【凍結】揺蕩う糸の如し余生
国寺英果
第1話
空を見上げれば、雲一つない蒼天が広がっていた。オーバーオールを着崩した灰色髪の少年、ラインがふぅと息を吐けば、口内に溜まった白煙が空を汚し、その壮大な蒼に飲み込まれていく。
彼はもう一口、人差し指と中指の中程で挟み込んだ煙草を口許へと運ぶ。ゆっくりと息を吸い込むと、先端の赤がじりじりと迫る。その様は当に命の灯が如く。口許から手を放し、今度は外の空気と共に煙を飲み込んだ。吐いた息に白はない。
「あ!ライン、またサボってる!ダメなんだよ!」
彼がそうして、屋敷の裏庭に置かれたベンチに腰掛け煙草を蒸かしていると、幼い少女の少し舌足らずな声が耳に届いた。そちらに目を向けると、一人の女中を連れた白のワンピースに身を包んだ明るい緑色の髪をした少女が居た。
彼女の名前はアミシア=ウッデンゲート。ラインの雇い主であり、この屋敷の主人であるウッデンゲート伯爵の一人娘だ。
「あぁ、お嬢。別にサボりじゃないぞ?」
彼はぼうとした覇気のない視線を彼女に向けると、もう一方の手に持った携帯灰皿に煙草を押し付け、火を消しながら応えた。
「周りを見てみろ」
「うん?」
アミシアは促された通りに辺りに目を向けた。そこには、いつも通り綺麗に整備された裏庭が広がっている。石畳と生垣で綺麗に整えられた屋敷正面とは違い、青芝の敷き詰められた裏庭には、木製のテーブルやベンチが置かれ、憩いの場としての機能が備えられている。
「いつも通りの庭だろ?」
「うん」
「そう、それこそが、俺がきちんと仕事をしたって証拠だ」
ラインの仕事はウッデンゲート伯爵家の庭の管理だ。庭の掃除や生垣の手入れなどが基本的な仕事となる。つまり、庭が普段通りであるということは、彼が自らの役割を熟しているということの証左であった。
「お嬢はいずれ人の上に立つ人間だ。人のことを評価しなきゃいけない」
ラインはベンチから立ち上がり、アミシアの方へと近づくと、目線を合わせるようにしてしゃがみ込み言った。彼女の蜂蜜色の瞳が真っすぐ彼を見据える。
「仕事ってのは、時間じゃなくて成果で評価するべきだ。だから俺のはサボりじゃないんだ」
「そうなの?」
「あぁ、そうだ」
こてん、と小さく首を傾げるアミシアに対して、へらへらと軽薄な笑みを浮かべて頭を撫でるライン。こうして適当な言葉を並べて誤魔化すのは彼の得意とするところだった。
「お嬢様、騙されてはいけません」
そこにアミシアの後ろに佇んでいた女中のオリーブが待ったを掛けた。その言葉に反応して、アミシアが振り返るようにして彼女を見上げる。
「仕事が終わっていようがいなかろうが、使用人が屋敷の庭で寛ぐなどあってはなりません。もし客人などがいらっしゃたらどうするのです?そこの男はもっと伯爵家の使用人としての自覚を持つべきなのです」
女中は毅然とした態度で言葉を続ける。ピンと伸びた佇まいから発せられる凛とした声色が氷柱のようにラインに降り注ぐ。彼女の潤んだ黒髪と端麗な顔立ちも相まって、恐ろしさも感じるような声色だった。
「それで、どうしたんだ?何か用か?」
しかし、ラインは彼女の言葉には応えない。ちらりと、伽藍堂のような灰緑色の瞳を向けるのみで、すぐさまアミシアの方へと向き直り、再びにへらと笑みを浮かべる。
そんな彼の態度に、オリーブの眉間には幾重にも皺が寄る。殆ど無視のような形だ、当然だろう。
「うん!えっとね、ポールがクッキー焼いてくれてるの。一緒に食べよ?」
アミシアはオリーブの態度を気にしてか否か、元気いっぱいに言った。ニコニコと浮かべた笑顔は可愛らしく、天真爛漫という言葉がぴったりな様子だ。
「あぁ、いや、俺はいいよ。もう少し此処に居る」
アミシアにお誘いに、ラインは首を横に振って応えた。別段断るような理由もないのだが、只々気分が乗らなかった。
「じゃあ、此処で食べるもん。一緒に食べるの!」
そんな彼の返答が気に召さなかったようで、アミシアは頬をぷっくら膨らませて言う。彼女はどうしてもラインとお茶をしたいらしい。
彼女が彼を誘い、そして断られるというやり取りも、彼女が自分で歩き回れるようになってから幾度となく行われてきたことだ。次第に、彼女は彼が誘いを断りはするものの、その後の行動については何も制限しないことを学んだ。
「あぁ、そうかい。此処はお前の家だ。好きにしな」
だから、彼のこの返答は、殆ど彼女の思惑通りだった。
「うん!オリーブ、行こ!」
「はい、お嬢様」
思った通りの言葉を聞いたアミシアは、パッと開いた花のような可憐な表情で頷くと、オリーブを連れ立って、屋敷の方へと速足で向かう。
