第1話 赤魔道士エドモン

 レッサーワイバーンによる尾の攻撃を受け、腹に大穴を開けたラークが、ドサリと仰向けに倒れた。


「ギュァォォオオッ!!」


 そこへ、レッサーワイバーンが襲いかかってくる。


「ねえ、さ……に、げ……」

「だめっ!」


 防御も回復も間に合わないと判断したのか、アンバーは弟に覆い被さった。


 無防備な彼女の背中に、レッサーワイバーンのかぎつめが迫る。


「くっ……!」


 もしかすると死ぬかもしれない。

 アンバーがそう思ったときだった。


 ――ガギィンッ!


 硬質なもの同士がぶつかり合うような音が、あたりに響く。


「えっ……?」


 アンバーが顔を上げると、レッサーワイバーンの前にひとりの冒険者が立ちはだかっていた。


 深紅のマントに身を包み、同じ色の羽根帽子を被った青年が、長剣を片手に魔物と向き合っている。

 つばの大きな帽子の陰から、オーシャンブルーの頭髪が見えた。


「エドモンくん……?」


 それは同じ町を拠点に活動する冒険者、【赤魔道士】のエドモンだった。


「なにをしてるんだ! 早く回復を!!」

「えっ? ああっ、はい……!」


 エドモンの声で我に返ったアンバーは、ラークの傷に杖をかざす。


「すぐに回復するからねっ」


 杖が淡い光を放ち、流血が止まる。


 そしてじわじわと傷が塞がると同時に、少しずつ火傷も治っていく。


「大丈夫? 痛くない?」


 自身の回復魔法だけでは足りないと判断したのか、アンバーはポーチから霊薬ポーションを取り出し、傷口に振りかけた。

 すると、傷の塞がる速度がかなりあがった。


「あ……が……」


 アンバーの問いかけに、ラークは表情を変えずにただうめき声を漏らす。

 そんな彼の反応に首を傾げたアンバーだったが、なにかに気づいたように顔を上げた。


「そっか。レッサーワイバーンの尻尾には、麻痺毒があったわね」


 微かにだが、ラークが頷いたように見えた。


「それじゃあ麻痺のほうも治しちゃうわね」

「あっ……あがぁ……」


 アンバーの言葉にラークはなにかを訴えようとしたが、彼女はそれに気づかず、新たな魔法をかけてしまう。


「があああぁぁぁっ!!!!」


 ラークが、絶叫をあげた。


「ああっ、ごめん! 傷が回復しきるまで、待つべきだった……!」


 回復魔法による傷の治療は、痛みを伴う。


 ラークの腹に開いた穴は、おそらく内臓まで届いていただろう。

 それだけの大けがを回復するとなると、相当な激痛になるはずだ。


 麻痺毒によって痛みはなくなっていたのだが、残念ながら傷が治りきる前に解毒してしまったため、ラークは激痛に襲われたのだった。


「ごめんなさい、痛かったわよね?」


 謝る姉の肩に、身体を起こしたラークは優しく手を置く。


「おかげで目は覚めた、かな」

「ラーク……」


 ラークの言葉に、アンバーはほっと胸を撫で下ろした。


 そもそも麻痺毒がなければ激痛を伴ってでも回復はしていたのだ。アンバーを恨む筋合いはない。


「どうやらもう大丈夫そうだね」


 背後の気配を感じ取ったのか、エドモンは敵を牽制しながら声をかける。


「ありがとう、エドモンくん」

「ほんと、助かったよ」

「それはなにより。じゃあ最後の始末は自分でつけるかい?」


 エドモンがそう言って、ちらりとうしろを振り向く。


「ああ、たのむ」

「ふふっ、じゃあ……それっ!」


 ラークの返事に小さく微笑んだエドモンは、最後に大振りの一撃を放つ。


「ギュォッ……!」


 少し不格好でわざとらしい一撃であるが、その威力を警戒したのか、レッサーワイバーンは大きく羽ばたいて距離をとった。

 それと同時に、エドモンは横に跳んだ。


「悪いけど、もう生かしておく意味はないからね」


 上空へ逃げた敵を見上げながら、ラークは大きく両腕を拡げた。


 レッサーワイバーンを前にして、彼は力がみなぎるのを感じていた。それはただ回復したからだけのことではない。

 以前よりも強くなっているという感覚が、確かにあった。


「じゃあなっ」


 かけ声とともに、鳥が羽ばたくような仕草で腕を閉じる。

 すると、風の刃が生み出された。


「ギャ――」


 高速で飛来する不可視の刃は、避ける間を与えず、レッサーワイバーンを真一文字に切り裂いた。


 首と胴が泣き別れた小型の飛竜は、そのままドサリと地面に落ちる。


 そしてほどなく光の粒子となって消え去った。


「ふぅー……」


