二十歳になった君へ想いを伝える

紅狐(べにきつね)

ずっと好きだった


 中学二年、後輩ができた。

同じ部活の後輩は、何かあるたびに俺の所にやってきた。


「先輩! ここ教えてほしいんですけど」

「先輩! 釣りに連れていってくださいよ!」


 俺と同じくらいの背の高さの後輩。

俺はどちらかというと背が低く、女子にはもてなかった。


 逆に後輩は誰にでも同じように接し、みんなに好かれていた。

見た目も可愛く、接しやすい。恋心を抱く男子は多かった。


 きっと、俺の事は眼中にないだろう、俺が後輩に告白してもフられるだろう。

だから俺は好意を持たず、友達として後輩として見てきた。


 中学三年、俺は進路先を悩んでいた。

近くの高校にするか、少し遠いけど少し偏差値の高い高校にするか。


「先輩高校どこに行くんですか?」


 迷っていると後輩は即答する。


「偏差値高い方がいいじゃないですか。先輩、大学行くんですよね?」


 多分大学には行くだろう。地元ではなく、できればもう少し都会の大学に。


「私もその高校に行きますよ。先に行って待っててくださいよ。絶対に行きますから」


 彼女の声に従ったわけではない。

どうせ大学に行くなら、後輩の言う通り少しでも偏差値が高い方がいい。

俺は彼女の一言で進学先を決めてしまった。


 受験の為、毎日図書室で勉強をする。


「先輩、期末試験やばいんです。隣いいですか?」


 ついでに復習もしたいし、教えることにする。


「誰もいなくなりましたね……」


 ついつい熱が入ってしまう。

暗くなった廊下を二人で歩き、正門をくぐる。


「先輩、いつもありがとうございます。受験、がんばってくださいね」


 そう言うと彼女は、俺にアイスを半分くれた。


「一つで二人分のアイスはお得ですよね。今日のお礼です」


 薄っすらと頬に汗が流れ、夏を感じる。

彼女の白いシャツも少しだけ汗を吸い込んでいた。


「先輩、好きな人いますか?」


 突然立ち止まった彼女は、紅く染まった空を見ながら俺に話しかける。

俺は誰もいないと、答えてしまった。


「そうなんですね。いないんですか……。昨日、告白されまして……。付き合ってもいいと思いますか?」


 少しだけ寂しそうな表情をする彼女。

俺はどう答えればいいのか。彼女が好きだったら、付き合ってもいいんじゃないか?

