幕間 アンバー・モーリス

 アンバーは他の家族と違って、あまり戦闘に興味を持たなかった。


 そのことを両親は特に咎めることもなかった。

 歴代の辺境伯には内政に特化した人物もいたので、そういう子がひとりくらいいてもいいと考えたのだろう。


「あたしに勝てないようじゃ、魔境じゃ戦えないわよ」

「はぁ……はぁ……」


 まだ10歳のラークが、ふたつ年上の姉を前に膝をつき、息を切らせている。


 アンバーは忙しい家族に代わって、ラークの訓練によく付き合っていた。

 戦闘に興味はない彼女だが、才能がないわけではない。

 護身術にと武術の手ほどきをうけていたアンバーは、それなりの強さを誇っていた。


「まだまだー!」


 立ち上がったラークが飛びかかってくる。


「ふふっ」


 健気な弟の姿に、アンバーは思わず笑みを浮かべる。

 彼女にとってラークは、不器用でかわいい弟だった。



 15歳で【白魔道士】のジョブを授かったアンバーは、その時点ですでに父の補佐として事務作業に携わっていた。


「父さん、あたし文官になるわ」

「ええっ!? 待ってよアンバーちゃん! できればあなたには母さんの手伝いをしてほしいのだけど……」

「かまわん、好きにしろ」

「んもう……!」


 回復役の増員を望む母は翻意を促したが、父フィリップは、娘の望みを優先した。



 文官として本格的に働くようになったアンバーは、家を空けることが多くなった。


「あれは……ラークと、キース兄さんかしら?」


 数日ぶりに帰宅すると、次兄がラークの訓練をしているのを見かけた。体術が得意な彼を鍛えるのに、【武闘僧】のキースは適任だろう。


 ラークが比較的に体術に秀でていると見抜いたのは、アンバーだった。


「ふふっ……さすがにもう、勝てないわね」


 キースの手ほどきを受けるラークの動きを見て、アンバーは少しだけ寂しげに呟いた。



 18歳になったラークが【青魔道士】のジョブを授かった。

 稀少かつ特殊で、鍛えるのが難しいジョブである。


 ラークが父や兄に憧れ、ともに戦いたがっているのは知っていた。

 だが、残念ながら戦闘には向かないジョブだった。


 少なくとも防衛軍にはひとりもいなかった。

 冒険者であっても早々にリタイアすることが多いと言われていた。


 魔物の攻撃を受けることが前提となる〈ラーニング〉というスキルの特性上、死亡者も多い。


 ラークには申し訳ないが、文官になってもらうのがいいだろう。

 そう考え、彼女は弟を説得しようとした。


 だがある日、弟は家を出てしまった。


「父さん、どういうことよ!?」


 報せを受けて帰宅したアンバーは、父を問い詰めた。


「本当よ! あなた、いくらなんでも勝手すぎるわよ!!」


 魔境にいるはずの母も、なぜかフィリップを詰問していた。

 夫がなにかたくらんでいると妻の勘が働いたようで、いそいで引き返したようだった。


「ラークが望んだことだ」


 静かに答えたフィリップだったが、額には汗が滲んでいた。


「ひどいじゃないですか、私たちに何の相談もなく……」

「相談すれば反対しただろう?」

「当たり前ですっ!」

「当たり前よ!」

「うっ……」


 たとえドラゴンを前にしても眉ひとつ動かさない男が、わずかに顔をひきつらせていた。


「と、とにかくだ。ラークが決めたことだ。私はラークを応援すると決めていたし、そう伝えてもいた。だから、やりたいようにやらせてやってくれ」


 詰め寄る母と娘を相手に、辺境伯はなんとか威厳を保ちつつそう言い切った。


「はぁ……あなたも一度言い出せば聞きませんからねぇ……」

「そういうとこ、ほんと父子よねぇ……」


 フィリップの態度に、母娘そろってため息をつく。


「ところであなた、護衛にはだれをつけたのです?」

「護衛? 冒険者にそんなものは不要だろう」

「はぁ!? なに言ってんのよ父さん! あの子は【青魔道士】なのよ? ひとりで活動なんて危険すぎるわよ!!」

「だから迷宮都市を勧めておいた。あそこならすぐに仲間も見つかるだろう」

「すぐに見つかるとは限らないでしょう!?」

「こうしちゃいられないわ……母さん、あたし……!」

「そうね、最低限の引き継ぎはしておいてちょうだい」

「ええ、わかったわ」

「お、おい、待て、なにを言っている?」

「なにって、ラークを追いかけるに決まってるじゃない」

「いや、アンバーに抜けられると政務が……」

「そこはあなたが頑張るしかないわね」

「そんな……」


 それからアンバーは数日で引き継ぎを終え、家を出ることになった。


「父さんは?」

「お仕事よ。魔境で暴れたくて仕方ないみたいだけど、当分はお預けね」

「ま、しょうがないわよね」


 ふたりそろって肩をすくめたところで、アンバーは待たせていた馬車に乗り込む。


「あ、そうそう。あの子に伝えてちょうだい」

「なにを?」

「ソロは白銀票冒険者シルバータグになってからって」

「うん、わかった。それまであたしがしっかりサポートするわ」

「もし仲間がいたらどうするの?」

「お金や物のやりくりなんかを手伝ってあげるわよ。そういうの、得意だから」

「そうね、頼りにしてるわ」


 特別に手配した馬車のおかげで、アンバーはラークに先んじて迷宮都市へ到着できた。



 再会したラークは運良くメンバーを見つけていた。

 そこでアンバーは、パーティーの運営をサポートした。


 まず彼女は、持参した資金で早めに装備を調えさせた。