一方のオリーブは敬愛するお嬢様と気に食わない男がお茶する事実に、更に眉を顰める。しかしながら、主の命とあれば致し方なし。彼女は幼い少女の小さな駆け足について行った。
残されたラインは彼女らの後姿を相変わらず、ぼぅと眺め、懐から煙草を取り出すと、一本、口へと運んで火を点けた。
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「え、お花から人が生まれるの⁉」
「あぁ、そうだ。そいつらは胎んなかじゃなくて、土の中で子供を育てるんだ。お嬢は知ってるだろうけど、植物ってのは果実を実らせるだろ?その果実の代わりに子供が生まれるんだ」
「へぇ、なんか、変なの」
「別に変じゃないさ。そいつらにとってはそれが普通なんだ。むしろ、母親に負担が掛かるような産み方をするほうがおかしいって言ってたしな」
「ふぅん………」
その後、裏庭に戻ってきたアミシアは予定通りにラインとお茶をしていた。話題は普段と同じく、ラインの前世の話だ。ふとした瞬間に彼が前世の記憶があると漏らしたところから始まったこの習慣だが、彼の話は幼い少女にとっては刺激的で新鮮なものであり、彼女は彼の話を聞くのが好きだった。
この前は人間は殆ど滅びていて残った人間も身体の半分が鉄に置き換わっていたという話をしていたし、その前は海に沈んだ世界で船の上で生活をしていたとも言っていた。真っ黒な虫に生存圏を奪われて必死に抗っていたとも、精霊のような存在に仕える神官が政治を執り行う島々の話をしていたこともある。
今回は色々な種族が住んでいる世界の話で、その中でも植物と密接に関わりのある種族の話をしている。
彼の話にはどれも実感が籠っており、それでいて語り口はいつも通りのあっさりとしたものだ。それがまた、本当に体験してきたことであるかのような印象を受けさせる。
しかし、教育係でもあるオリーブにとっては、アミシアがラインの話を聞くことについて複雑な感情を抱いていた。勉強の息抜きとして聞かせる空想話としては良いのかもしれないが、彼の話を現実と混同し始めないか心配でもあった。
それについては、自分が確りと教えれば問題ないとも思う一方で、彼女の一番の懸念は魔法使いの話を真面目に受け取ってしまうことだった。ラインが魔法使いの中で比較的まともであることは、彼女も納得するところであるが、それがまた、彼女の心を騒がせる。幼い頃から彼と接することで、他の魔法使いも、彼と同じで自分に害がないと思ってしまうという懸念があるのだった。
そこも含めて、自分が確りと導いてやらねば、とオリーブは気を引き締める。
「クッキー、美味しいね」
「あぁ、サクサクしてる」
そんな風にオリーブが決心を固めていると、彼らの話題は食べているクッキーへと移っていた。アミシアは純粋にクッキーの味の感想を述べ、ラインは少しずれた返答をする。
「グラスヤードの小麦とウールハイヤーのバターを使ってるんだって」
「ふぅん」
アミシアは先程ウッデンゲート伯爵家の料理長ポールに聞きかじった知識をしたり顔で話す。
「知ってる?グラスヤードはおっきい畑で、ウールハイヤーは羊さんが一杯いるんだよ?」
ラインの気の抜けた相槌など気にせず、アミシアは言葉を続けた。
グラスヤード、ウールハイヤーともにウッデンゲートと同じくブラストテレス王国の属する領だ。大陸南西部の半島に位置し、国境の八割を海に面するブラストテレス王国は、その国土も山や台地が多い。
そんなブラストテレスの中で、ほぼ唯一の広大な平野と言っても過言ではないのが、グラスヤード侯爵領である。その肥沃な土壌を生かして大規模な穀倉地帯として王国の食糧事情を支えている。
一方、ウールハイヤー伯爵領はグラスヤードの隣に位置し、領土は高地が多い。隣領から穀物を輸入することで大規模な牧畜を可能とし、こちらもまた、食糧生産地としての役目を担っている領地だ。
「お嬢は良く知ってるな」
「うん!」
褒められたことに気を良くしたアミシアは、にこにこと笑みを浮かべて、しかしそれを隠すかのようにティーカップを口許へ運んだ。
「お茶はね、外国のなんだって———」
それでね、あのね、とアミシアが一方的に話し、ラインが相槌を打つだけのお茶会は彼女のお勉強の時間まで続いた。彼女はその間、ずっと楽しそうにしており、そして、この後も彼に聞いてもらうため、褒めらてもらうために勉強を頑張るのであった。
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