暗夜異聞 茶館の少女

ピート

 

 田舎町の古びた茶館にその少女はいた。

 異国の少女が一人連日茶頼み、日が暮れるまで過ごし帰っていく。

「お嬢さん、おかわりはどうだい?」

「そうね。同じものをいただけるかしら。でも、これはそのままにしておいてもらえるかしら」

 少女の前に置かれた湯呑には、蓋が立てかけられるように置いてある。

「・・・・・・それは茶碗陣かい?」

「……知ってる人は知ってるモノなのね」

「茶館の主だからね。雑学としては知ってる。待ち人が早く現れるといいね」

 店主はそう言うと厨房へと姿を消した。

「知ってる者は知ってる。か……」

 小さな呟きが少女の口からこぼれる。

 連日この茶館に訪れ少女が行っていた『茶碗陣』は符丁の一種だ。

 少女はこの符丁を使って待ち人へ、この街に訪れている事を伝えている。

 が、その待ち人はまだ少女の前には現れていない。


「お嬢さん、ご一緒させてもらってもいいかい?」

 店主が注文の品と一緒に自分の分の茶も持って尋ねる。

「待ち人に避けられてしまうと困るんですが……」

 そんな答えを無視するように店主は向かいの席に腰を下ろした。

「お嬢さんは何処からきたんだい?」

「聞いてましたか?」

「何処から来たんだい?」

 同じ質問を繰り返す店主は、右手を胸に当てる。

 親指と人差し指が折りたたまれた形だった。

「……果ての国から」

「どの道を通って此処まで来たんだ?」

「細く険しい道を」

「今まで何を学んで?」

「古き民の記憶、魔道を学び、身を守る為の神武を」

「・・・・・・わかった。彼方からの旅人と晩餐に招待したい」

「貴方の師の名を教えてもらっても?」

「卯金の刀」

「美味しいお茶を御馳走様でした。閉店した頃に伺えばいいのかしら?」

「迎えに行きますよ、お嬢さん」

 店主はお茶を飲み干すと厨房へと戻っていった。

 宿泊先を話した記憶はない。尾行……宿泊先は限られている狭い街だ。

 悪戯や罠で無いと信じるしかない。



 日が暮れかけた頃、店主は宿に現れた。

「行きましょう」

 そう言うと店主は先だって歩き出す。

「色々と聞きたいこともあるのだけど?」

「私に答えられる事などありませんよ」

「……そう」

 無言のまま歩き進み、辿り着いたのは茶館の裏にある古ぼけた屋敷だった。

「貴女の待ち人がお待ちです。私はここで失礼します」

 そう言い残すと店主は去っていった。


 残された少女は悩む素振りもなく屋敷へと足を踏み入れる。

「出迎えはないのかしら?」

「相変わらずだな、お前は」

 少女の声に反応するかのように初老の男が現れる。

「久しぶりね」

「食事が用意してある、再会を祝うべきかな?」

「今日はゆっくり食事が出来るのかしら?」

「もちろんだとも、何時ぞやの事をまだ怒っているのか?」

「殺されそうになって怒らない者がいるのかしら?」

「和解出来てるから会いに来てくれたと思ったんだがな」

 男は微笑む。

「今日の食事が美味しかったら許してあげるわ」

 そう言うと少女は右手を差し出す。

 男はそれにこたえるように少女をエスコートした。

「そういう事が出来るようになったのね」

「それなりに色々な事を学ぶ機会もあった」

「私も色々と学んできたわよ」

「互いの話でもするとしよう」

「えぇ、時が許す限りね」


 二人の晩餐が静かに始まった。

「この料理は誰が?」

「遠方から訪ねてきてくれたんだ、自ずから調理するさ」

「これも学んだ事なのかしら?」

「そうさ。あれからたくさんの事を学んだ。口にあうかい?」

「えぇ」

 言葉少なに二人は会話を続ける。



「御馳走様。美味しい食事に感謝するわ」

「和解出来たようでなによりだ」

「私も色んな事を学んだ。あの時貴方が私を殺そうと……見せかけた理由もね」

「……そうか。見せかけたつもりはなかったんだがな」

「なら、もう一度?」

「残念だが、私にはお前を殺す理由がない」

「貴方から学んだ成果を確認してもらいたいのだけど?」

「錬氣か?」

「趟泥歩もね」

「套路は?」

「一度見せてもらっただけで、私がやるのを貴方は確認しなかったじゃない。趟泥歩は何度か見てもらったし、注意もしてもらった。套路は正しくやらなければ意味がないのでしょう?」

