神殺しの獣

Key-No.92

第1章  王都を目指して

第零話 叶うはただ一人




 果てしなく広がる、光に満ちた純白の空間――

 眩しさを感じない不思議な場所に、黒髪の少年はいた。

 目の前には、威圧感のある仰々しい椅子が一つある。

 そこに鎮座している〝何か〟が、清らかな声をつむいだ。


「ここまで話を聞き、何か疑問はありますか?」

「えっ……? いや、あの……」


 言葉を〝何か〟とにごしたのには、理由があった。

 この世のものとは思えない美貌を持ち、その体付きは目を奪うほどの魅力に満ち溢れていた。見た目は女性に属する。

 ただ、安易に性別は断定できない。


 なぜなら〝何か〟は、大きな純白の翼を左右の背に六つも携えているからだ。確実に人と呼ばれる類の存在ではない。

 たっぷりと間をおき、乾いた喉につばをごくりと押し込む。

 海のような青い瞳に見据えられ、冷や汗が止まらない。

 何か一つ言葉を違えれば、命を失う危険性を感じ取る。


「その……あまりにも疑問が、たくさんありまして……」


 混乱と緊張も相まって、歯切れの悪い言葉を並べた。

 小さく深呼吸してから、勇気を出していてみる。


「あなたは、その……天使……様? ですか……?」


 鎮座する〝何か〟は、右手をひらりと虚空に漂わせた。


「あなたが想像した通りの存在ですね」


 また、ごくりと喉から音が鳴る。

 まるで理解はできないものの、かろうじて納得はできた。


「えっと……つまり、なぜか選ばれた僕が別の世界へ行き、そこにいる邪悪な神様を殺し――討つ。そうすれば、願いを一つ叶えてくれる……合っていますか?」

「不可能な願い以外は叶えます。引き受けてくれますね?」


 やや戸惑いながら、不可解な疑問をていした。


「えっ、あの……質問があります。それは、僕がやる必要があるんでしょうか……? 僕なんかよりも、天使様が直々にやられたほうが、早いのでは……?」


「はい。おっしゃる通り、それが一番の近道です。が、直接――いいえ。不可能な水準で、細工が施されているのです」

 天使はそっと、小さなため息を漏らした。

「あなたに多少の力を付与し、送り出す――私が介入できる唯一の道でした。小さなほころびを突くようなものなのですが、こういう方法を取らざるを得ないのです」


 天使の回答に納得してしまい、返す言葉が見つからない。

 わざわざ、こんな回りくどい方法を試みているのだ。別の世界の住人を選んだことにも、何か意味があるに違いない。

 いまだ納得が難しい部分を、代わりに問うことにした。


「しかし、だからといって……どうして、僕なんですか?」

 不安を抱える胸に手を置き、シャツをそっと握り締める。

「僕なんか……特別、何かに秀でてるってわけではないです……僕なんかより、もっとふさわしい人が、ほかにたくさんいると思うんですが……?」


「それはあなたが、自身を過小評価しているに過ぎません。人には無限の可能性が広がっています。ですが、まあ……」

 天使は妙な間を作った。

「あなただけ、というわけではありません。私とはまた別の存在が選んだ者達ですが、あなたのほか、九名がその世界へ送り出されます」


 ほかにもいると知ったからか、少し安心感が芽生えた。

 自分以外にもいるのであれば、きっと協力し合える。

 返す言葉を選んでいる、その途中でのことだった。


「別の使者と邂逅かいこうした場合、遠慮なく殺しても構いません」


 あまりに突拍子もない発言に、一瞬だけ思考が止まる。

 理解が大きく遅れてやってきた。


「えぇっ? 何を……いや、人を殺すのは悪いことで……」

「使者達の中には、殺しをいとわない者もいるでしょう」

(えぇ……なんで、どうして……そんな……?)