 その後も活動状況に適した拠点や物資の調達、資金のやりくりなどを彼女が手伝ったおかげで、パーティーの出世には目を瞠るものがあった。


 ただ、【青魔道士】というジョブのせいで少しずつラークが取り残されていく姿を見るのは、少しつらかった。


 それでも彼は自分にできることをし、それを評価できるメンバーに巡り会えたことは、本当に幸運なことだと思った。



 そんなある日、魔王の代替わりと辺境行きが通達され、ラークは『幸運の一撃』の未来を思ってパーティーを抜けた。


「よかったの? あと少し頑張れば、あなたも白銀票冒険者シルバータグになれたと思うけど?」


 メンバーを見送って寂しそうにしている弟に、アンバーは問いかけた。

 あとひとつランクを上げれば、ラークも一緒に辺境へと向かえたのだ。

 そして『幸運の一撃』のメンバーは、むしろそれを望んでいた。


「父さんと約束したんだ。聖銀票冒険者ミスリルタグになったら帰るって」


 だがラークは、父との約束を違えるつもりはないようだった。


「あと3つもランクアップしなきゃだめじゃない。そもそも聖銀票冒険者ミスリルタグになれるのなんて、ほんの一握りの冒険者だけでしょう?」

「でも、約束したから」


 決意は、揺るぎそうになかった。


「まったく、頑固なんだから」


 そういうところは、父に似ていると思った。



 それからアンバーは、自身が冒険者となってラークを支えることにした。


 戦うことはあまり好きではない。

 だが、弟の力になれると思えば、どうということもなかった。


 周辺の探索に慣れたラークのおかげで、活動は順調だった。



 そんなある日のこと、『神殿』での探索中、アクシデントに見舞われ、死にかけた。


『しばらくは『草原』で姉さんの経験を積もう。ちょっと焦りすぎたんだよ』


 少しの言い合いのあと、弟はそう言って部屋を出て行った。


「ふぅ……まったく」


 退室する弟を見送ったアンバーは仰向けになり、額に腕を置くと、大きなため息をついた。


「弟の望みひとつ叶えられないなんて……」


 ぼそりとそう呟くと、彼女は口の端をあげる。


「あたしがそんな情けない姉だと思ったら大間違いよ」


○●○●


 2日も休めば普通に出歩けるようになった。


 怪我は完全に治っており、あとは生命力の回復をまつだけだ。

 さすがに活動できるほどではないが、日常生活には問題ない。


 夜、アンバーは少し高級なレストランの個室にいた。


 活動時の白いローブではなく、簡素なドレスに身を包んでいる。


「やぁ、待たせたね」


 そこへ、エドモンが現れた。


 彼も活動時とは異なり、少し小綺麗な格好をしている。


「気にしないで、時間通りよ」


 エドモンが向かいに座ると、ワインが運ばれてきた。


「それじゃ、このあいだのお礼に」


 アンバーはそう言って手にしたワイングラスを掲げる。


「あまり気を遣ってほしくはないんだけどね」


 苦笑しつつ、エドモンもグラスを手に取る。


 先日『神殿』で救われたお礼にと、アンバーが設けた席だった。

 エドモンは何度も固持したのだが、アンバーとふたりきりなら、という条件で最後は彼が折れた。

 アンバーにとっても、そのほうが都合がよかった。


 しばらくは食事をしつつ世間話に花を咲かせた。


「ふふっ……アンバーさんは話が上手だね。こうも打ち解けられるとは思わなかったよ」

「あたしもエドモンくんと話すのは、楽しいわよ」


 アンバーは文官として客人をもてなすことも多く、こうした会食が得意なのだ。


「ほんと、エドモンくんが近くにいてくれて助かったわ。本当にありがとうね。あなたは命の恩人よ」

「何度も言うけど、礼には及ばないよ。偶然通りかかっただけだからね」

「偶然、ね。本当に?」


 エドモンを見つめるアンバーの瞳が、妖しく光る。


「……どういう意味かな?」


 彼女の視線を受け、エドモンの顔から笑みが消える。


「よく考えればおかしいのよ。『神殿』はともかく、なぜ鋼鉄票冒険者スティールタグのあなたが『草原』にいたのか」


 アンバーが最初に助けられた『草原』は初心者向けのダンジョンであり、『最初の草原』といわれるような場所だ。

 なぜそんなところに、ベテランとも言える4級冒険者のエドモンがいたのか。


「もしかして、なにか理由があってあたしたちをつけていたんじゃないかしら?」


 その言葉にエドモンが小さく息を呑んだのを、アンバーは見逃さなかった。


 妖しげな笑みを浮かべるアンバーを見つめていたエドモンが、ふっと身体を弛緩させ、ため息をついた。


「……どうやらお開きにしたほうがよさそうだね」


 彼は小さく首を横に振りながら、苦笑を漏らす。


「ごちそうさま。今夜は楽しかったよ、少し前までは、だけど」

「いいの?」


 立ち上がったエドモンに、アンバーが問いかける。


「なにがだい?」

「バラすわよ」


 アンバーはそう告げて立ち上がり、エドモンに歩み寄る。


「……なにを知っている?」

「なにを知ってるのかしらね?」


 アンバーは笑みを浮かべたまま、エドモンに寄り添う。


「あたしに隠し事なんて、できると思わないほうがいいわよ」

「……すべてお見通し、というわけか」


 諦めたように彼はそう言い、ため息をついた。


「それで、なにが望みなんだい?」

「お願いをひとつ、聞いて欲しいのよ」

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