ばあちゃんのきつねと、わたしのたぬき

@nyanyanyanyaco

第1話

ばあちゃんは物心ついた頃からばあちゃんだった。

背中は曲がってないけど小さくて、窓際に正座で座ったまま、あまり動かない。

それでいて存在感があって、家族で笑い合う時、そこには必ずばあちゃんがいた。


ばあちゃんは昔お嬢様だったのよ、

と母はよく話していた。

だからか料理が下手だった。


夏休みはレトルトのミートソーススパゲッティか、そうめん。それも麺がぐずぐずに伸びたやつだ。

だから、兄弟はみんな嫌がって、昼も食べずに遊びにいくか、おむすびを持って出かけてしまった。


私はその頃からあまり食べ物に執着のない子供で、ばあちゃんのそうめんもパスタも、あぁ、いつも通りのまずさだなぁ、と思いながら黙々と食べる日々だった。

私はそれでもよかったが、耐えられなくなったのはばあちゃんのほうだった。


「ねえ、お店できつねさん買ってきてよ」


お昼になるとそう言って小銭を握らせるのだ。

特にこだわりのない私は言われるがまま、近所の商店へ赤いきつねを買いに行く。

商店の棚には赤いきつねの隣に、必ず緑のたぬきがあった。

赤いパッケージには艶やかなお揚げが、緑には美味しそうなかき揚げが載っている。

食べ物に執着のない私は、質より量が欲しかった。お揚げは美味しそうでも、かき揚げの方が腹には溜まりそうである。


そうして幼少の頃の私はしばし、扇風機の風にあたりながら、かき揚げそばをずるずるとすすった。


ばあちゃんは自分で食べたがったくせに、


「ほら、お揚げあげる」


食べな、と言ってかき揚げの散らかった蕎麦の上にお揚げをのせた。

いっきに豪華になった私の器と比べて、お揚げの消えたばあちゃんの器はなんとも淋しそうである。


「いいよ、ばあちゃんが食べなよ」


そう言って断ると、


「半分こにしようか」


と言って、小さく齧り付いたお揚げの残りを私の器に乗せた。


なので私はそれ以降、お食べ、と言われれば素直に食べ、何回かに一回は、ばあちゃんが食べなよ、と言って、齧り掛けのお揚げを食べた。



そのうち私も大きくなり、高校に上がった年に、とうとうばあちゃんは亡くなった。


小さかったばあちゃんは、どんどん小さくなって、とうとう小さな壺におさまるくらいになってしまった。


きつねさん買ってきてよ、

と言って、小銭を握らせる人はもういない。


なのに大人になった今、私は緑のたぬきを買う時についつい赤いきつねも一緒に買ってしまう。

そうして家の戸棚には、必ず赤と緑が並んでしまわれている。


そして赤いきつねを手に持つと、必ずばあちゃんのことを思い出す。


いつか誰かとこれを食べる時。その時は、ばあちゃんの話をしながら食べようと思う。

そして半分こにしようか、と言って笑うのだ。

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