嘘つきな僕ら
桐生甘太郎
1話「僕が地獄に落ちた日」
僕は、いわゆる「クラスで浮いている高校生男子」だ。もうその説明だけで全部見通せるし、ほかに何を言う必要もないと思う。
だから、僕に話しかけてくる人なんか居ないし、僕も周りとは喋りたくなかった。
どうせ、馬鹿にされるし、結局最後は独りになる。そんなの、小さい時から何度も経験してきたし、今更繰り返したくない。一生このままでも、傷つかないならそれでいい。
それが、長い長い「人生」というものを生き通すには、あまりにも甘い見通しだなんて、もちろん若い僕は知らなかった。
この高校生活で手にする、最高の傷と、最低の愛も。
僕はその日、「カラマーゾフの兄弟」を読んでいた。学校で。
もちろんクラスメイトは教室で騒いでいるし、普通なら読書どころじゃない騒音が僕の周りで群れ飛ぶ。僕はイヤホンをして、できるだけストーリーに沿った、何重奏ものバイオリンが流れるクラシックを聴いていた。
僕のクラスには、少し困った生徒が居る。
ページをめくり時計を見て、休み時間の確認をしておこうと思った僕は、顔を上げた。耳の中で、モーツァルトの交響曲25番が、今にも最後を迎えようとしてどんどんと押し迫り、僕の体は緊張していた。
その時目に入って来たのは、古月が教室の隅で、ボールペンをほかの男子生徒に突き刺すシーンだった。
僕は巻き起こっているシーンを信じることすらできず、直前に読んだ小説で、正義感に駆られて叫んでいた登場人物に乗っ取られたような気持ちになっていた。古月がボールペンから手を離した時、交響曲がばっさりと切り捨てられたように終わる。
体が震えていた。泣き叫ぶ声が聴こえる。次にイヤホンから流れてきたのは、レクイエムだった。
怒号のように響き渡るコーラスに、つんざくようなオーケストラが後押しし、どうしても僕は黙っていられなくなった。
“僕がもしアリョーシャ・カラマーゾフだったなら、絶対に見過ごさない!”
なぜそんな勇気が出たのかは、本当にその気持ちに流されたからとしか言えなかった。僕はひりつく喉をこじ開け、震えるおなかから大声を出した。
「…何をしてるんだ!!」
その時に言ったのは、それだけだ。僕にはなんの罪もないし、この僕の一言で何かが救われたわけでもない。
でも、古月はすぐに僕を振り返って、ずんずん近づいてきた。その時僕は、やっと自分が何をしたかわかったのだ。
“どうしよう!関わらないようにしてたのに!ああ!こっちに来る!どうしよう!”
どうしようどうしようと戸惑わずに、一目散に逃げれば、結果は違っていたかもしれない。
背の高い古月が僕の目の前まで来たとき、“あやまろうか”とも考えた。でも、僕は何も悪くない。
僕は怖かったし、それに古月が何をするかわからないから、彼の目から逃げなかった。
教室には、すでに流れていた血を気遣い、それから、反抗した僕を心配するようなざわめきが起きていた。古月の後ろに、ボールペンで刺された腕をかばってこちらを見つめる生徒の視線が見える。
すると、古月は突然に僕の机を思いっきり蹴り上げ、僕の机は吹っ飛んだ。
「わあっ!」
思わず僕は両腕で体を覆い、僕の机は一回転して、近くの机にぶつかって、教室全体から叫びが起こった。
僕は床に尻餅をついて腕をどけられないまま、なんとか必死に古月を見つめる。彼は金色に染めた長い髪をかき上げ、耳元のピアスがきらりと光った。
「文句あんなら、おめえが代わるか?ああ?」
僕は、“自分はこのクラスでなんの役割も果たしていない”と、常々感じていたんじゃないだろうか。
そして、“何かでみんなの役に立てればいいのに”と、やっぱり望む気持ちがあったんじゃないだろうか。
動機としては、そのくらいのものしか思いつかない。僕は、古月の言葉に、頷いたのだ。
「…いいよ」
僕がそう言った時、もう一度クラスじゅうからざわっと声が起きたけど、僕たちの間に立ち入ろうとする生徒は居なかった。
「へえ。じゃあ、明日からはお前だな」
僕はその時、もう古月を見ていなかった。机を元通りにしなければいけなかったし、次の数学の授業を始めるため、教師が教室に入って来たからだ。
“どうしよう。最後には、殺されちゃったりしたら…”
席に戻ったあとの古月の背中を、斜め後ろから窺い、その肩幅の広い、筋肉の張った両腕に切り裂かれる自分を、何度も想像した。
Continue.
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