22話「裏切り」
雄一は震えたまま泣き続けていた。僕は彼の口走った言葉に打ち砕かれそうになるのを、必死に堪えていた。
“殺したなんて。そんな。雄一がそんなことするはずがない!”
「ね、ねえ…」
僕は彼の枕元に膝を下ろしたまま、ちょっと上げた腕も動かせずに居た。
「何かの間違いかもしれないよ…まさか、死んじゃうなんて…本当なの?確かめたの…?」
雄一は必死に首を振って、涙を拭い続ける。
「わからねえ…!どうなったのか、見てねえんだ…あいつらが浮き足立った隙に…逃げちまった…!」
僕たちは眠られないまま、夜を明かした。二人とも何も喋らず、僕は雄一がどうなってしまうのかが心配で、台所のラーメンは忘れ去られていた。
翌朝、雄一のスマートフォンが着信メロディを鳴らす。
ギクッと体を揺らしてスマートフォンに目を見張っていた雄一は、怯えながらも手を伸ばし、電話を取った。
それは、学校からの電話だった。
曰く、雄一は怪我を負わせた相手は、気を失っていただけで死んでなどいなかったけど、そのことは近くを警らしていた警察官に不良たちが知らせて、学校にも連絡が来たらしい。
それで雄一は、朝一番に職員室に呼ばれて、また二週間の停学処分となった。
停学となった二週間の間、僕と雄一はほとんど喋らなかった。
彼はいつも憂鬱そうに黙り込んでいて、自分のしてしまったことに打ちのめされ、卑怯にも闇討ちを仕掛けてきた相手を恨むように、目の前を睨んでいた。
彼は、ほとんど食事も摂らなかったし、家から出なかった。勤めていたバイト先にも何も言わないまま、閉じこもって落ち込んでいた。
「雄一、ごはん食べようよ…」
僕がそう声を掛けても、雄一は顔を上げてくれなかった。
「うるせえ…ほっとけ」
「だって…」
「ほっとけって言ってんだろ!なぐさめなんか要らねえよ!いつもいつもそうやって上から俺を見下ろしちゃあなんか言ってきやがって…うざってえんだよお前なんかに言われても!」
雄一は、傷ついていたんだと思う。深く傷ついて、もう何の余裕もなかったんだろう。
でも、もしかしたら彼の言葉は本音だったのかもしれない。
「…ごめん。でも…今はかまわないでくれよ…」
眠る前に抱き合う時、どうしても隙間が出来てしまうことが怖くて、僕は何度も彼を抱きしめ直した。
でも、雄一の名誉はすぐに回復した。
あの晩雄一を襲った生徒たちが、その後、別の暴行事件でついに逮捕されたのだ。
その時のやり口があまりに酷かったので、うちの学校の教師たちも、雄一の主張を信じる気になった。
学校側から雄一への謝罪はなかったみたいだけど、彼の立場が悪くなることはなかったし、その後、校内で行われた弁論大会で雄一が優秀な成績を修めると、彼はまたすぐに一目置かれるまでになった。
それからの雄一は、「勉強に集中したくて」なんて理由を付けては自分の家で過ごすようになり、そのうちに、僕の家には近寄らなくなった。
僕は苦しかった。さみしかった。
ある日の学校の昼休み、僕は、昼食を食べ終えて雄一が一息ついたのを見届け、立ち上がる。
僕が雄一の近くに立っても、もう教室のみんなはそんなのを気にしたりしなかった。彼は顔を上げたけど、すぐにうつむく。
「ねえ…最近家に来てくれないよね…どうして?」
困るとすぐに頭をかく彼。がしがしと爪を立てる音をさせて、横を向いている。
「別に。特に意味なんかねえよ」
「じゃあ…今夜…」
「今日はクラスの奴らとカラオケ行くの。また今度な」
「うん…」
雄一は近寄ってきた男子生徒たちと話し始めたから、僕は仕方なく、自分の席に戻った。
僕には、なんとなく分かっていた。
“僕の支えは、もう彼に必要ない。そればかりか、邪魔なんだ”
雄一は、僕が彼をいつも励ましていた、そんな僕たちの関係が、もう邪魔なんだろう。
