第40話 怪気炎

「ヴァロン、ここで会えたのは天の配剤というものだ。手を貸してくれ」


 空堀の底で声をかけてきたのはセルジュ・ド・ドロンであった。鉄兜と鎖帷子でしっかりと武装しているが、供を2人だけ引き連れた身軽な姿――と、いうよりもドロン家からの使者としてやって来たまま参陣したのだろう。伯爵に仕えるというのも本当なのかもしれない。


「いや、今は手が込んでおります」

「いいから聞け、あれを見ろ」


 騎士セルジュは素通りしようとしたガストンの肩を掴み、城の一角を示す。

 そこはガストンらの持ち場よりやや離れた木柵のようだがイマイチ意味が分からない。


「ここからの角度ではよく見えぬがな、あの角のところの先だ。見えるか? あそこの柵が壊れておるのだ」

「む? たしかに壊れているようにも……人が通れるかは分かりませぬが」


 部下たちの手前、いつまでも無駄話はしめしがつかない。しかし、相手が騎士では無下にはできない部分もある。

 ガストンは「戦でござる、要件を」といらだちながら騎士セルジュの言葉をうながした。


「話が早いな、手を貸せ。あそこから攻め入りたいが、我らだけではムリだ。共に攻めるぞ」

「……いえ、しかし、持ち場からは離れますゆえ」

「構うものか、見ろ! 今からあの列の後ろに張りつくのか? 大した働きはできっこあるまい。一か八か、手柄を立てる好機だ!」


 騎士セルジュは切岸をよじ登る味方を一瞥いちべつし、ハンッと鼻でわらった。

 たしかに皆と同じ動きをして目だつ手柄を得るのは難しいだろう。


(ふむ、たしかに一理あるわ)


 ガストンはだんだんと口のうまい騎士セルジュのペースに引き込まれていくのを感じた。

 危うさは感じるものの、やはり兵士の身では手柄をたてるチャンスは何にも代えがたい魅力がある。


 チラリと目をやると、組下の兵士も爛々らんらんと目を輝かせていた。

 こうなれば押し留めるのも難しい。ガストンが認めずともついていくだろう。


(ふん、面白くもねえが乗るしかねえな)


 騎士セルジュはわざと組下へも聞かせていたようだ。

 ガストンからしても上手く使われている不快さはあるものの否やはない。


「よし、野郎ども! ドロンさまと共に城を攻めるぞ! ここからは矢石の的になるようなもんだ、命が惜しむな!!」


 ガストンが告げるや、騎士セルジュと部下たちはオオーッと調子良く怪気炎を上げた。


 持ち場を大きく離れることになるが、戦場では指揮官の声が届かなくなることなどいくらでもある。

 そうした時に臨機応変な進退を見せるのが一人前の戦士ともいえよう。責任は自分の生死か手柄でまかなえば良い。


(それに、今回はコイツに『命じられた』ことにすれば問題なかろう)


 騎士セルジュは上役でこそないが味方の騎士だ。騎士が戦場で近くの兵士を指揮下に入れることは無いことでもない。


「よし、ここよりは声を潜めて槍を伏せろ。味方を出し抜くのだ、慎重にいくぞ」


 この騎士セルジュの『味方を出し抜く』という言葉には魔力がある。

 ガストンはじめ、組下の若者らはしびれるようなスリルに脳天を貫かれた。


 騎士セルジュは一同に「続け」と短く命じ、空堀の端をするすると走り出す。もはや場の主導権は完全に彼のものだ。

 口の上手い男と聞けばうさんくさい印象になりがちではあるが、こうした人心掌握術は人の上に立つ器量と呼ぶべきだろう。


(おっと、壊した乱杭で塩梅あんばいええのを担いでいくか。足場になるからな)


 ガストンが太い乱杭を2本ばかり担ぎあげ、チラリと持ち場をふり返ると、すでに切岸を登りきった味方が木柵を巡って激しく攻めたてている。木柵を乗り越えようと身を乗り出したところを敵の槍や投石で叩き落されているようだ。

 粗末な木柵であろうと、守るのが弱兵であろうと、防壁を乗り越える時は危険である。敵前で無防備をさらした寄せ手は次々と仕留められ、突き落とされていく。


(ふん、たしかにここから攻めても大手柄とはいかんわな)


 味方も必死なら敵も必死。こうした隙がガストンらに味方をした。

 不思議なことに不審な動きを見せる一団を見とがめるものは1人もいなかったのだ。


 敵の人手不足もあるだろうが、戦場ではこうした『意識の隙間』とでも呼ぶべき空白地帯がまれに発生する。それは先ほどガストンらが乱杭や逆茂木を破壊していた時と酷似していた。

 真剣勝負の不思議というべきか、戦場の妙味と呼ぶべきか――こうした意識の隙間から偶然生まれた大功名も少なくはない。


「ここから攻め入るぞ」

「へい、足場を持ってきました」

「おう、これはでかした」


 もはや騎士セルジュはガストンのことを家来あつかいである。これにはガストンも苦笑いするしない。

 この男とくらべれば騎士テランスなどは『伯爵お気に入りの家来、荒縄ガストン』としてかなり気を使っているといえよう(まずありえないが、伯爵から預かったガストンと仲違いして出奔などされては騎士テランスの責任問題になるためだ)。


 一行は逆茂木の枝を剣槍でなぎ払い、杭を立てかけて堀をよじ登りはじめた。

 ことがここに至れば城内から気づかれないということはない。

 矢石が飛来し、ガストンも兜や肩口に衝撃を受けた。組下や騎士セルジュの家来の中は悲鳴を上げて堀から転げ落ちた者もいる。


「怯むなっ! このまま登り切るぞっ!」


 先頭の騎士セルジュは器用に盾を掲げながらどんどん先に進む。

 続くガストンは堀から上がり、切岸から木柵を見た瞬間「アッ」と驚いた。木柵に切れ目があるのだ。


 それはガストンが身を横にすれば楽に通り抜けられるような隙間であった。隙間には石が組んであったようだが、見るも無惨に崩れている。

 さらに切岸の端から木柵までの間に踊り場のような足場まであった。まさに『ここから攻めてくれ』と言わんばかりの弱点だ。


(そうか、岩場か! 岩場で杭が地面に刺さらねえのか!)


 そのあたり一帯は大きな岩がむき出しになっていた。そのために木柵が設置できず隙間ができているのだ。

 これは明らかに縄張り(基礎設計)の欠陥である。


(しかし、つごうよく石組みが壊れていたもんだ……いや、おかしいわ。戦のさなかに防壁が壊れてりゃ真っ先に気づくはず――さてはアイツ、またやりやがったな!?)


 ガストンはリーヴ修道院跡における騎士セルジュの裏切りをハッキリと覚えている。

 あの時と同様に城中に間者スパイを送りこみ、連絡を取りあって石組みを破壊させたのだ――そして騎士セルジュがそこから攻め入る。推測でしかないが、これならばすべての辻褄つじつまがあう。


(なんてヤツだ、とても人の股から産まれたとは思えねえ)


 ガストンはペッとツバを吐き、胸中の不快感を吐き出した。

 先を行く騎士セルジュは自らの利益のために平気で周囲を利用し、ためらいなく人を裏切る。

 あまりに卑劣だが、その手段を選ばぬやり口にガストンは空恐ろしいものを感じていた。

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