自分の心を殺し、彼女に伝える。


「そうですね。私が好きだったら、付き合ってもいいのかもしれませんね。ありがとうございます、先輩」


 彼女は俺の方を見ることなく走って、ずっと先まで、見えなくなるまでその足を止めなかった。


 そして、月日は流れ季節は夏休みになる。

彼女との付き合い方は変わることなく、彼氏がいても同じような時間を過ごしている。


「先輩、彼氏が私を束縛してくるんですよ。どこにも行けないし、何もできないんです。どうしたらいいですかね?」


 夏休み。彼女は図書室で課題をするといい、彼氏から逃げてきたようだ。

俺は夏期補修。参加率も低く、教室よりも図書室を使う方が多い。

勉強をする傍ら、彼女の話を聞き相談に乗っている。


「やっぱ、別れた方がいいですかね? 自由な時間がないんです」


 恋愛は自由だ。合わなければやめた方がいい。でも、メリハリはつけないとダメだと伝える。


「わかりました。今度会った時に別れ話します!」


 笑顔で図書室から去っていく彼女はいつも通り元気だ。


 ◆ ◆ ◆


 季節は流れ、俺は無事に高校に受かった。

同時に彼女との別れでもある。


「先輩、卒業おめでとうございます。あれ? ボタン余ってますね」


 もちろん彼女もいなく過ごした中学時代。ボタンをあげる人もいないわけで。


「私がもらってあげますよ。記念に」


 微笑む彼女に、記念だといって第二ボタンを差しだす。


「私も来年行くので、また先輩に会えますね。寂しくないですか?」


 寂しくないと伝え、間違った高校受験するなよと伝える。

正門を出て、家に向かって歩き始めた。


「先輩! 絶対に行きますから! 待ってくださいね!」


 俺は振り返ることなく彼女の前から去っていった。

多分、彼女と会うことはもうないだろう。

俺の事は便利な先輩だと思っていたと思う。


 俺も後輩の事は少しだけ好意を持っていたのかもしれない。

でも、その想いは実ることなど絶対にない。


 高校一年、新しい環境になれるのも大変だった。

なぜか後輩が受験シーズンに入ると、呼び出され勉強を教えることになってしまった。


「先輩、教えるのうまいですね! 次は、ここお願いします!」


 彼女との付き合いも長くなり、お互いに少し成長していた。

髪が伸び、大人っぽくなった彼女。膨らむところは膨らみ、女性らしくなった。

俺も、それなりに背が伸び、男らしくなったと思う。


「先輩、高校で彼女できました?」


 できるはずがないと答える。


「先輩も寂しいですね。私は彼氏できましたよ」


 それは良かった。今度は別れないように、ちゃんと付き合うんだぞ。


「わかってますよ。彼氏は結構優しいので、大丈夫です」


 しかし、何かあるたびに彼女は俺に連絡し、相談をする。

男ってわからない、なんでいつもそうなの? 誰でもいいの?

