君に銃口を向ける夏

タルタルソース

君に銃口を向ける夏

第1話

佐原春乃の最悪な朝 ①

「文化祭って結局、みんなでわいわい準備してる前日が一番楽しいよなあ」

 ……なんて戯言を吐く連中は、全員嘘つきだ。


 ジメジメした梅雨が明け、日差しの鋭さが増す7月下旬の金曜日。


 県立はまかぜ高校3年の私、佐原春乃さはらはるのにとって高校生活最後の文化祭「風翔祭」を前日に控えたこの日。


「はっ……!はっ……!」

 

 なぜか私は今……めちゃくちゃ追われている。


 がらんとした校舎の廊下を、ひたすら走る。はためく制服のスカートもおかまいなしに。


 校庭側の窓の外には入道雲がそびえ、夏らしい空模様が広がっている。普段なら、スマホでパシャリと写真に収め、

“#ジブリみたいな雲#夏過ぎてエモい#高校最後の夏#全力で楽しむ”

とかそれっぽいコメントつけてインスタにのっけるくらいしてやりたいものだが、そんな余裕は一ミリもない。この足を一歩でも止めてしまえば、瞬く間に“アイツ”に追い付かれてしまうのだから。


 角の教室を左へ曲がる。ドアの隙間から、教室内の壁時計が午前9時を指しているのが視界に入った。本当なら、1限の現国を受けている時間だ。滑舌の悪い倉持先生の長話に耐え、2限のライティングも乗り切れば、3限以降は全学年で文化祭準備が一斉に始まり、校内中が熱気を帯びる。そんな一日になるはずだったのだが。


 3年の教室が並ぶ北棟から渡り廊下を通って、職員室や1,2年の教室がある南棟へと向かう。渡り廊下の両端には、昨日の放課後に作業したままなのだろう、お化け屋敷……クレープ屋……カラフルに色付けされた作りかけの看板や装飾、ビラが無造作に放置されたままだ。


「なんだっつうのよあのグラサン男……!」


 付きあたりを右へ曲がる瞬間、チラリと後ろを振り返る。

 眉一つ動かさずに、ひたすら私を追いかけてくる一人の男。化学の授業で使う実験用の白衣を身に纏い、顔にはサングラス。額には、なぜか黄色のハチマキ。170cmくらいの中肉中背で、生徒でも教師でもおかしくないし、生徒でも教師でもない全くの部外者かもしれない。


 どこぞのどいつなのかも、私を執拗に追いかけるその目的もまったく見当もつかないが、ただ一つ言えるのはあの“グラサン男”に捕まったら、一巻の終わりだってこと。冗談じゃない……“あんなふう”になるなんて、絶対にいやだ。


 ズリッ!


 不意に、足元にイヤな感覚が伝わる。まずい、と思った。

 逃げ回るうちに体力も限界がきていたのか、廊下に広げっぱなしだった、大きな……畳一畳ぶんくらいはありそうな模造紙(どこかのクラスが装飾か何かに使おうとしていたのだろう)に気づかず、踏み込んだ左足をとられた。バランスを崩し、一瞬だけ、体が宙に浮く。そして、ドスン。

前につんのめって、無様にコケた。


「痛ぁっ……!」


 受け身の態勢はとれたけれど、地面に着いた左腕がズキズキする。普段、体育の授業以外で運動らしい運動をしない自分の文化部気質を、このときばかりは呪った。


「3年7組、佐原春乃だな」


低く、冷淡な声に振り向く。奇天烈な恰好をした“グラサン男”はすぐ背後で、倒れた私を見下ろし、ニヤリと笑った。


「これで終わりだ」

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