プロローグ
梅雨が明け、夏の本格的な到来を告げるような暑さが東京都を包み込んだ七月中旬、一部のマスコミを賑わせる人気アイドルグループ同士の熱愛報道がスクープされた。
『TENZOのメンバーのミキオのマンションにハポンのメンバー、
という見出しで、内容は理紗がミキオのマンションに数日間泊まっていたと記事を写真と共に掲載されていた。
どちらも人気グループ同士の恋愛という事だけあって、大きな事件もなかったこともあり大々的に報道された。
特にTENZOKUは現在売り出し中で中高生を中心に人気があり、その中の人気の1、2を争うミキオの初めてのスキャンダルに注目が集まった。
一方、ハポンは数年前から国民的アイドルグループとして女性グループの中で一番の人気だが、宇部理紗はその中で中心メンバーではなく、心無いファンからは不釣り合いとか、ミキオの遊び相手ではなかったのかといった風にSNSを中心に囁かれていた。
公式では、恋愛禁止ではないと言われている両グループではあるが、恋愛報道されれば必ず叩かれ、自粛、活動休止状態に追い込まれるのが暗黙の了解である。
報道があった翌日、ミキオ、宇部理紗ともに公式に発表があり、ファンに対する謝罪と活動自粛を運営を通じてマスコミ各社に送った。
* * * *
『パチンコ CRハポン47 目指せカワイイの世界制覇』
を打っているとき、スマホニュースの1ページ目に『宇部理紗の熱愛』との文字と彼女のすました顔の写真が出てきた。
それを見た
「ハポン47」
とメンバー全員の掛け声がして、台の枠の照明が一斉に変色する。
「よし、来いよ」
力が入る國士。
「いくよぉ」
千石舞花のキャラクターデザインが上から飛び出してきて手を挙げると、画面横からメンバー全員のキャラクターデザイン群が押し寄せてきた。
「おお、激熱」
國士は思わずつぶやいた。周りは客もまばらな店内である。
『告白リーチ』と画面に出る。
「千石舞花、古西ナナ、雑賀風香の三人の中から告白するメンバーを選択せよ」
と音声が流れる。
國士は迷わず、古西ナナを選んだ。
「なに突然、こんなところ呼び出して?」
――ナナの事が好きなんだ。
「えっ?」
――俺じゃダメか?
「……ダメじゃないけど」
――付き合ってほしい。ナナの事がずっと大好きなんだ。
「本当に?」
――ああ。
画面の向こうから古西ナナが潤んだ目をして見つめてくる。
心臓の鼓動の音が流れる。
「どうしよう?」
古西ナナの心の声が流れてくる。
「頼む」
國士は声を出して画面内の古西ナナを見つめた。すでに五万円この台につぎ込んでいた。
(私も同じ気持ちだよ……)という金色の文字と古西ナナの顔がカットインする。
「……」
「私も大好き」
と古西ナナがはにかんだ。
「よし」
思わず、左手でガッツポーズする。
555が揃い、大当たりとなる。
「ハーッ」
と思いっきり安堵のため息をつく國士であった。
生まれて初めての大勝であった。
こんなにも出ていいのか?台が壊れているんじゃないか?と思うくらい大当たりした。
気が付くと午前十時から閉店の午後十時まで、十二時間店内にいた。
閉店間際、國士は景品を両手いっぱいに持って、景品交換所へと向かう。
周囲の客の目を警戒しながらパチンコ店から出ると、頭上から雨粒が落ちてきた。
そして、景品交換所で換金をして道路に出ると、上空から大量の雨粒が一気に落ちてきて雷光の後、遠雷が響いてきた。
「おい、おい、生きて帰れるか?」
國士は足早に繁華街を抜ける道を行き、駅へと向かう。
雨が激しさを増し、雷の光と音の間隔が狭まってきた。
JR新宿駅へ向かう通りを若者たちが悲鳴を上げながら、走り過ぎていく。
駅へ急ぐ若者と肩がぶつかったが、気にもとめず駅から歌舞伎町の方へと向かう女の姿があった。
傘もささず、肩口まで伸ばした髪をずぶ濡れにして歩いているのは、宇部理紗であった。
