第5話

演劇部 佐原春乃の憂鬱 ①

あたしたちみたいのは、あんまり出しゃばりすぎないほうがさ、平和なんじゃない

?学校って、そういうもんだから―――――


 西田くんに色々とやかく言われたからだろうか。

 頭の奥にこびりついた言葉と共にふと、昔の記憶が蘇る。

 私、佐原春乃がはまかぜ高校に入学してすぐ、演劇部に入ったばかりの頃のものだ。


 小学4年生のときに家族で“劇団二十四節季”のミュージカルを観てから、「舞台役者」への漠然とした憧れは持ち続けていた。だが、見境なく「児童劇団」に入りたいと母親にお願いしても「ダメ」と一蹴されるし、通っていた地元の中学には演劇部がなかった。「舞台に立ちたい」という思いを抱えていても、そもそも周りに舞台がなかった。


 バカでもないけど秀才でもない自分の偏差値に見合って、演劇部のある高校ならどこでもよかった。はまかぜ高校の演劇部は決して強豪というわけではないし、部員も6人と少なかったけれど、先輩たちはみな穏やかで優しいし、練習にも一生懸命で、いい雰囲気だった。

 なにより、ここでやっと「舞台」に立てるのだと、私は鼻息を荒くしていた。


 7月の文化祭での公演が、私の初舞台だった。入部して3か月とちょっと、裏方の仕事を覚えながら演技の基礎練習も続け、ちょい役で出れることになった。

 当日は、割り当ての視聴覚室に朝早くから集まって、せっせと装飾し、パイプ椅子50席を並べた。

「全校生徒って700人以上いますよね、もうちょい増やした方がいいんじゃないですか?」

 とこれまた鼻息を荒くして先輩に言ったら、あはは、と冗談をあしらうような、乾いた笑いを返された。その意味は、そのとき私には分からなった。

結局椅子は増やさないままで、立ち見が出たら申し訳ないなあなんて思いながら幕が開いた私の念願の役者デビューの舞台。


 見に来た生徒は5人だった。

 

 特に大きなミスもなく、公演は無事に終わった。

 見に来てくれた人たちは、みんな「よかったよ~」と声をかけてくれた。


 更衣室で先輩たちは

「ギリギリフットサルできる人数は集まってたな」

「去年は9人いたから野球できたけどな」

「どっちにしろ1チームだけじゃ試合できないけどね」

「あ、そっか」

といつもと変わらない雰囲気で冗談を言い合っていた。


 その日の夕方、誰も座らなかったパイプ椅子を先輩と片付けた。一応、自称進学校であるはまかぜ高校では、3年は夏に部活を引退する。必然的に、先輩たちはこれが最後の舞台だった。


「悔しくないんですか?」

私は、横で黙々と椅子を片付けていた3年生の先輩にそう尋ねた。

そのとき自分が哀しんでいるのか、怒っているのか、よく分からなかった。


「んー、まあ、もうちょっとお客さん入ってくれたらそりゃ嬉しいけど」

 誰よりも練習熱心で、誰よりも演技が上手で、優しい女の先輩だった。

少しだけ考えながら、先輩は私に語り掛けた。

「演劇部って学校の中じゃマイナーというか、存在感薄いっていうか……あたしたちみたいのは、あんまり出しゃばりすぎないほうがさ、平和なんじゃない?学校って、そういうもんだから」



「……らさん…………佐原さん」


ハッと、我に返る。

ここは舞台後の控室でもなく女子トイレで、

目の前にいるのは2年前の先輩ではなく、早見くんだった。


「あ、ごめん、なに?」

「どうしたんだよ、ボーっとして……これからどうするか、って話だろ。このままずっと女子トイレにこもってるわけにもいかねえし」

「そうね……」


早見くんが無理やり通話をブチ切りした後、西田くんからの連絡はない。屋上に来い、なんて言ってはいたが、素直に私たちが従わないことも織り込みずみのはずだ。きっと今頃学校中を探し回ってるのだろう。

 

「ここが見つかるのも時間の問題だもんね。早見くん、なんか他にいい隠れ場所知ら……」


 ぐぎゅるるるるるるる


「え、何今の」

 耳障りの良くない音がした。

 ふっ、と早見くんを見る。なぜか顔中の筋肉をひきつらせ、苦しそうな顔をしていた。腰を曲げ、手でお腹をさすっている。


「佐原さん、あの……相談があるんすけど」

「絶対イヤ」

私は即、首を横にふった。


「いやまだ何も言ってねぇけど」

「言わなくてもわかるわよ!絶対イヤよ、ここでされるのは!絶対臭うもん!!」

「でもここトイレよ!?そういうことするところよ!?」

 さっきよりもつらそうな顔で、私に訴えかけている。


「んーーー……でもなんていうか、感覚的にキツいというか」

 渋る私を追い詰めるように、ぐぎゅるるるる、ともう一度早見くんのお腹が悲痛な音を立てた。

「俺、子どもの頃からお腹弱くてさぁ……さっきからちょいちょい我慢してたんだけどさあ……頼む……そろそろ限界だぜ……」

「わかった……わかったから、早見くん、それちょうだい」

私はそう言って、早見くんが持っていた水鉄砲を指さした。

「どっちみち、二人でここに隠れっぱなしなのもいい手とは思えないし、ちょっと周りに様子見てくるよ。だから……」

「あげるあげる!!マジありがとう佐原さん助かる!!はいじゃあこれ!!気を付けて!!」

会話する余裕もないんですわ、と言わんばかりに、早見くんはバシッと手荒に水鉄砲を手渡し、ガタンと勢いよく大便所のドアを開け、籠った。

 もたもたしてると戸一枚隔てた向こうからいろんなものが聞こえたり臭ったりしそうだった。ゾッとした私は水鉄砲をぎゅっと握り、そそくさと女子トイレを後にした。


 西田くんに電話越しに啖呵切ったとき、早見くんのことをちょっとカッコいいと思っちゃった私がバカだったわ、と心の中でひっそりと毒づいた。

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