンを誘っているのだろう。
ガストンはギユマンの目の辺りを狙って突きを入れたが、これは難なくかわされた。踏み込みすぎないように小手先のみで突いたため槍先に鋭さがない。
「ほうれ、突きが甘くなってきたぞ」
(ペラペラとやかましいわっ!)
ガストンはギユマンの術中にはまらぬよう口を結んで言葉をかわさない。こうした意識自体が集中力を欠いているとも言えるが、それは仕方のないことだろう。
(死にやがれっ! ヒゲ野郎め!)
「こいつは油断ならん、やるわ、やるわ!」
たがいに得物を打ち合うことしばし、ガストンもギユマンも体からしゅうしゅうと湯気を吹き出しながら文字通りに死力を尽くす。
防具で身を固めた鎧武者の戦いとは実力が拮抗すればなかなか決着がつかないものなのだ。
ギユマンは余裕の
「やめよう、これ以上時間をかけては逃げ遅れる」
「なんじゃと?」
思いもよらぬギユマンの言葉にガストンがピクリと反応した。次の瞬間、ギユマンは鋭く盾を投げつける。
ガストンはとっさに盾を防ぐも、続けざまの体当たりをもろに食らった。
ドシンと強い衝撃を受け、たまらず尻もちをつく。ギユマンはそれを逃すような相手ではない。
(――やられたっ!)
ひどくスローに見える動きでギユマンが剣を振りかぶるのを、ガストンはハッキリと知覚した。
思わず首をすくめ、目をつぶり、女のように「ヒーッ」と喉が鳴る。
だが数瞬の間を経てもガストンの命を刈り取る刃は一向に振り下ろされなかった。
(……む、さすがに変じゃな?)
ガストンが恐る恐る薄目を開けると、なんとギユマンが右の首筋を押さえてのけ反っていた。
流れ矢だ。いずこからともなく流れてきた矢がギユマンの首のつけ根のあたりに突き立っている。
ギユマンはそのまま雪に鮮血を散らしながら、ふらふらとした足取りで逃げていった。
これが武運というのなら、そうなのだろう。
ギユマンに体当たりをされなければ、矢を受けていたのはガストンだったかもしれない。
「お頭ぁ! ご無事ですかい!?」
「おう、ドニか。凄いヤツだったのう……世の中は広い。上にゃ上がおるものだわ」
ガストンは駆けつけたドニに助け起こされながら、ギユマンの後ろ姿を見送った。さすがに追撃をする気にはなれない。
(アイツ、命を拾うかも知らんのう。しぶとそうな面魂だったわ)
ほどなくして周囲から勝鬨があがった。追撃戦はビゼー伯爵軍の大勝利のようだ。
ガストンからすれば九死に一生を得た薄氷の勝ち戦である。手元に残ったギユマンの分厚い長剣と堅牢な盾のみが、流れ矢の奇跡を事実だと物語っていた。
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