第72話 この子は!(4)
陽向の目の前には、さっきまで見えていた平和な街並みの風景は消え去っていた。見えるのは殺伐とした荒れた大地と邪鬼の集団だ。
人の眼では見えざる光景。これも、この世界に存在する世界。古来より存在した世界。では、人がいる世界は何か?そうなのだ。いつしか人は、人たる世界を作り出した。神と人の業のもとに。天上神が地に足を着けたそのときから。
邪鬼はそのときから世界を異にした。神の後始末のように。
(人が背負った業に溺れたときに見える世界。それがいま見えている)
陽向は、邪鬼の集団の奥をジッと見つめた。これほどの邪鬼がいながら、統制がとられている。束ねる者がいる。その奥にいる影を見つけた。
(この影が頭領か)
陽向の眼が一つの影を捉えた。影がゆっくりと邪鬼の集団からその姿を現した。
袖無しのTシャツに紺色のジョガーパンツ。どう見ても人の姿である。おまけに足下はスニーカー。
「さっきから僕を睨んでいるのはキミだよね」
少年は群の先頭に立つとうっすらと笑みを浮かべていた。陽向は少年から目を背けずにずっと睨んでいた。
「なるほど。こっちの世界をまともに見ても落ち着いているんだね。ただの人じゃないよねー。もっとも、ただの人ならさっき死んでたけどぉ」
「そういうこと。じゃあ、あなたがさっき幻影を見せたのね。私たちを殺すために」
陽向の言葉に少年は肩をすくめて笑う。
「あーあっ。さっきは惜しかったなあ。もう少しで人の御霊を三つ奪えたんだけどなあ。しかも、けっこう綺麗な御霊を。とーんだ邪魔が入るし。それに……キミも気づいていたんでしょ」
「もし、気づいていたとしたらどうなの」
「ちょっと、面倒くさいかなあ。先に二人片づけとけばよかったかなって思ったけど。まっ、いいか。先にやっとくよ」
少年は邪鬼の群に陽向を襲うよう手を挙げて指示を出した。見下した笑いをする。
群の中から二十ほどの邪鬼が陽向に襲いかかってきた。
「クッ!」
陽向は身構えて、守りに手を当てる。
(次こそは、剣を抜かねばいけないか。けど……)
陽向の心には迷いが渦巻いていた。抜くしかないと思いながらも、その手は固まったままである。ユウナミの神の足下ともいえるこの場所で剣を抜けばどうなるか。陽向のなかで抜く覚悟が揺らいだ。
迷う間にも邪鬼は襲いかかってくる。二、三の邪鬼は陽向に食いつこうとするが、素早い足捌きで蹴り飛ばされていった。鈍い感触のあと、邪鬼はゴム鞠のように跳ね転がっていく。
やり過ごしたのもつかの間、陽向の左足に痛みが走る。見るとジーンズの股の部分がスッパリと切られ血が垂れていた。邪鬼の爪が切り裂いたのだ。
(素早い。集団で襲われたらやられる)
陽向は覚悟を決めて再び守りに手を掛けようとしたその時、辺りがまるで黒い幕を下ろすように光が静まっていった。目の前の景色が変わっていく。
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