第211話「報復の狼煙は新妻が上げる」





 第二百十一話『報復の狼煙は新妻が上げる』





【旧メハデヒ王国南部の森にて】




「あれ? おっかしいぃなぁ、確かこの辺りで死んでるはずなんだけど……」


「本当にぃ? どこにも血が無いじゃない……」



 神の子カイトは大きな狼を神弓で射抜いたはずだった。


 数キロ離れていても【鷹の目】スキルで獲物を捉えていたし、【必中】と【必殺】の補助スキルも掛けてあった、矢を外す事も獲物が生きている事も有り得ない。


 確かな手応えを感じつつ獲物の回収に向かったカイトだが、その得意満面だった顔に驚きが混じる。


 どこを探しても仕留めた獲物が居ない。

 傷を負って逃げた形跡も無い。


 相棒のポルティオイキが言ったように、血痕すら残っていなかった。


 仕留めた獲物が居た森の周囲を探るカイト。

 体を宙に浮かせ、高所から目を凝らす。



 それはすぐに見つかった。


 彼が放った神界製の矢。


 神界で鍛えられた神鋼しんこう『オリモノコン』の矢。


 神界に住む女性の股間でしか錬成出来ない神鋼オリモノコン、金属としての硬さは折り紙付き。


 高魔力所持者のカイトや筋力自慢の神々でも折るのは難しい。その黄金の輝きも永遠、腐食する事も無い。


 それがオリモノコンと言う神鋼。


 即ち、地上の生物や自然の影響を受けて折れる事も錆びる事も無い。



 だが、だがしかし、カイトが見つけたそれは溶けていた。



 熱で溶けた飴細工のように先端の矢尻をわずかに残し、それとは別にもう一つ、2mほど離れた場所に矢羽根の付いた無残な神鋼が在る。


 オリモノコンの矢は前後に分かれて溶けていた。


 天使の羽で作られた矢羽根は溶けた神鋼と融合している。その羽もよく見れば腐っていた。


 カイトは溶けた神鋼に鑑定スキルを掛け、瞬時にもう一つスキルを放ち、驚愕してその場を飛び退く。


 彼が力強く大地を蹴った衝撃は轟音となって薄暗い森に響いた。


 少し離れた場所で狼の死体を探していたポルティオイキは驚き、周囲を警戒しながらカイトに問う。



「何、どうしたの?」

「呪われてた」


「は?」


「あそこの溶けた矢は呪いが掛けられてる」


「なっ!!」



 ポルティオイキは羽ばたき一つでカイトの隣へ飛んだ。

 腐っても天使、人類には到達出来ない動きと速さだった。



「神鋼を溶けさせる呪いって……それで、詳しい鑑定結果は?」


「冥府……【冥府の女王にして魔神の妻ヘルの呪い】、だってさ」


「冥府の女王ヘル……? 魔神の妻……? この辺りで信仰されている冥神様はマンピーノジースポット様だったけど……あ、そう言えば最近不幸が起きたとか上級天使達が言ってた……」


「不幸が起きた? 死んだって事じゃないのそれ? それで代替わりしたのが『ヘル』?」


「死ぬってアンタねぇ、上級神の冥神様が滅ぶわけないじゃない、どれだけ多くの信仰を集めてると思ってんのバカ」



 そんなもの知るかと内心舌打ちし、カイトは肩をすくめて質問する。



「じゃぁ『冥府の女王ヘル』って誰? 地球にも同じ名前の神様居たけど」


「はぁ~、そんなド辺境の無名弱小神がこの宇宙域に居るとでも?」


「いや、そうじゃなくて、チッ、分かんないから聞いたんだけどね……」



 質問は曖昧、答えは筋違い。

 互いに噛み合わないパートナー。


 外面を気にするカイトが思わず舌打ちの音を立ててしまう。それほどカチンときたのだろう。


 しかし、『ヘルとは誰だ』と言う問いの後に『同名の神も居た……』と尻切れトンボな質問は余計だった。アホな天使には処理出来なかったのだ。


 問答の不成立に関して、六割はカイトに非が有ると言える。


 だが、自身の非は認めない、むしろ非が解らない。理解出来る頭脳が有れば二十歳を超えて冒険の旅に出ようなどと考えないだろう。



 苛立つカイトに気遣う素振りも見せず、やはり『混ざり者』かと半神半人への差別意識を高めたポルティオイキ。溜息を吐きながら眼前の劣等種をヤレヤレと導く。これも仕事だ。



