岐路
硝水
第1話
「本当の私じゃなくなったって」
「うん」
「本当の私なんてどこにいたの?」
「ここにいるよ」
「いない」
彼女の手が、頬に触れる。仮面を剥ぎ取る。
「いない、いない、いないよ。剥いでも剥いでも仮面しか」
「仮面の中にしかいられないんだよ」
「じゃあ本当の私はなくならないし、はじめからいなかったんだ」
「きみにはね」
「じゃあ、じゃあ、じゃあ嘘吐き」
「そうかも」
彼女は私を知らないし、私も彼女を識らず、両者ともに世界をしらない。常識は主観のパテで、私はジェノベーゼ、彼女はヴィシソワーズ。
「真実なんてどこにもないんだよ」
「不在の証明」
「しってるよ、難しいのは」
「ほんとうに知ってる?」
「言い切れない」
「外側から使って」
「ほんとうに?」
「そう書いてある」
彼女は白鳥の形に折られたナプキンをするすると解いてテーブルに放つ。ナプキンのように平たい白鳥はテーブルクロスの上を滑るように泳いで、地の果てから私の膝に落ちる。ぐしゃ。
「あーあ」
生温かく湿った、腿の肉が、ふるふると揺れていて。彼女は半熟の茹で卵を握り潰している。メインディッシュはまだ先だ。飛び散った殻が皿の上に集まっていく。
「それで、最後?」
「うん、そうかも」
砕けた私が笑っている。向かいに座った彼女は、忙しなく眼球を回して、瞼を探している。
「おわりだよ」
亀がひっくり返った。カプレーゼが控えめに拍動している。それに突き刺したフォークが。夜は来る。朝も来る。動けないのは私達だけだ。
岐路 硝水 @yata3desu
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