第3話 あなたたちは悔しくないんですか?

 そのあと、アシュアールは三人に宿屋の裏に連れていかれた。


「荷物がどんだけあるかわからんけど、ある程度の量なら徒歩はしんどいだろ。ましてやお前、おかあちゃんも来るんだろ」


 短髪の男がラジーズ、中間の男がハーヴィー、長髪の男がエスファンドだそうだ。身長順で行くと、一番高いのがラジーズ、次がエスファンド、一番低いのがハーヴィーだが、そのハーヴィーもあくまで三人の中ではの話でアシュアールよりは頭ひとつ分大きい。ちなみにみんな同い年で二十七歳だそうである。


 宿屋の裏には馬小屋があった。

 その馬小屋で待っていた生き物を見て、アシュアールは目を大きく見開いた。

 馬ぐらいの大きさの動物だった。しかし全身が赤い鱗で覆われている。胸の前に突き出した前脚、大地を踏み締める後ろ脚はたくましく、いずれも鋭い爪がついている。背中には大きな羽が生えている。そして、金色の瞳がぐりぐりと輝いている。

 竜だ。

 竜が、三頭いる。


「わあ……!」


 アシュアールは幼子のように声を上げて竜に歩み寄った。


「初めて見た!」


 竜たちはおとなしくて、アシュアールが近づいても特に何もしなかった。金の瞳でアシュアールを見つめているだけで声を発することもなかった。

 三頭の前で立ち止まり、ちらりと三人のほうを見る。三人は微笑んでアシュアールと三頭を見つめている。


「触ってもいいですか?」

「どうぞ」


 アシュアールは三頭のうち真ん中にいた竜に抱きついた。鱗は滑らかで温かかった。癒される。


「三人は竜使いだったんですね」

「そうとも言う。帝国では正式に竜騎士という位を貰ってる、こいつらに騎乗用の鞍乗せて戦場に出るからな」


 三人が竜に荷物を積載するための鞍をつけ始める。三頭ともおとなしくしている。そのうち、一頭の竜がハーヴィーに甘えるように頬を摺り寄せた。竜も物腰穏やかな男が好きなのだろうか。

 はみを咥えさせ、手綱を取り付けると、竜を馬小屋から出した。みんな素直に三人に引かれている。アシュアールはラジーズが連れた竜の首を撫でつつ「いい子だね」とささやいた。

 やっと自分も笑顔になれた。


「お前んち案内しろ」

「はい」


 宿屋を出て、村のはずれのほうへ歩き出した。竜も二足歩行でトコトコと歩く。可愛い。


「そっか、アシュアールは竜を見るの初めてなんだ」


 ハーヴィーがしみじみとした顔で言う。


「王国は遠くなりにけりだな。僕らが子供の頃はそこらへんを歩いていたものだけどね」


 そう言われると、アシュアールの中で一時的に収まっていた帝国への恨みがふつふつと沸き上がってきた。


 竜の国ヤズダ神聖王国は十三年前に滅んだ。アシュアールが一歳の時だった。もちろん記憶にはない。だが聞くところによるとヤズダの民と自称する民族が竜とともに暮らす国だったという。小さい国だったが、竜がよく働いてくれるので、農業と運輸業が盛んで、多少他国との外交がうまくいかなくても自給自足できる平和な国だったそうだ。

 滅ぼしたのはヴィオリア人の皇帝が統治するヴィオリア帝国だ。ヴィオリア帝国は寒冷な東方から勢力を伸ばしてきた大国で、西方にある温暖だが小さなヤズダ神聖王国は無条件降伏、朝貢をするから占領統治はやめてくれと懇願した。しかしヴィオリア帝は許さず、ヤズダ王の首を刎ね、竜を虐殺した。ヤズダの民は竜に乗って応戦したが、やがて糧食も尽き、士気も失う。敗戦ののち、生き残ったヤズダの民は強制移住させられて帝国各地に離散した。

 アシュアールが今住んでいるこの村は帝国の西方にあり、かつてはヤズダ神聖王国の領土内だった。だがアシュアールとその母も強制移住の結果この土地に住むようになったため親戚はいない。しかも、ヴィオリア人による植民が進み、ヤズダの民は非ヴィオリア人として差別されている。


 家に帰る道すがら、アシュアールは三人に尋ねた。


「三人はどうして帝国で騎士をしてるんですか? 騎士ということは皇帝に忠誠を誓ってるっていうことなんでしょう?」


 ハーヴィーが「うーん」と唸る。エスファンドが「誰か説明してやれ」と突っぱねる。

 結局、口を開いたのはラジーズだった。


「忠誠を誓ってるっつうことはねぇわな。俺たちは養ってもらってはいるけど、いざという時は三人で竜に乗ってとんずらする気で暮らしてる。ベアトリス殿下には悪いが――殿下はああ見えていい子だからな、裏切るのはちょっと胸が痛むけどなあ」

「そうだね、どちらかといえば、皇帝に忠誠、というよりは、皇女殿下の親衛隊みたいな感じかな」

「まあ、長くて重い経緯があるんだけどな、簡潔にまとめると、少年兵だった俺たちは捕虜になった、竜に乗れる俺たちを見た皇帝が俺たちは利用価値があると判断した、まだ十四歳の子供だったからうまく教育すりゃあ立派な帝国の騎士になると思ったっぽい」