 頭の中が、混乱で埋め尽くされる。

 天使は落ち着いた口調で、言葉を繰り出した。


「願いを叶えるのは、使命を果たした者のみなのですから」


 つまりこれは、ある種の競争だと解釈した。

 確かに数が減れば、願いを叶える確率は高くなる。

 ただ一人で邪悪な神を討てるのかは、疑問でしかない。


「待ってください……たった一人では、さすがに……」

「言っておきますが、ほかの九名達は、あなたと同じ世界の住人とは限りません――いいえ。まったく別世界の者です」

「宇宙人って、そんなあちこちいっぱいいるんですかっ?」


 ぎょっとしたせいか、危うく声が裏返りかけた。

 宇宙人の存在など、いるだろう程度の認識でしかない。

 目の前の天使を見れば、疑う余地などどこにもなかった。


「いずれにしても、気をつけるに越したことはありません」


 天使は見惚れるほど、ゆったりとうなずいた。


「話を戻しますが、あなたを選んだのには理由があります」

「な……それは、いったいなんでしょうか?」

「ぼんやりとした光に誘われ、私の目にまった。ですね」

「……え?」


 つい、間の抜けた声が漏れた。

 何一つとして、理解まで及べない。

 天使の言葉を脳内で繰り返し、やっと意味を呑み込めた。


「そ……んなの……ただの〝事故〟じゃないですか!」


 はち切れんばかりの美貌びぼうで、天使は頬を緩ませた。


「ふふっ。あなたは、ここへ来る際の記憶はありますか?」

「えっと、確か……突然曇り、運悪く雷に打たれました」

「引き受けてくださらないのであれば、ただの〝事故死〟になってしまいますね」


 ふと、ある一つの予感を覚える。


「まさか、あの雷って……」


 雷に打たれた瞬間、おぞましいほどの激痛に襲われた。

 正直、今も生きているのか、少しばかり疑わしい。


「こ……こんなの、あまりにも酷過ぎませんか!」


 力強く訴えているさなか、目もとにじわりと涙を溜める。

 天使は気にした様子もなく、裏向きに指を二本立てた。


「選択肢は二つ。私の願いを聞き入れるか。またはそのまま〝事故死〟となるか」


 体がびくつき、ほんのわずかに仰け反った。


「そ、そんなの、僕に選択権なんかないじゃないですか!」

「さあ、どちらを選びますか?」

「僕にも生活があります! 家族や友人だって心配します」

「さあ、どちらを選びますか?」

「やっと高校生活が始まり、これからってときなんです!」

「さあ、どちらを選びますか?」


 ただひたすら、同じ言葉が繰り返されている。

 こちら側の事情など、聞く気はいっさいないようだ。


「や、やります! だって、やらなきゃ……僕はそのまま、無残に死んでしまうしか、道はないじゃないですか……」

「ああ。安心しました。こころよく引き受けてくださるのですね」


 怖いぐらい綺麗な顔で、天使はにっこりと微笑んだ。

 つい頬が引きつりそうになるが、必死に耐え忍ぶ。

 涙を雑に拭い捨て、天使をまっすぐ見据えた。


「では、時間もありませんので、簡潔に説明しますね」

「あ、あの……その前に、ちょっといいでしょうか?」

「はい」

「もし使命を果たせなかったら、僕はどうなるんですか?」


 天使はまた、ゆるりとうなずいた。


「願いを叶えられるのは、ただ一人のみです」

「えっ? ま、まさか、もとの世界に帰ることそれ自体が、願いの一つとして、処理されてしまう……んでしょうか?」

「あなたの予想した通りです」


 唖然となり、ぽかんと口が開いているのを自覚した。


「それじゃあ、もし使命を果たせなかった場合……僕はその世界にとり残されるってことですか? それどころか、命を奪われるなんてことはないですよね?」

「さあ――どうでしょうか?」


 なぜか言葉をにごした天使を、ただじっと凝視する。

 嫌な汗が、全身から噴き出した。


(ありえない。こんなの、本当にありえない……)


「冗談はさておき」

「じょ、冗談……っ?」

「使命を果たせずとも殺しはしませんが、願いを叶えるのは〝一つ〟のみです――例外はありません。使命を果たせば、あなた〝一人〟が帰る願いを叶えましょう」


 もとの世界へ戻るためには、使命を果たすしかない。

 どんな世界なのかはわからないが、戻ってこられないのであれば、それは死んでいるのとさして変わらない気がした。

 家族や友人達の顔が、次々と脳裏に浮かんでは消える。


「……必ず使命を果たし、僕は……もとの世界に帰ります」

「それでは、新たな世界についての知識と力を――」


 天使は何かを思い出したのか、言葉をぶつりと止めた。


「その前に一つ、言っておきたいことがありました」

「はい。なんでしょうか?」

「あなたは私が選んだ、天の使者――使徒となって、異なる世界へと送り込まれます。それは、理解されていますね?」


 あまりにもいまさらな発言に、小首をかしげるほかない。

 不可解に思いつつ、まずはこくりとうなずいて応えた。


「え? あ、はい……もちろんです」

「だからといって、人を――世界を救う必要はありません」

「……へ?」

「あなたの使命は、邪悪な神を討つ。ただ、それだけです」


 天使の言葉が、上手く呑み込めない。

 邪悪な神と聞き、最初に想像したのは――世界、あるいは星々を危険にさらすような、そんな危険極まる存在だった。

 だからその前に、討たなければならないと解釈している。


 世界を救う必要がないのであれば、いったいなんのために邪悪な神を討つ必要があるのか、わからなくなってしまう。

 疑問を述べようとしたとき、天使は穏やかな声をつむいだ。


「それはいずれ、理解する日が来るでしょう」

「え……? いや、あの……あ、はい……」

「それでは、さっそく始めましょうか」


 とてもざっくりとした説明を受ける中で――

 ただただ大きな不安だけが、緒方おがた咲弥さくやの胸を訪れた。



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