「なら庭で見せてもらうとするよ」


 趟泥歩は八卦掌の歩法、套路は中国拳法における空手の型のようなものだ。


 二人は庭に出る。

 男が庭に円を描くとその中央に立ち少女と向き合う。

「私の動きに合わせて動いてくれればいい」

 男が体の向きを変えていくのに合わせ、少女が動く、円の形なぞるように男の正対しないように滑らかに。

 男が少しずつ動きを早くするが、少女もそれに対応するように動いていく。

 その動きには一切の乱れはなかった。

「それだけ動けるようになるとは大したものだ」

「次は錬氣ね」

「いやこれだけ趟泥歩が出来るようになったなら、錬氣もしっかり出来ているだろう。勁をその木に当ててみせてくれ」

 指示された庭の隅にある木に、少女は掌をそっと当てる。

 大きな動きはなかった。

 少女は手を離し、振り向くと男と向き合う。

 ざわめきと共に木が揺れ、たくさんの葉が落ちた。

「新しい套路を覚えるかい?」

「この小さな身体で戦うつもりはないわ」

「まぁ、この街じゃなければ、その技を使う必要もないだろうさ」

「何故私を生かしたの?」

「お前を殺すのは依頼ではなかった。彼女から依頼されたから技を教え、いつか此処に来られるよう茶碗陣も教えた。そして彼女を殺したのは、それが彼女からの依頼だったからだ。もう気付いているんだろう?」

「……何故、あの人がその選択をしてしまったのかまではわからないままだわ」

「彼女はずっと死にたがっていた。お前と暮らすようになり、生きていくものだと思っていたんだがな。どちらにせよ、彼女の寿命は僅かだったと本人が言っていた。残された命をただ生きるより、残していく者の為に使いたかったんだろうさ」その声には僅かに震えているようにも聞こえた。

「私たちの為とでも言うの?」

「いや、彼女の自己満足さ」

「……」

「その結果はお前の知る通りだ。街も森もそのまま残ったじゃないか……さて、私の命も残り僅かだ。他に知りたいことはあるのか?」

「貴方は……苦しくなかったの?」

「?……苦しい?心?それとも身体か?どちらも失ってしまったものだ」

「彼女を殺した事を後悔は?」

「私は彼女の願いを叶えた。その結果も彼女が望んだとおりになった。何を後悔すると?」

「貴方は……」少女の声が震える。

「敵を取りたいならそれもお前の自由だ。殺される理由もある。ここに案内した男に技は全て伝えてある。お前が必要ならば技を伝える事も、そしてその術をお前の為に使うように育てた。私が彼女の望みを叶えてきたように、お前の望みを叶えるようにな」そう言うと瞼を閉じる。

「貴方の思い通りになんかならないわ。貴方はそのまま老いて死ぬのよ。その時に、自らの行いを悔いればいいのよ」

「悔いる?私に悔いなどあるものか。この身に宿してきた術は全て伝えた。全てを彼女の為に捧げ生きてきた」

「なら何故彼女を殺したのよ」

「彼女の望みを叶えるのが私の生きる意味だからだ」その声には何の迷いも感じられなかった。

「死んでしまった人の望みは叶えられないじゃない!」

「私は彼女の望みを叶えてきたさ。そしてこの先もな」

「この先も?」

「いつかわかる。彼女も元で、彼女と共に生きた。いつかウォルフに会う事があれば伝えてくれ」

「自分で伝えればいいじゃない」

「そうだな。あの男が此処に来てくれればいいんだが……ではウォルフではなく、ルルド、お前に伝えておく事でも話そうか」

「私に?」

「彼女からの最期の願いさ。此処にお前が来ることがあれば渡してくれとな」

 そう言うと懐から布に包まれた物を取り出し、ルルドに手渡す。

 布に包まれたそれは手紙と小さな箱だった。

「此処で読むも、一人になってから読むもお前の自由だ。内容は知らない。久方ぶりにたくさんの話をして疲れた。私は先に休ませてもらうよ。此処に泊まるも宿に戻るも好きにしたらいい。私を殺したいなら、それも好きにすればいい。今夜はこの屋敷に私だけだし、奥が私の寝室だ」ゆっくりと男は屋敷へ戻っていく。

 残された手紙と小箱を手に少女を空を見つめる。

 その瞳は僅かに濡れているようにも見えた。

「ロゼリア・・・…貴女はどうして……」

 小さな呟きと共に少女の姿は闇に消えていった。



 翌朝、屋敷の主人が亡くなっているのを、使用人が発見したが、その顔はとても穏やかなものだった。




 Fin





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暗夜異聞 茶館の少女 ピート @peat_wizard

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