彼女の相談は日に日に増えていく。


 そして、彼女も無事に卒業。俺と同じ高校に来た。


「先輩! また後輩としてよろしくお願いします!」


 また二年間、一緒になるのかと肩を落とす。

でも、ここまで付き合いが長いと後輩というより妹みたいに感じてしまう。


「先輩、今日は一緒に帰りましょうよ! クレープ食べませんか! 先輩のおごりで」


 何が楽しくて俺に付きまとうのか。俺と仲のいい女友達はいないし、気にすることもないか。


「甘い! おいしいですね! 先輩のも一口下さいよ!」


 いいと言っていないのに、勝手に食べられた。


「そっちもおいしいですね。今度はそっちを買います!」


 悩みなんて何もなさそうな彼女は、いつでも元気だ。

その元気を俺にも少し分けてほしい。


 そんな付き合いがずっと続いた。

そして、俺は予定通り大学に進学する。


「先輩、行ちゃうんですね。簡単に会えなくなります。私は就職するので、もう会えませんね」


 彼女は寂しそうに、肩を落としている。

ここまで長い付き合いになった女友達は誰もいない。

何か困ったことがあれば、相談するように話す。


「いつでも連絡します! 夜中でも早朝でも。絶対に出てくださいね」


 さすがに深夜と早朝はやめるように伝える。

そして俺は彼女に一つだけ伝えた。


 君が二十歳になるの誕生日、一緒に釣りをした防波堤で会おう、と。


「なんですかそれ。でも、面白いですね。大人になった私を見せてあげます」


 彼女は俺を見送るとき、見えなくなるまでずっと手を振っていた。


 ◆ ◆ ◆


 大学生は思ったよりも時間が取れる。

単位さえとっていれば、空き時間が多い。


 あっという間に三年経過し、夏休みがやってきた。

八月二十日、彼女の誕生日だ。


 この三年間、一度も彼女に会っていない。

何回か電話やメールで連絡をしたが、ただそれだけの関係だった。

彼女は彼氏と別れ、結局フリーになってしまっているとか。

就職したけど、なかなか忙しくて遊ぶ暇もないとか。


 俺はあえて約束の事は話さず、防波堤を目指すことにする。

俺はきっと後輩の事がずっと好きだった。

初めて話をした時から、今この瞬間も。


 だからその想いを壊さなければならない。

離れてわかった。これは自分にかけてしまった呪いだと。

俺はこの先、この呪いをかけたまま生きていくことはできない。


 だから、自分の手で呪いを解かなければ。

俺は荷物をまとめ、日が落ちたことを確認し出発する。


 住んでいるアパートの隣の棟に先輩が住んでいる。

出発前に一言声をかけていこう。


「どこ行くんだ? そんな恰好で」


 地元に歩きで帰ることを伝えた。


「バカだろ、何キロあるんだ?」


 二百キロ弱だと伝え、ルートも軽く教えた。


「なんで歩きなんだ? 自転車とか電車は?」


 自分の力だけで行かなければならないと先輩に伝えた。


「そっか。そういうの結構好きだぜ。これ、持ってけよ」


 大き目の麦わら帽子。これは先輩の宝物だったはず。


「じいちゃんの遺品だっけど、ものは確か。絶対に返せよ、なくすなよ」


 笑顔で見送ってくれた。後は、自分の力を信じるだけ。


 俺は歩いた。夏の暑い時期に、ひたすら歩く。

途中じーちゃんがおにぎりをくれたり、納屋を貸してくれたり、色々な人に出会った。

蚊にもさされ、なかなか寝付けない夜も過ごした。


 山道はつらかった。コンビニすらないし、自販機もない。

足が痛い、のどが痛い、疲れが全く取れない。


 俺を指さし笑うやつがいる。

 俺を変な目で見るやつがいる。


 それでも、俺は自分の力を試したかった。

意味のあることではないのかもしれない。多分、タダの自己満足だ。

でも、自分力で乗り切らなければならない。


 意識もうろうとする中、潮のにおいがしてきた。

海が近い。だが、ここからさらに歩かなければ約束の防波堤に行くことはできない。


 あと一日、時間がない。

俺は休むことなく少しでも先に進むために歩みを止めなかった。


 彼女と約束をした八月二十日。

時間は午後六時を回っている。あと少しでつく。

だが、足が限界だ。一歩も前に進めない。


 ほんの数分休もう。そうしたら、走ろう。そうすればきっと間に合う。

もっと早く出発すればよかった。完全に見誤ってしまった。

でも、後には引けない、行くしかないんだ。


 俺は歩みを止め、目を閉じる。

少しだけ、休もう……。


 ほんの少し意識が飛んでいたらしい。

目を覚まし、時計を見る。失敗だ。予定よりもずっと休んでしまっていた。


 俺は必要最低限の荷物を持ち、荷物のほとんどを自販機の裏に隠した。

段ボールにも入れたし、草もかぶせた。後で取りに来る。

力の入らなくなった足に、無理やり力を入れ走り出す。


 暗くなり、ほとんど周りが見えない。

波の音を聞きながら、ひたすらに走る。

もうすぐ日が変わってしまう。そもそも、彼女は来ているはずがない。

何も連絡していないし、きっと約束も忘れている。


 今日は彼女の誕生日だ。

きっと家族とか友達とかと一緒に過ごしている。


 俺は何で走っている? 何を期待している? ただの自己満足だろ?

ただ、自分に納得したいだけだろ?

自分の為に彼女を利用しているだけだろ?


 そうかもしれない。でも、自分の気持ちにけじめをつけることができるのは、自分しかいない!

たとえ誰もいなくても、彼女がそこにいなくても、けじめをつける。


 そうして、俺は先に進む。

誰の為でもなく、自分の為に。


 あと数分、今日が終わる。

見えてきた、約束の防波堤。俺が彼女と一緒に初めて釣りをしたところ。


『先輩! 釣りに連れていってくださいよ!』 


 今でも彼女の顔を思い出す。

今でも彼女の笑顔を思い出す。

今でも彼女の泣きそうな顔を思い出す。


 今でも彼女の事を俺は──


 約束の防波堤についた。

やっと着いた、長かった、足が痛い。

もう、一歩も歩けない。


 思った通り誰もいない。

ぽつんと街灯が一個光っているだけだ。


 当たり前だよな。いるはずがない。

いたら逆に怖いってもんだ。








「先輩、遅いですよ。誕生日あと五分ですよ?」


 耳を疑う。なんで、ここに? まさか、本当に約束を……。


「疲れた顔してますね? お久しぶりです。先輩? えっと、声出ますか?」


 声が、出ない。動けない。頭が回らない。


「先輩、まさか歩いてきたとか言いませんよね?」


 無言で俺はうなづく。


「バカなんですか?」


 出発前に先輩にも言われた。多分俺は大馬鹿だ。


「どうですか? 私、女っぽくなりました?」


 すらっとした姿に、整った顔立ち。

すっかりと大人になってしまった後輩。


「なに見惚れているんですか? そろそろ何か言ってくださいよ」


 俺は息を大きく吸い込み、深く深呼吸する。


「ずっと好きだった」


 初めて言った。これで、俺の想いは伝えることができ、旅はここで終わる。

 彼女は頬に涙を流しながら俺を抱きしめる。


「やっと言ってくれましたね。ずっと待っていました。こんなわがままで、扱いにくい私でもいいんですか?」


 俺はこくりと頭を下げる。


「先輩に初めてをあげられなくても、こんな自分勝手な私でも本当にいいんですか?」


 俺は彼女の涙を指で拭い、頬に手を添える。

そして、自分の唇で彼女の唇をふさいだ。


「先輩……。私の事絶対に幸せにしてくださいよ! 約束ですからね」


 彼女を抱きしめ、俺は自分の呪いを打ち破る。

この手を二度と離さない。今も昔も、これからも俺は彼女を守っていきたい。


 潮のにおいが俺たちを包み、波の音が俺たちを祝福してくれた。


「先輩、夜釣りって楽しいですかね?」


 笑顔の彼女と肩を並べ、一本の竿を彼女と握る。

重なる手はとても穏やかで、彼女の温もりを感じた。

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