No.18【ショートショート】盾と矛
鉄生 裕
たてとほこ。
ある日、突然発生した未知のウイルスが人類を脅かした。
そのウイルスに感染した際の致死率は九割以上と
他のどのウイルスに比べても、その脅威は圧倒的だった。
それは、人類を脅かす“最強の矛”と呼ばれるようになった。
しかし、そのウイルスに対抗する唯一の薬が開発された。
ウイルスに感染するよりも前にその薬を飲んでおけば
もし仮に感染してしまったとしても、体の中で薬がウイルスを分解してくれる。
だが、一度その薬を飲んでしまうと、
ありとあらゆる薬が効かない体質になってしまう。
熱が出ても、解熱剤は効果を発揮しない。
癌になっても、抗癌剤は意味を成さない。
その薬は諸刃の剣ではあったが、
最強の矛と呼ばれたウイルスに唯一対抗できる、“最強の盾”と呼ばれた。
そして、人々は選択を迫られた。
ウイルスに感染した後に薬を飲んでも効果はない。
つまりは最強の矛を防ぐための盾を装備する代わりに、他の全てのウイルスに恐怖するか。
もしくは、自分は矛で攻撃されることは無いと信じ、盾を捨てた人生を送るか。
ニュースは連日ウイルスによる死者の数を報じ、十万・百万・二百万・五百万・一千万と死者の数は増加の一途をたどった。
そしていつしか、人々は死という言葉とあまりにも密接になり過ぎた。
あまりにも身近になり過ぎた死に対し、人々の感覚は麻痺していったのだ。
死に対する恐怖心があまりにも薄れてしまっていた。
それから百年以上が経ち、矛と盾の選択に疲弊した人々はふと思い立った。
そもそも、矛と盾の両方があるから、私たちはこんなにも恐怖しているのだ。
彼らの恐怖の対象は、“死”という結末ではなく、“矛”と“盾”という過程に向けられていた。
どちらが一方がなくなれば、こんなにも疲弊することはなく
残った一方を受け入れるしかないので恐怖も半減するだろう。
もちろん、矛を捨てることはできなかった。
そんな事が可能なら、最初からそうしている。
そして人類は、自らが作り上げた最強の盾を捨て、矛を受け入れることにした。
それからさらに数百年が経ち、既にそのころには最強の盾の存在を知っている者は一人としていなくなった。
さらにその数十年後、生まれながらにして最強の盾を持った子供が生まれた。
当然その子供は矛を防ぐことが可能だったが、その他の薬が全く効かないため
最強の矛以外のウイルスにはめっぽう弱かった。
しかし、最強の盾の存在を知らず矛を受け入れるしかなかった人類は
彼の誕生に歓喜した。
そしてその子供の血液から、人類はまたしても最強の盾を手に入れた。
けれど、結局は同じことだ。
人々はまたしても矛と盾の選択を迫られた。
しかし、今回は前回とは少し違った。
人々は矛の方を捨てたのだ。
一見不可能に思えた矛を捨てるという選択だが、たった一つだけ方法があった。
生まれたばかりの赤ん坊に、もれなく“最強の盾”を投与するのだ。
そんな事をすれば、他のどの薬も効果を成さない身体になってしまう。
でも、そうすれば最強の矛に悩まされることは一生無い。
生まれながらにして最強の盾を装備することを義務付けられた人間は、
いつしかそれが当たり前となり、最強の矛の存在自体を忘れていった。
これが人類にとって最善の選択だったのかは分からない。
だが、人々は自分たちが選んだその選択が最善だと信じ続けた。
それからまた数百年が経ち、またしても新種のウイルスが発見され人々を襲った。
だが、その頃には当然技術も進歩しており、人々は並行世界を行き来できるようになった。
ウイルスに感染した人は、別世界の自分の健康な身体を奪うことにした。
しかし、そんな事は当然許される行為ではなかった。
ウイルスと薬の存在をすっかり忘れてしまった人々は
その代わりに、もう一人の健全な身体という“最強の盾”と
ウイルスに感染した身体という“最強の矛”を巡り、並行世界間で幾度となく戦争を起こした。
そしてある日、人々は自分たちの哀れで無意味な選択に絶望した。
そうだ、考える頭があるからいけないのだ。感情があるから恐怖するのだ
思考さえ停止すれば、悩むことも怯えることもない。
そうして人々は自身の脳をいじることで、思考と感情を捨てた。
ただ生きるために食べ、生きるために食料を調達し、生きるために寝る。
今もなお、この世界に人間という生物は存在する。
しかし、そこに歴史と言うものは無かった。
No.18【ショートショート】盾と矛 鉄生 裕 @yu_tetuki
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