第114話 陽向とトキとミチル(9)

『トキ。私は覚悟を決めました。あの童子の無事をユウナミ様にお願いをしましょう。全ての責めは私が負います』

『ミチル。それは、私の役目だ。この子を置いては、お前も行けまい』 


 トキが本殿へ向かい歩んでいく。その後ろをミチルがついて行く。子供の狛犬も一緒だった。



「トキ、ミチル。その必要はありません」



 声が社に響きわたる。若く高い声でありながら、落ちつき、言葉に重みを感じる響き。人では表現することができないその響きの声に、トキとミチルはその場に止まり、腰を下ろした。ちょうど、犬の待ての状態だ。このユウナミの声は、もちろん人には聞こえない。ただ、社を駆けめぐる風となることで、人は神の意志を受け止める。


「御霊の事であれば、咎めはせぬ。おまえ達はよく勤めている。迷い御霊は人の性。おまえ達に責めはない。戻ると良い」


 トキとミチルはユウナミの言葉をジッと受け止める。社に風が吹き、あたりの人たちの頬を撫でていく。


 トキもミチルもその場を動くことはなかった。いや、動く事ができなかった。ユウナミは、それ以上言葉にしない。そのことが気がかりでしかたがなかった。お願いに伺ったのは、御霊のことではない。陽向のこと。だが、それを言葉に出すことを迷っていた。ユウナミは自分たちの主である。太古神であるユウナミ。その麗しい姿と強い力は多くの地上神、大海神が敬服するほどである。それだけの力を持つ神が、この場のことを見通しておきながら、肝心の陽向のことを言葉にしない。それは、トキとミチルにとって、恐ろしくもあり、頼もしくもあった。


『ミチルよ。ユウナミ様は、全てを知っておるのだろう。なぜ、あの童子のことを言葉にしないのだ』


 トキの顔が次第に鋭く雄々しくなる。鬣が紅い光を放ち逆立つと、尾には熱い炎を纏わせていく。神秘的でそれでいて力強い霊獣本来の姿。ユウナミを守る最後の砦となるトキとミチル。もっとも、ユウナミに危害を加えようとするものは、赤瑚売名と桃瑚売名によって全て葬られたため、今までその役目を果たしたことは無い。トキは、その砦としての姿を現した。ミチルもトキのその姿を見ることは、滅多になかった。トキが何を守ろうとしているのか、ミチルには分かっていた。ユウナミではない。今すぐにでも、社の外に飛び出そうとするトキの心が伝わる。駆けだしたころで、外に出られるわけではない。無理を承知でなど、到底、神を守る霊獣の行いではないのだが、それでも駆り立てられるものがトキにはあった。

  

『トキ。早まることはありません』

『どういうことだ』


 トキはミチルの言葉に、感情のこもった鋭い口調で返答をした。ミチルはジッとユウナミを見つめていた。

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