Tシャツにロングスカート。誰も気づかず、彼女はそのまま新宿ピカデリー前を通過して、花園神社の方へ消えていく。
いつもは人通りの多い新宿歌舞伎町でも今はほとんど人通りもなく、激しい雨に濡れていた。
宇部理紗は花園通りの方へと入って行く。
いつもならホストがいて、宇部のような若く美しい女性にはひっきりなしに声が掛かるがこの日はそれもない。
雨が心地よかった。
自分が砂糖で、ドロドロに溶けてしまえばいいと思っていた。
耳元でワォンワォンとわめく声が、コンビニの軒先を打ち付ける雨音に混じって蘇ってくる。
「相手の事務所は、お前から誘ってきたと言ってきてる。どうなんだ、その辺は?」
「四期が入って、この大事な時にくだらないスキャンダルなど起こして、そんなにやる気がないならやめてしまえ」
「もう十分じゃないか。これ以上いても、君にもグループにも利益にならない。このまま留まれば、更に炎上は免れん。
「お前ももう二十三、今年は年女だ。次の道を見つけてみてはどうだ?」
気が付くと目の前に、モダンなビルが建っていた。
むかし、一度だけ来たことがあった。
その時はもう二度と来ないと誓ったはずのビルであった。
「ゴメンね……」
理紗はつぶやき、ビルの中に入って行く。
途中でビニール傘を買ったが、本格的に降り出した雨がアスファルトに跳ね返り、下から足元を濡らしていく。
どこかで雨宿りをしようと思ったが、早くアパートに帰り、飯を食いながら勝利の美酒に酔いたかった。
國士は近道とばかりに花園通りへ入って行った。
雷鳴が頭上で鳴り響き、どこかのビルの避雷針に落ちた。
「マジで、俺を狙ってないよな?」
いくら都会の中でなら、滅多に落雷を受けることがないとわかっていても、気分の良いものではない。
「やっぱ、この先のコンビニで雨宿りすっかな」
雨に足元を濡らしながら走っていくと、直後、二回目の落雷があった。
今度のは今までに感じたことのないほど大きく、頭上で爆弾が破裂したような光と衝撃を伴って、一瞬目が眩んでその後、意識が飛んだ。
近くのビルの避雷針に雷が落ちて、理紗の姿を浮かび上がらせる。
ずぶ濡れになったTシャツが身体にぴったりと張り付き、スカートが強風ではためいている。虚ろな目をした理紗は濡れるのを厭わず、ビルの屋上に立っていた。
そこから新宿歌舞伎町の街並みが良く見える。
初めて東京に来たのは、十五の時であった。
それから八年の月日が経ち、自分も一端の東京人になった気になっていた。
しかし、考えてみたら、東京をほとんど知らない。
歌舞伎町だって、この日を含めて二回しか来たことがない。
思えば家と仕事場の往復であった。自分で望んで始めたことだが、いつの間にか袋小路に入ってしまったようだ。
――結局、自分には何もできなかった。
頑張ってはみたが何も変えられず、どこにも行けず、どこにも戻ることができない。
――自分に残された道はもう残ってない。
たった一つ心残りなのは、彼女の想いを果たせなかったこと。でももし、これが復讐の代わりになるのなら、それも本望……。
その瞬間、頭上で爆弾が破裂したような光と衝撃を伴って、一瞬、目が眩んだ。
身体が落下していく重力を感じていた。
光の中で、得も言われぬ快感が全身を貫き、脳内で今まで起きた出来事が一瞬ですべて映像となって浮かんできた。
記憶の洪水と得も言われぬ快感の中で、理紗はある男とすれ違った。
それは握手会に来るような冴えない男。
耳元まで伸びきったボサボサ髪に、チェックの紺のシャツ。その下はキャラクターのプリントが入ったシャツを着て、ずんぐりと太った体、日本人でも決して高くない身長、汚い肌をした男は気を失ったように通り過ぎていく。
理紗はその男を不思議に見つめていた。
一瞬で、彼はいなくなり、すべてを包み込むような光の中に吸い込まれていく。
その瞬間――ああ、私は死んだんだ――と直感した。
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