第32話 神伐


「――さて」


 しゃがみ込んで、レヴィアさんを見下ろす。


 黒い影はまだ纏わりついてはいるけど、本人が戦えないんだから、今は警戒しなくて良い。


「……、……」


 さっきこの姿勢から顔面を鷲掴みしちゃったからか、僅かにみじろぎされたけど……さすがにこれ以上やるつもりはない。


 ていうかわたし、ただ殴ってただけだね。

 野蛮だ。


 左手についてた吐瀉物とかを吐いた本人の服(っていうか、焼け残った服の残骸)で拭いてたら、アーシャとアリサさんが近づいてくる。

 鎖が消え、拘束が解かれたマニさんも、ふらふらよろめきながらこっちへ向かっていた。


「うへぇ、容赦無いですねぇ」


 立ったままレヴィアの顔を覗き込むアリサさんだけど、台詞のわりには声に全く同情心が乗ってない。


 どこからともなく布切れを取り出してくれたから、それで手をふきふき。


「そうかなぁ。むしろここからだけど」


 わたしの呟きを拾って、隣にしゃがみ込んだアーシャがそれを呼び出してくれた。

 一本の、短刀を。


 装飾も何もない冷たい銀色に、マニさんが声を上げる。


「――まっ……イノリ、さん……!」


「ごめんねぇ。これはやらなきゃいけない事だから」


 横たわったままのレヴィアさんは、沙汰を受け入れようとする意思と本能的な恐怖とが入り混じった瞳をこちらに向けていた。


「あなたはとても、人間味があるね」


 さっきの意趣返しのつもりで揶揄ってみる。返事はなかった。


 マニさんへの、羨望と嫉妬が入り混じった親愛。

 力を求め、得て後悔して、それでも「手放せない」と零した渇望。

 カミへの冒涜を恥じ、けれども断罪に震える生存本能。


 相反するものをいくつも抱えていて、でもそれは、彼女の性根が清廉だからこそ。だと思う。


「……これ、以上は……!」


 覚束ない足取りのマニさんは、もうすぐ近くにまで来ていて。


「じゃ、やろっか」


 彼女に背を向けたまま、レヴィアさんの頭上へ刃を振り下ろす。


「やめ――!」


 鮮血が、マニさんの声を遮った。


「やっぱりいたい」


 わたしの、血が。


 短刀の刃は狂いなくわたしの左手首を切り裂いて。

 ずるりずるりと、傷口から血が流れ出る。


 わたしの意志を代弁するかのように。地に堕ちることなく、一筋の線になって漂う赤色。


 伸びて伸びて、流れ出て。

 やがて円を描く形で、レヴィアさんを囲い組む。


「こんなもんかな」


 一周ぐるりと囲った辺りで、指で血の糸を切る。

 すぐにアーシャが、傷付いた左腕を取って。


「あむ」


 そのまま唇に当てた。


「しみる」


 傷口を丸ごと覆い隠す唇。

 ふにふにしたその囲いの中で、熱くてぬめっとしたモノが血を舐めとったのが分かった。


「ん、む……」


 そのぬめぬめ――舌の先に魔法を乗せて、傷口を幾度かなぞり。

 一往復するたびに血が止まり、塞がっていく。


「――んぱっ」


 十秒そこらでアーシャが唇を離した時には、もう傷は痕すら無くなっていた。


「ありがと」


「構わないわ」


 懐から取り出した布切れで唾液を拭き取りながら、澄まし顔で言うアーシャ。


 構わないって言うか、別に舐めなくても治療はできるんだけどね。

 これは、言うなればアーシャの趣味だ。


「……」


「……」


 後ろでは、マニさんとアリサさんが呆けたように突っ立っていた。


 マニさんはたぶん、短刀がレヴィアさんへ向けられなかったから安心したんだと思う。

 アリサさんは……呆けてるって言うか、惚けてる?なんか口が半開きになってる。

 まぁいいや、ほっとこ。


「はーい、ちょっと苦しいですよー」


 今は後ろより前。

 赤い円で囲われたレヴィアさんに一声かけてから、始める。


「――!」


 ずるりずるりと、血の糸が蠢き。

 呼応するように、黒い影が揺れ動く。

 

「っ、ぅっ……ぁっ……!!」


 同時に、レヴィアさんが呻き声を上げた。

 背後で再び、心配そうに揺れる気配を感じたけど。今は無視。


「はっ……はぁっ……!……あぁっ!!」


 少しずつ、少しずつ、赤い円が狭まっていく。

 黒い影はのたうち苦しみながら、それにぎゅうぎゅうと締め上げられていって。


「ひっ……ひゅっ……!」


 それに合わせて、レヴィアさんの呼吸もどんどん荒く危うくなっていく。


「イ、イノリさん……レヴィアが――!」


「――黙って見てなさい」


 たぶん止めようとしたんだろうマニさんを、アーシャがひと睨みで制した。

 邪魔するようならいつでも拘束できる。そう言わんばかりに、妖精さんたちも周囲に控えている。


「レヴィア・バーナートは深く適合し過ぎた。剥がすには相応のリスクがあるわ」


 代わって説明してくれてるアーシャを横目に、わたしは血に意識を集中。


 円はどんどん狭まっていって、もうレヴィアさんの胸の上くらいにまで縮まってるけど。


 囲われている影は、まだ彼女の心に根を張ったまま。

 締め上げるほどに彼女の胸元から黒色が吹き出して、でも、分離することはない。


「うーん……やっぱり、綺麗に剥がすのは無理かなぁ」


 いやぁ、これでも結構頑張ってるんだよ?

 この量の血液でも、流れ出ればわたしの体には負担が大きい。

 血を使った分離は効果が大きい分、難しいのだ。


 分離させずに丸ごと祓っちゃうのなら、簡単なんだけど。この場合丸ごとっていうのは、這入られちゃってるレヴィアさんごと、って意味で。


 それは、助けるのうちには入らない気がする。


「ひっ……ぁっ……、っ……!」


 まぁとにかく。

 びくんびくんって、脈打つように震えるレヴィアさんの方も、これ以上は本当に限界だろうし。


「……ここらで手打ちかなぁ」


 時には、見切りを付けるのも大事。

 てわけでぎゅっと、一気に血の糸を締める。


 結んで、そのまま切り離すように。


「ゔっ、ぐっ、あぁぁぁぁっ!!!」


「っ、レヴィアっ……!!」


 断末魔のそれのような、一際大きな悲鳴をあげるレヴィアさん。

 マニさんの声もかなり悲痛な響きだけど、アーシャが魔法で抑え込んでるのか、割って入ってくる様子はない。


「はーい、ちょっきんですよー」


 ちょっきんって言うか、ばつんって感じなんだけど。


 とにかく、わたしとアーシャしか見えない黒い影が、血の糸に切断された。


「っ、ぁっ……――」


 一際大きく体を跳ねさせ、意識を失ったレヴィアさん。


 できることなら締め上げて全部絞り出したかったんだけど、やっぱり深く根を張り過ぎてて無理だった。


 だから可能な限り絞って切除して、残った分は自ずとレヴィアさんの中に還っていく。


「堕ちしカミの片鱗よ」


 切り離された神様の力のごく一部に、小さく目礼。


 円を解いた血の糸が、漂う影に絡み付いて。

 溶け合うように滲み、染み込み。


 ――――。


 今度は音もなく、共に消えていった。


「どうか、安らかに」


 祝詞なんて、こんなものだ。

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