 敵の消滅を確認したラークが、大きく息を吐く。

 その直後、彼の尻が強く叩かれた。


「うわっ! なに?」

「なに? じゃないわよ!」


 尻を叩いたのは、姉のアンバーだった。彼女が怒っていることは、ひと目見ればわかった。


「ほんと、無茶するんだから……。アンタになにかあったら、父さんたちになんて言えばいいのよ」

「あはは、ごめんごめん」

「ごめんじゃないわよ、ほんとに」

「っていうか姉さんだって無茶しないでよ」

「はぁ? 無茶ってなによ?」

「いや、あのとき逃げてって言ったよね? なのに俺を庇ってさ……」


 レッサーワイバーンの尾撃を受けたとき、ラークは麻痺毒が全身に巡るのを感じながら、なんとか自分の意志を訴えていた。

 だが姉はそれを無視して、弟に覆い被さったのだ。


「当たり前でしょうが! 弟を見捨てて逃げる姉がどこにいるっていうのよ!」

「でも姉さんになにかあったら、俺きっと父さんに殺されちゃうぜ?」

「そのときは観念なさい」

「そんなぁ……」

「ふふっ……」


 ラークとアンバーの些細な姉弟喧嘩を見ていたエドモンが、不意に笑みを漏らす。


「あっ……」

「むぅ……」


 彼の存在をすっかり忘れていたことに気づいたふたりは、恥ずかしそうに顔を逸らした。


「あの、エドモンくん! さっきは、その……ありがとう」


 アンバーはごまかすようにそう言いながらラークのもとを離れ、エドモンの前に立って礼を言った。


「なに、たまたま通りかかったところで困っている冒険者がいたんだ。助けるのは当たり前だろう?」


 嫌味でもなんでもなく、エドモンはさらりとそう言った。

 そんな彼を目にして、アンバーは微かに頬を染める。


「ただ、ラーク」


 少し表情を険しくしながら、エドモンがラークを見る。


「パーティーを辞めたばかりとはいえ、鋼鉄票冒険者スティールタグがレッサーワイバーンごときに後れをとるなんて、情けないじゃないか」

「あの、それは……」


 アンバーがなにかを言おうとしたが、エドモンは軽く手を挙げてそれを制して続ける。


「たとえ冒険者になって間もないアンバーさんがいたとしても、だ」

「ああ、うん……その、できれば[ヒートブレス]を〈ラーニング〉したくてさ」


 少し強い口調で詰められたラークは、恥ずかしそうに頭をかきながらそう答えた。


「それでわざと攻撃を受けようとして、失敗したって言うのかい?」

「恥ずかしながらそのとおりで……」

「遠距離攻撃用の〈青魔法〉なら、さっきレッサーワイバーンを倒したもので充分だとおもうけどね」

「いや、威力はさっきの[ウィンドスラッシュ]のほうが高いんだけど、[ヒートブレス]は攻撃範囲が広いんだよね」

「ふむ……まぁ、環境が変わったから、新たな手札が欲しいのはわかるけど……」


 あいかわらず険しい様子で言葉を続けようとするエドモンと情けなくうなだれるラークのあいだに、アンバーが割って入る。


「と、とにかくっ!」


 そして彼女はエドモンの前に立ち、彼の手を取った。


「ありがとう、エドモンくん。本当に助かったわ」

「む?」


 両手を包まれたエドモンは、少し驚いたように眉を上げたが、すぐに柔和な表情を浮かべた。


「さっきも言ったけど、ボクは当たり前のことをしただけだよ。アンバーさんが無事で、本当によかった」


 そして柔らかな口調でそう言って、アンバーに微笑みかけた。


「はぅ……」


 アンバーはうっとりとした表情を浮かべて小さく息を吐く。

 そのタイミングで彼女の身体から力が抜けると、彼はするりと手を抜いた。


「あっ……!」


 名残惜しげな表情を浮かべるアンバーをよそに、エドモンはすっと1歩さがった。


 そんな彼に追いすがろうとする姉を邪魔するかのように、ラークはふたりのあいだに立つ。


「エドモン、ありがとう! ほんと助かったよぉー」

「む……!」


 背後で口を膨らませているであろう姉を無視して、ラークはエドモンに向けて手を差し出した。


 一瞬その手を取ろうとしたかに見えたエドモンだったが、彼はサッと手を引いた。

 そしてごまかすように帽子へ手を置き、深く被り直して表情を隠すようにしながら、きびすを返す。


「言っただろう、礼には及ばないよ」


 彼はそう言い残して、颯爽とその場を去っていた。


 あとには、握手を無視されて手を出したままの、間抜けなラークが残された。

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