しょっぱいうどんと、失恋と

@nyanyanyanyaco

第1話

ほんとうに、ほんとうに好きだったんだ。


「ねえ、きいてる?」

「きいてる、きいてる、何度も聞いてる」


廊下にある狭いキッチンから返ってきた適当すぎる返事に、むっと顔をしかめると、泣きすぎて腫れた瞼が邪魔をした。きっと今自分はいつも以上に酷い顔をしてるだろう。


それでなくても奥二重の細目、薄い唇に、中学の時にニキビを潰してできたアバタが1番の特徴という残念さだ。それが腫れて浮腫んでよりジャガイモ顔に磨きがかかってるに違いない。

親にもらった顔に文句を言うつもりはないが、せめてあの時ニキビを潰さなければ、ジャガイモではなくただの塩顔であれたのに。


生きていくのに塩を必要としない人間はいないが、ジャガイモは食べなくても生きていけるのだ。

そう思えばまた悲しくなって、目尻にじわりと涙が浮ぶ。


ぐずぐずと鼻をすすり、熱をもった瞼をコタツのテーブルに押し付ければひんやりと心地よい。

流れた涙と鼻水で口内はしょっぱい味がした。


成人の体内には200g程の塩分があると、なにかで読んだ記憶がある。

200gの塩なんて、ろくに料理をしない自分には想像もつかないが、今日だけでもかなりの量の塩を排出しているんじゃないだろうか。コタツにつまれたティッシュの山をぼんやりと見つめながら、そんな事を考えた。


このまま泣きつづけていれば、そのうち水も塩も足りなくなって、干からびてしまうにちがいない。ドライジャガイモなら、ポテトチップスよりもヘルシーだし、人気者になれるんじゃないだろうか。


「…おれ、ドライジャガイモになる」

「なに海賊王を夢見る少年みたいなこと言ってんの?」


聞こえないだろうと思ったつぶやきを拾われて、せめてテレビでも付けとけば良かったと後悔する。でも今はお笑い芸人の明るい声も、顔のととのった俳優も女優も見たくない。


「ちょっとティッシュはゴミ箱に捨ててよ。ほら、テーブル片付けて」


汚いなぁ、と嫌そうな声付きで台所からふきんが放られた。床に落ちたそれを拾って、しぶしぶテーブルを片付ける。


五畳半の1Kはベットとコタツと、横に倒したカラーボックスで目一杯だ。

コタツとベットにほとんどはさまるように座っていたが、狭すぎてテーブルの奥に腕を伸ばすのが難しい。仕方なく炬燵から足を抜いて、ベットに腰掛けるように座り直した。


水色の布団カバーと、緑のチェック柄のコタツカバー。横に倒したベビーピンクのカラーボックスに、カーテンは山吹色に白地のストライプという混沌とした配色の部屋は、泣きはらした目にチカチカと眩しい。


そんな趣味を疑う部屋の家主は、毛玉の浮いた紺のフリースに、ベージュのダウンベスト姿でキッチンからやってきた。


「ほら。メシ作ったから、とりあえず食べたら?俺、昼も食べてないから、めっちゃ腹へった」


ゴトンと音を立てておかれたのは、ラーメンどんぶりに入ったうどんだった。

透明なスープに沈むうどんの上には、炒めた肉とちくわがのっている。


「…なんでちくわ?」

「冷蔵庫に豚肉とちくわと牛乳しかなかったから」


その組み合わせだと、こんどは豚肉の謎が生まれるのだが。まさか牛乳ははいってないだろう。はいってないよな?はいっていないと思いたい。

謎うどんと対面したまま目が離せないでいるのをよそに、彼は斜め向かいに座り、コタツ布団を引き寄せた。


「うー、寒ぃー。まだ12月になったばっかなのに寒くね?今年暖冬とか言ってたのに嘘だよな」


そう言って、グラスに麦茶をそそぐ。

コポコポと音をたててつがれる麦茶に、ふちに描かれた金の龍がところどころはげたラーメンどんぶり。スープには、肉と(ちくわと)一緒に炒めたのか、鰹節がふよふよと漂っている。