“今の彼は周りから尊敬されていて、僕の助けなんかもう必要ないし、彼が僕を見ても、多分、自分を惨めに思っていた頃を思い出すだけなんだ”
久しぶりに家に雄一が来た時、僕は一日中、風邪で寝込んでいた。
学校で姿を見なかったからか、僕を心配して訪ねてきた雄一を迎えた時、僕はとても嬉しかった。
その日学校であったこと、ほかの生徒たちと話したことなんかを、雄一は嬉しそうに話していた。でも、僕はどこかさみしかった。
“どんどん君が遠くなっていく”
そう思った時、僕は自分の気持ちに気づいてしまった。
“ああ、僕も彼に、酷いことをしてる。雄一が僕になぐさめられるままに、この手の中に居続けることを、望んでるんだ…”
楽しげに話をしている雄一を見つめる僕は、もう心の底まで悲しみに満たされてしまっていた。
僕の望んだ二人だけの小部屋は、もう彼の中には存在しないんだろう。だから、今から僕がこんなことを言う必要もない。でも、言いたい。なぜだろう?
それも分からず、口からこぼれるまま、君の名前を呼んだ。
「雄一…」
「ん?なんだよ」
雄一は嬉しそうな顔のまま、布団に沈む僕を優しく見つめる。それがもうすぐにかき消えてしまうのを想像した。
“もう、やめよう”
彼を縛ることなんかしたくない。それが僕の本当の望みだとしても。
“一体、どっちが本物なんだろう?どうしていつもいつも、痛みばかりが本物なんだろう?”
「もう、帰って」
僕は、幼稚な約束で彼を縛ろうとする、卑怯な自分を見ていることに耐えられなかった。すぐに彼を僕から解放してあげなくちゃと思った。だからそう言った。
それなのに、僕はそのあとのことを、全部彼のせいにしたんだ。
雄一は混乱して「なんで?どうしてだよ?」と聞いた。
雄一は、自分が僕との関わりを疎ましく感じている理由に、気づいていないのかもしれないと思った。それで僕が少なからず傷ついていたことにも。
その時、僕は世界一意地悪になった。
初めは、優しく彼を突き放すだけのつもりだったのに。
「君にとって…僕はもう、邪魔なだけだ。あの頃を思い出させるから…それなら、もうお別れにしようよ…」
そう言うと、やっぱり雄一は図星を刺されたのか、顔を真っ赤にした。僕はまた傷ついた。
「そんなことねえよ…」
なんとかそう言う雄一の声が震えている。
「いいんだよ、それで。僕みたいな落ちこぼれに、君みたいな人がもうかまう必要なんかない…」
それは、彼の努力を思い切り皮肉った言葉だった。それに雄一は大きく傷ついたんだろう。
「稔…」
僕はそのままナイフを手放さなかった。今一度、彼を切り裂く。
もうそんなことでしか、君の心の奥へ行けない。それなら最後までやってやる。
「もう結果が出て、君は尊敬される人になった。そうしたら、僕が邪魔になった。「自分はもうなぐさめられる必要もない」なんてね…たとえ僕がそのために何を失っていたとしても、君はどうでもいいんだろ…」
雄一は言葉を失って、ショックを受けていた。僕がそんなことを言い出すなんて思わなかったんだろう。僕に気づかれているなんて知らなかったし、そのことで僕が傷ついていたことにも、思い至らなかった。
自分が悪口を口にしたから起こったことには違いないけど、今初めてわかったような顔をしている彼が、僕は初めて憎らしかった。
「帰ってよ。僕だって…もう君なんか嫌いだ…」
雄一は黙って立ち上がり、寝室のドアを開ける。
「帰るさ。でも、忘れんなよ。初めに裏切ったのはお前だ」
「いいや、君だよ」
ドアが閉まり、彼の足音が遠ざかっていった。
僕は一晩中、泣き続けた。
Continue.
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