「はぁ~、そもそもアンタ解呪出来るでしょ」

「はぁ~、出来ないから驚いたんだけど?」



 そう、カイトは鑑定した直後に解呪スキルを放っている。しかし、そのスキルは強力な呪いによって弾かれた。


 そして力任せの緊急退避、その結果が衝撃と轟音だった。


 それを聞いたポルティオイキがキレる。



「はぁぁぁ? 先に言いなさいよ、危険な呪いじゃないそれ!!」



 正論である。


 神の子が解呪出来ない呪い、即ち神の子を超える存在の呪いだ。そんな情報は真っ先に伝えるべきだろう。『解呪出来ない呪いが掛かっていた』の一言で済む。


 だがしかし、『そのくらいは察しろ無能』とイラつくのが神の子カイト。


 相手の心は察しません、以心伝心は一方通行、それが神の子カイトだ。



 転生して初めて気分を害したカイト。


 要領の悪い劣等種に嫌悪感を募らせるポルティオイキ。


 二人はその苛立ちを魔獣や魔族にぶつけたかった。


 物に当たると言う生産性の無い下品な行為を望む二人。実にお似合いのカップルだ。


 危険な呪いを掛けた何者かが居るかもしれない、そんな状況の中で、彼らは八つ当たりの獲物を探す事を選んだ。


 蟻と蜂が見つめるその先で、二人は獲物を求めて森を彷徨さまよう。




 薄暗い森の上空を、巨大すぎる積乱雲がおおった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 この期に及んでまだ狩りか……

 冥府の女王が鼻でわらう。



 女王は軽く首を左右に振った。


 下衆が再び蛮行を選び、人外帝王の怒りに油を注いだ。


 冥府の女王は膝の上に寝かせた狼を撫でながら苦笑する。


 今すぐ下衆に報復したい衝動を抑えるのが難しい。


 彼女もまた、ファールバウティの血族なのだ。


 祖父ファールバウティから受け継いだ血の量はロキに次いで多い三兄妹、血族が負った『キズ』に対する報復は、長男フェンリルが証明した通り苛烈だ。


 その名に負わせたキズも、その体に負わせたキズも、その誇りに負わせたキズも、ファールバウティの血族は絶対に赦さない。


 今回、神の子カイトはいくつのキズを彼らに負わせたのか?



 一つ、二つ、女王は右手の指を折って数えた。



「あら、片手では足りない……」



 女王は視線を下に向け、それを見る。

 狼の頭を撫でる左手の薬指に輝く指輪しゅくふく


 魔神の妻たる証を見る。


 冥府の女王とつがった魔神もまた、ファールバウティの看板を背負っている。


 しかも、その魔神は不可触神の息子で大魔王の娘婿だ。



 そんな魔神の眷属を殺せば……


 当然、報復の名を冠する凄惨な何かが起こる。



 冥府の女王は嗤う。


 既に報復は始まっていた。


 神鋼に掛けた呪いがむしばむのは神の子ではない。


 神の子の目を通して覗き見していた愚か者を蝕むのだ。


 愚者の処分など呪い一つで事足りる。

 女王が神界に足を運んで手をくだすまでも無い。


 愛する夫に言われた通り、狼と共に玉座の上で迎えを待てば良い。


 女王は目を閉じ、狼の頭を優しく撫でた。


 地上には両親と兄が居る、自分の分まで暴れてくれるだろう。


 特に、ゴム丸君から逃げ延びた次兄はここぞとばかりに暴れるはずだ。


 妖蟻が張り巡らせた瘴気溢れる地下道を使い、世界蛇ミドガルズオルムが『巨聖蛇ヨルムンガンド』と成って報復する。


 次兄はそうする、女王には確信が有る。



 ファールバウティの血族は、侮辱を決して赦さない。


 侮辱なめた奴らは必ず殺す。

 殺せなかったのは【真我】に譲った愛神のみ。


 しかし、その愛神も新たな血族ナオキが食い殺した。


 祖父が定めた鉄の掟は破られていない。


 今回も、必ず殺す。



 女王は目を閉じ、狼の頭を優しく撫でた。



 神界に響き渡るであろう神々の絶叫を想いながら。



 女王は目を閉じ、狼の頭を優しく撫でた。







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