「ごめん、せめてビールでも買ってくればよかったな」


実家暮らしの自分と違って、一人暮らしの彼はいつも余裕の無い生活をしている。ちぐはぐで混沌とした部屋も、全て貰い物ですませているからだ。


気が利かない自分が嫌になる。こんなだから、好きになった子に相手にされないのだ。


「悪酔いしそうでいらないよ。だいたい酒がなくても酔ってるようなもんじゃんか」

「なんだよ、自分に酔ってるって言いたいのかよ」

「はいはい、からまない。泣いてないで食べなよ、伸びるよ?」


彼は2玉はありそうなうどんに七味を振りかけ、ずるずるとすすりだした。うどんと肉を器用にからめてすすり、ちくわをひょいひょいと口に放り込む。

曇った眼鏡もそのままに、豪快に食べる友人の姿を見ていると、食欲などないと思っていた自分も腹が減っていることに気がついた。


手にとった箸で肉をスープに沈めると、豚肉の油と鰹節がブワリと広がった。そこに雑に切られたちくわがぷかぷかと浮き輪のように浮かんでいる。何度見ても不思議な組み合わせだ。味の想像がつかない。


とりあえず肉だけ拾って口すると、醤油と鰹節の濃い塩気が口の中に広がった。豚の油が食欲を刺激して、案外美味い。今度は肉をうどんにからめてすすってみると、これも美味かった。


となると、ちくわの存在が気になる。

ちょっと躊躇いながら食べてみる。これも豚肉と一緒に炒めたからか、油と絡んで悪くない味だった。


ずるずると麺をすすっていると、つまっていた鼻水が溶けてきて、あわてて鼻をかむ。ついでに麦茶をごくごく飲めば、渇いた体にじわりじわりと染み込んでいく。煮出しすぎて色の濃い麦茶が、まるで命の水の様に甘美な味がした。


ふただびうどんをすすりだすと、蛇口の壊れた涙腺から涙がボロボロとこぼれ落ちる。

麦茶と謎うどんの塩気のおかげで、もはや永久機関だ。どれだけ泣いたって、ドライジャガイモになんてなれやしない。


ほんとうに、ほんとうに好きだった。


バイトに入ってきた、2個下の高校生だった。はじめてのバイトで、よく失敗もしたけど、一生懸命で、よく笑う可愛い子。


誰に対しても変わらない笑顔がいいなって思って、嫌なお客が来ても悪口を言わないところがすごいなって思って、失敗した時に影で泣いてるのを見て全力で励ましたくなって。

いつのまにか好きになってて。


いちばんに頼られたくて、仕事のできる男になろうと思った。

かっこいいと思われたくて、髪型にも服装にもこだわった。

好きになってほしくて、たくさんたくさん優しくした。


自分の好意はあからさまだったし、彼女もバイト仲間もみんなたぶん気づいてた。バカみたいだったけど、気をひきたくて必死だった。


今日、バイトに来た彼女はいつも以上に可愛かった。襟ぐりの大きく開いたニットからは、白くて柔らかそうな首筋が見えてドキドキした。ヒラヒラ揺れるスカートにヒールの高いブーツを合わせて、年下とは思えないくらい大人っぽかった。


今日はどっかいくの?

何気なく聞いた言葉だった。

彼氏とクリスマスプレゼントを買いに行くんです。

と、彼女は申し訳なさそうに、でも嬉しそうに、少し恥ずかしそうに笑った。


それは、牽制だった。

告白はしていないけれど、それが彼女の答えだった。


自分が彼女になんて答えたのかも、その後どんな顔をしていたのかも覚えていない。


ただ、これまで自分が向けてきた好意が、彼女を困らせるものでしかなかったことと。

彼女の笑顔が誰に対しても変わらないのではなくて、1人だけ特別に向ける笑顔があることを知った。


友人の言うとおり、恋をすることに酔っていた。

正気じゃなかった。

たぶん必死すぎてみっともなかった。

結局叶わないばかりか、迷惑にしかならない思いだった。


それでも、どうしようもなく好きだったんだ。



うどんと鼻水をすすり、たまにティッシュで鼻をかむ自分に、友人は黙って麦茶をつぎたし、ゴミ箱をよせた。


「…ありがとう」

「次のバイト代出たらビール買ってきてよ。それでいいよ」


優しい言葉に笑いがこぼれる。


バイトではしばらく気まずい思いをするだろう。彼女の顔はまともに見れないだろうし、またみっともない姿をさらすかもしれない。


だけどきっと、そのうちこの酔いからも冷めて、正気に戻る日も来る。


だから今はとことん酔ってしまおう。

恋は正気じゃやってられないものなのだから。


麦茶を飲み干して、塩辛いうどんを噛みしめた。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しょっぱいうどんと、失恋と @nyanyanyanyaco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