第116話 陽向とトキとミチル(11)
蝉の声がユウナミの社に響きわたる。辺りに一瞬であるが空白の時間ができた。陽向が左手で優しくトキを撫でる。トキは咥えた腕を放そうとはしなかった。陽向の気持ちが伝わってくる。
「心配しなくても良いよ。私は大丈夫だよ」
その声を聞き、トキは絶対に行かせないと立ちはだかり、けして離れようとはしなかった。ミチルもまた同じである。
あのときと同じ笑顔で「大丈夫だよ」と言う。トキとミチルの時が止まった。同じ過ちをしてはいけない。陽向を行かせることは、絶対にさせてはならない。お互い誓い合ったことである。ユウナミに仕える自分たちがユウナミの意に背こうとしている。それは承知のこと。どのように裁きを受けようとも、どのような責めを受けようとも陽向を行かせることに比べれば耐えられるものであった。
トキとミチルが陽向を見つめる。その目は威嚇でもなければ、怒りでもない。「願い」の目である。霊獣が人に願っている。そう、陽向が人であるから願うのである。
ミチルが強く願う。
(人でありながら、神の鼓動と光を持つ御霊。人が人であるためには、けしてあってはならないこと。そのあってはならないことが、ユウナミ様の前で起こってしまった。人を見つめ続けてきたユウナミ様は、けして許しはしないでしょう。陽向という人の存在を。ならば、どうかこのまま静かにお下がりください。ユウナミ様のもとへは行ってはなりません)
トキが続けて願う。
(だから守りたいのだ。俺は陽向を信じたいのだ。あの光は、けして仇をなすものではないということを。陽向は人であるということを。人成らざるものではないことを。だから、いまはこのまま、戻るのだ。それが俺たちの願いだ)
陽向がトキとミチルに笑いかける。
「私は、人の御霊を迎えにきました。それはユウナミの神が預かった女の子の御霊。一人追いつめられて、大好きなお姉ちゃんに会いたくて。でも、それが叶わなくて。御霊になった女の子。その子の御霊は強く光を放ち、震えて待っている。一人で待っている。このまま眠りにつかせるわけにはいかない。だから、ここで帰ることはできないのです。いま私が帰れば、ユウナミの神はすぐにでも門を閉じてしまいます」
「陽向ちゃん」
実菜穂は陽向が突然言葉にしたことに驚いた。狛犬との間に何か伝え合ったものがあることは、理解できた。そのなかで出た言葉。「震えて待っている」その言葉が実菜穂の頭から胸へと駆けめぐっていく。
(みなものときも同じことを)
実菜穂が陽向に言葉を掛けようと口を開けるが、言葉が出てこなかった。何を言えばいいのか分からない。陽向に何があったのか。陽向のことを全く知らないことにいまさら気がついた。陽向は自分のことをいつも応援してくれた。陽向と出会えたから、神様について知ることができた。みなもを引き留めることができた。自分ばかりが助けられて、陽向のことを何一つ知らないでいた。
(そうだ、私はいつも陽向ちゃんに助けられていた。出会った日からみなもと同じように私を助けてくれた。笑顔にいつも元気をもらって、明かりのないどん底から私を助けてくれたのに。なのに私は何も陽向ちゃんの力になれていない。陽向ちゃんのこと知りもしない。震えて待っていたのは陽向ちゃんもだとしたら)
実菜穂の目が次第に滲んでいく。
実菜穂の気持ちを察した陽向が優しく声を掛ける。
「実菜穂ちゃん。余計なこと、ここでは考えちゃだめだから。大丈夫だよ。実菜穂ちゃんがいてくれて、私はすごく力をもらえているから。だから、ここにいるの」
実菜穂は陽向を抱きしめていた。訳が分からないが、陽向が腕の中で消えていくのではないかという思いだけが心に張り付いていた。
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