第3話
「おい、蛍。どうしたんだよ? ボッーっとして」
ガラスを叩き付けていたあーちゃんが、何も言わない私に気付いてこっちを向いた。
「なにかあったのか?」
「え? ううん。何でもない」
「ふぅーん・・・」あーちゃんは不審な表情を浮かべている。無理もない。私は数日前に起こった美術室事件以来、なんだかボンヤリしていた。当の男子があれ以来ぱったり何も行動を起こしもせず、話しかけてもこない所も不可思議だったのだ。
同じ教室にいても、横を向けば視界に入る位置にいるのにも関わらず、まるで何事もなかったかのようにいつもと変わらず、違う世界を生きている彼。私はおちょくられたのか? そう思って若干腹立たしく思いながらも、何故か授業中でも休み時間でも横が気になってしまうのだ。こうしてあーちゃんと遊んでいる時でも、何となく意識があの教室にあるような錯覚を起こしてしまう。私はどうしたのだろう? 例の如くしゃがみ込んでいると、不意にあーちゃんの小さな手が前髪を分けて私の額に当てられた。
「熱は、なさそうだな」
「ないよ。大丈夫」
「でも、変だぞ。蛍、おかしいぞ。今日はもう帰った方がいい」
「う、うん。そだね」スカートを叩きながら立ち上がる私を微妙な顔をしてじっと見ていたあーちゃんは呟くように言った。
「やっぱ変だ。いつもならもっといたいって言うのに・・・」
「そっ、そんな事ないよ。気のせい気のせい」
私がいくら言ってもあーちゃんは眉間に皺を張り付かせたまんまだった。あーちゃんは小さい頃から感のいい子だった。私とあーちゃんはお互いの母親が職場の同僚だったので、親しくなった。
パパとママはよく私を連れて、あーちゃんの家に遊びに行った。その頃、まだあーちゃんと私は同じ小学生同士だったので自然と打ち解けて一緒に遊ぶようになったのだ。まだなにもなかった頃は私達はお互いの家に泊まりっこしたり、一緒に遊びに行ったりとまるで本当の姉弟みたいに接していた。それがパパが死んでしまってからいつの間にかお互いの親がごちゃごちゃに絡まってしまって変に遠く離れてしまって、まるで違った世界に存在しだしたのかすらわからない。私とあーちゃんは何も変わらないのに・・・ふと、いつかのあーちゃんとの押し入れの出来事が浮かんだが、それはまた強い教室の磁力に負けてすぐに何処かに消えてしまった。
彼はどうして何もしてこないのだろう? これが正式に申し込んだ友達の関わり合い方? 謎は深まるばかりだった。そんな到底答えの出そうにない事を延々考えながら、あーちゃんと別れて家に帰ると、玄関のシミだらけのコンクリートの上に男物の大きな黒い靴が偉そうに並んでいた。嘘。何でよ? 今日は水曜日じゃないじゃないじゃない?!
息苦しくなる程の気持ち悪さが喉元まで込み上げてきた。それと同時に規則正しい息遣いと微かな喘ぎ声が聞こえてきて、私は慌てて外に飛び出した。イヤだぁー・・・! もういやぁーー・・・! こんなのーー!
走って走って、何処をどう走ったのか覚えていないくらいに走って、辿り着いたのは大きな胡桃の木が脇に植わった、もう使われていない通学路の階段だった。その階段を通って、手を繋いだ私とあーちゃんは小学校に通ったのだ。今は住宅開発は進み、反対側に新しい通学路が整備されたのでもうここには人気はなく錆だらけの空き缶が何個か転がり、陰気な曇天の下に横たわった苔むした階段には朽ちた葉が溜っているだけだった。構わずに胡桃の木の真下に位置する階段に腰を下ろした。巨大な胡桃の木は変わらず大きく立派だったが、転がっている空き缶同様の取り残された物特有の物悲しさが所存無げに漂っていた。よく帰りにこの木に登って被れた。
あの頃はパパがいた。いつも優しいパパがいた。私は胡桃の木だけがあの幸せだった頃を覚えていてくれているような気がして、すっかり暗くなってしまってもいつまでも座って、胡桃の木を見つめていた。
パパに会いたい・・・
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