第10話 さて、特急「宇和海」に

 10時前、駅前のホテルのフロントに昭和なルームキーを預け、松山駅から宇和島方面へと向かうことに。

 今回は、2つ目の停車駅である内子まで。

 気動車特急とは言うものの、たった2両。岡山寄りの一部のみが指定席。


 松山駅の改札のおねえさんに、岡山行の「しおかぜ」の案内をされたけど、フリー切符であることを重々お見せして、ひとこと。

 「追い返さんといてぇなー」


 さて、追い返されることなく、いよいよ、内陸の内子へ。

 伊予市までは、松山市の郊外と海。ここまでは、電化しております。

 しかし、伊予市を過ぎると、列車は山の中へ。旧線は海沿いの風光明媚な区間を走るのでありますが、こちらは、ひたすら山の中、それも、トンネルがやたらに長いときております。いかにも、「近代化」によって「スピードアップ」を図るために付け替えられましたと言わんばかりの新鮮の典型的な区間ですな。山陰本線の保津峡あたりも、こんな感じやね。

 さて、トンネルを超えていくと、うっすらと残雪さえもみられます。

 そんな中、列車は定刻通り、内子到着。

 まだ、寒い。


 内子駅は一応、みどりの窓口(券売機やねんけど)もあって特急列車も停まるけど、実質的には無人駅。

 しかし、改札横にある観光案内書には、人がおります。

 そこで、地図をもらって町中へ。

 少しばかり駅前通りを歩き、そこから、旧町内ともいうべき町中を、やや西寄りに歩いて参ります。歩くこと20分近くだったかな、実は、標識を見逃してオーバーランならぬオーバーウォークしてしまっておりまして、来た道を引き返し、横道に入っていったその先に、肝心の偉人様の生家がありました。


 その偉人というのは、高橋龍太郎翁。

 かつて、日本のビール王と呼ばれた方。

 しかも、プロ野球史上唯一といってもいい、個人出資のチームを3年間にわたり運営してきた方でも、あります。

 その球団の名は、2年目を除き、「高橋ユニオンズ」。4年目のシーズンを迎える寸前の1957年のキャンプ中に、岡山県営球場で「解散」という、何とも言えない最期を迎えた球団です。しかも、その解散写真の中には、背後に私が後に幼少期を過ごすことになった養護施設が映っているものもあるのです。

 これは次の次の作品のための取材も兼ねておりまして、今回はまあ、無理に来なくて元は思っておったのですけど、前回のことに鑑みて、せっかくだから来ておこうと、そういうことで、改めて内子まで足を延ばしたという次第なのです。


 というわけで、こここそが、ある意味今回の取材の最大のポイントとなる場所というわけであります。

 高橋邸内のおはなしは、次回に。

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