 アシュアールはいったん頷いた。


「でも、嫌じゃないんですか? あなたたちも神聖王国の戦士だったんでしょ? 悔しくないんですか?」


 今度は三人が揃って「うーん」と唸る。


「僕らは聖なる竜の一族の末裔じゃないですか。他の民族から何も奪わず、どことも争わず、千年平和にやって来たんですよ。王家は戦争を望まず細々と祭祀を行ってやってきた。それをヴィオリア人どもがずかずかと踏み荒らして。その上皇族に膝を折って皇女の親衛隊になるなんて、屈辱じゃないですか」

「見てきたように言うじゃん?」

「僕はつらいです。何かの折に王国が復活しないかなって思います。そしたらヤズダの民だけで平和に暮らせるのに。誰かに馬鹿にされることなく、自分たちだけで」


 エスファンドが「そういうことは言わんほうがいい」と釘を刺す。


「どこで誰が聞いているかわからん。謀反の疑いありと言われても言い逃れできんぞ」


 むっとしてしまった。同胞の前でぐらい許されてもいいではないか。まして三人は王国時代のヤズダの民を知っているのだ。誇り高いヤズダの民が自由に暮らしていた時のことをおぼえていないのだろうか。

 アシュアールはおぼえていない。悔しい。自分も三人と同い年だったら戦士として志願しただろうに、今や何の力もない奴隷同然の身の上だ。


「皇女殿下はお前のような子供の命を取るほど残虐なお方ではないが、皇帝陛下は苛烈なお方だ。いくら皇女殿下が否と申し上げても皇帝陛下がカラスは白いと言ったら白いのだ」

「子供子供って言いますけど、もう十四歳です。三人は十四歳の時竜に乗って戦ってたんでしょ?」


 ラジーズが「わっはっは」と豪快に笑いながらアシュアールの頭を撫でた。


 そのうち家が見えてきた。台所と居間の二間しかない家だが、これでもアシュアールが働くようになって多少マシなところに引っ越せたのだ。昔はもっと粗末な掘っ立て小屋に住んでいて冬は寒かった。


 戸を開け、「ただいま」と言うと、すぐに母親が駆けてきた。ひとつにまとめた髪を振り乱し、真っ赤な目をしている。まだ三十四歳の若く美しい母はアシュアールにとって自慢だったが、今はくたびれてもう十個ぐらい老けて見えた。


「アシュアール、アシュアール」


 息子を強く抱き締める。


「お前はなんてことを……!」

「母さん……」

「どれだけ心配したと思ってるの。どれだけ、どれだけ……」


 こわごわ「誰かうちに来た?」と尋ねた。皇女が村でアシュアールの身辺調査をしたと言っていた、母もきっと尋問を受けただろう。憔悴しきっていることから察するに酷い目にあったのではないか。アシュアールは初めて自分の軽率な行動を後悔した。母に負担をかけたくないから働き始めたのに、何もかも台無しになってしまった。

 母が身を離して、両手でアシュアールの頬を撫でながら「いいのよ」と泣き笑いをした。


「もういいの。お前が無事なら何だって」


 何も言葉にならない。涙を呑み込む。


「親子の感動の再会のところ悪ィね」


 ラジーズが言う。


「申し訳ないけど早急に荷物をまとめてくれねーかな。帝都に楽しいお引越しだ」


 アシュアールも母もラジーズを見上げた。さっきまで豪快に笑っていた彼には似つかわしくなく神妙な顔をしている。


「持っていけるもの一切合財支度しろ。持っていけないものは燃やせ。あと家具は持ってけねぇな、竜の背中に積めるくらいにしといてくれ」


 母親が「竜ですか」と驚いた顔をする。ハーヴィーが「あとで紹介しますね」と微笑む。


「そうすれば息子は助かるんですか」

「ああ。我々が保証する」


 そんなエスファンドの言葉に、母が頷いた。


「承知しました。でも、一晩だけお時間いただけませんか」


 三人が顔を見合わせる。


「明日の朝には絶対行きます。でも、どうか今夜一晩だけ。この子の父親の遺品を燃やします」


 言われてみればこの前の引っ越しの時にも父の遺品がいくつか出てきた。母は思い出を捨てられない、せめてもの形見に、と言って後生大事に持ってきたが、息子のアシュアールは正直に言ってこの切羽詰まった状況でまで持っていきたいと思えない。


「まあ、そういうことならしゃーねーな」


 ラジーズが言った。


「明日の朝鐘が鳴ったら迎えに来るわ。それまでには頼むぜ」

「はい」


 そこでエスファンドにこんなことを言われた。


「くれぐれも家から出んようにな。俺たちが迎えに来るまで、絶対に家から出るなよ」

「逃げませんよ」

「逆だ。家の中に立てこもって安全を確保しろ。ヴィオリア人の村人に闇討ちされるぞ。窓も目張りしておけ」


 ぞっとした。


 三人が「それじゃな」「また」と言って家から出ていった。アシュアールは母と二人で家の中に残された。



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